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高村光太郎の「鯰(なまず)」2021年04月17日 17時17分17秒


高村光太郎 《 鯰(なまず) 》 1926年(大正15年) 木彫 丸彫 着彩 6.5×43.2×16.0cm 東京国立近代美術館蔵(佐藤こう氏寄贈)


東京国立近代美術館の所蔵作品展で見かけたナマズの彫刻です。
大きな体をくねらせてゆったりと泳いでいるナマズ。
扁平な頭部と長い口ヒゲ、下あごがちょっと突き出た特徴をよくとらえていて、ヌメッとした肌あいが見事に表現されています。

高村光太郎と言えば、学校で習った詩、『 道程 』(僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る・・・) や、『 智恵子抄 』(智恵子は東京に空が無いといふ。 ほんとの空が見たいといふ。・・・) があまりにも有名で、「詩人」というイメージしかありませんでしたが、父親は上野の西郷隆盛銅像も作った著名な彫刻家「高村光雲」で、光太郎自身も東京美術学校(現在の東京芸術大学 美術学部)彫刻科を卒業しています。
研究科に進むも西洋画科に移り、その後ニューヨーク、ロンドン、パリへと留学しています。
詩人・歌人であると同時に、彫刻家、画家として多くの作品を遺しています。

1914年(大正3年)に詩集 『道程 』を出版、その年に長沼智恵子と結婚しました。

《  鯰 》は、二人の生活が貧しくとも充実していた時期の作品です。
のちに総合失調症を発症した智恵子とは1938年(昭和13年)に死別。1941年(昭和16年)に詩集 『 智恵子抄 』を出版しました。
詩集 『 智恵子抄 』に「 鯰 」と題した詩が収められています。

  鯰   高村 光太郎

盥の中でぴしゃりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事である。
暖炉に入れる石炭が無くなっても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食うか。
檜の木片は私の眷属、
智恵子は貧におどろかない、
鯰よ、
お前の鰭に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓に黒金の覆輪があり、
そうしてお前の楽天にそんな石頭があるというのは、
何と面白い私の為事への挨拶であろう。
風が落ちて板の間に欄の香いがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ。

注)
盥(たらい)
為事(しごと)=仕事の別表記
眷属(けんぞく)=親族、同族、従者などの意
鰭(ひれ)
鰓(えら)
瀏瀏(りゅうりゅう・りうりう)=清く明らかなさま


高村光太郎は《 鯰 》という彫刻を、1925年(大正14年)から1931年(昭和2年)にかけて3点制作しています。
1925年の最初の作品は個人蔵で、1931年の3番目の作品は愛知県のメナード美術館が所蔵しています。



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