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川合玉堂の個人美術館「玉堂美術館」2021年12月07日 13時57分20秒

川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉 - 1957年〈昭和32年〉)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家です。
玉堂は太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に、かねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開し、1957年に死去するまで奥多摩の御岳渓谷で暮らしました。

玉堂の没後、香淳皇后(昭和天皇の皇后さま)を含む多数の団体・地元有志・玉堂愛好家などからの寄付により、1961年(昭和36年)5月、御岳に玉堂美術館が開館しました。

玉堂美術館 第一展示室 展示風景

川合玉堂 《 秋渓紅葉(しゅうけいこうよう)》 1944年(昭和19年) 71歳

川合玉堂の、日本の自然を雄大に描いた中に、そこに暮らす人々や動物たちの生活を自然との対比で描く画風が私は大好きです。

玉堂美術館 第一展示室 展示風景

上は15歳の時に、下は18歳の時に描いた写生です。その形態や色などの説明が文章でも書かれています。
1887年(昭和20年)、13歳10ヶ月の頃に京都に上り、四条派・望月玉泉の門に入り「玉舟」の号を得、その後1890年に「玉堂」に改号しました。
15歳の写生には「玉舟 寫生」と書かれています。


1940年(昭和15年)に授与された文化勲章や、勲一等旭日大綬章(没時叙勲)、1931年(昭和6年)にイタリア皇帝から贈られたグラン・オフィシェー・クーロンヌ勲章なども展示されています。

玉堂美術館 第二展示室 展示風景

玉堂が陶器(作陶 五代目 清水六兵衛)に山桜を描いた茶碗「大和心」です。
「大和心」は、本居宣長の歌 「敷島の 大和心を 人間はば 朝日に匂ふ 山桜花」から。

玉堂愛用の岩絵の具なども展示されています。

玉堂が使っていた落款印です。
玉堂は約265個の印章を、作品の大きさや色合いなどにより使い分けていました。篆刻者は中村蘭台(上の写真)と北大路魯山人(下の写真)の作品が多かったということです。
画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家など多方面で名を馳せた北大路魯山人ですが、篆刻家としての仕事はそれらの礎となっています。


当時の画室を再現した部屋です。ガラスに庭の木々が映り込んでいます。

画室から見た枯山水庭園です。


川合玉堂の作品約300点を所蔵する玉堂美術館では、年7回展示替えが行われ、その季節に見合った作品が展示されています。
今日からは、「玉堂の冬景色と小下図展」が開催されます。
 ※12月7日(火)~来年2月6日(日)まで 



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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