玉堂美術館・川合玉堂「家路」展 ― 2024年11月25日 16時20分18秒
御岳渓谷のJR御嶽駅から多摩川を挟んだ対岸に、川合玉堂の美術館「玉堂美術館」があります。
黄色く色付いたイチョウの木の右側に見える、白い塀と壁の建物が美術館です。
館内には趣のある枯山水庭園が広がり、秋には木々が赤や黄色に染まります。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉 - 1957年〈昭和32年〉)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家です。
玉堂は太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に、かねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開し、1957年に死去するまで奥多摩の御岳渓谷で暮らしました。
玉堂の没後、香淳皇后(昭和天皇の皇后さま)を含む多数の団体・地元有志・玉堂愛好家などからの寄付により、1961年(昭和36年)5月、この地に玉堂美術館が開館しました。
香淳皇后が玉堂から絵画の指導を受けていたという関係もあるのか、皇居内にある「皇居三の丸尚蔵館」でも、多くの玉堂作品を収蔵しています。
1889年(明治22年)16歳の頃の写生です。動物、植物の細かい描写を、若い頃から研究していたようです。上手いですね(当たり前でしょうが・・・)
今回の展覧会は「家路」をテーマに、秋の風景が多く展示されています。
川合玉堂 《河畔晩秋》 1929年(昭和4年) 56歳
展示風景
玉堂の絵画には自然の中の人や動物が描かれたものが多く、自然と人が一体化した画の中には物語があり、鑑賞者は当時の人々の暮らしぶりから想像を膨らませることができます。
川合玉堂 《河畔清秋》 1950年(昭和25年) 77歳
川合玉堂の絵画を観るとなぜかほっこりとするのは、厳しい風景に立ち向かっていくのではなく、温かい家庭に向かって「家路」に付く人々が描かれているように感じられるからではないでしょうか。
川合玉堂 《時雨》 1953年(昭和28年) 80歳
左から、文化勲章(1940年/昭和15年)、イタリア皇帝よりグラン・オフィシェー・クーロンヌ勲章(1931年)、勲一等旭日大綬章(1957年/昭和32年)が展示されています。
川合玉堂愛用の岩絵の具です。
玉堂は約265個の印章を、作品の大きさや色合いなどにより使い分けていました。多くの篆刻(てんこく)者の印章を使っていましたが、中村蘭台と北大路魯山人(下の写真)の作品が多かったということです。
本展は、12月8日(火)まで開催されています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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