東京ミッドタウンの こいのぼり ― 2025年05月05日 15時55分55秒
今日は二十四節気のひとつ「立夏」で、国民の祝日としての「こどもの日」でもあります。
東京ミッドタウン(六本木)に行ったら、ミッドタウン・ガーデンの緑の中を、たくさんの こいのぼりが泳いでいました。
これは『こいのぼり GALLERY』というイベントで、 こいのぼりの数は101匹。 「子どもの成長を願う」をテーマに、国内外のアーティストやデザイナーが、その腕を振るっています。
今日は風もなく、立夏の暖かな空気の中を、子供連れやワンちゃんの散歩をする人達が、都会の中の自然を楽しんでいました。
池の中で こいのぼりが泳ぎます。
右端の赤いこいのぼりは、漫画家の 里中満智子 さんの作品 《錦もどき》 です。
左側のグレーの こいのぼりは、歌手、タレント、女優、デザイナーなど幅広い分野で活躍するアーティスト 篠原ともえ さんのデザインで 《鉛筆画こいのぼり》 です。
『こいのぼり GALLERY 』は5月11日(日)まで開催されます。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
十和田市 駒街道(官庁街通り)のソメイヨシノ ― 2025年04月29日 08時21分56秒
十和田市 官庁街通り(駒街道)と中央公園のソメイヨシノです。
十和田市役所の3階テラスから見ると、中央公園緑地の桜が満開になっていました。(4月24日撮影)
中央公園は緑地の他、野球場 、相撲場 、陸上競技場 、市民プール 、テニスコートなどを併設する総合公園で、その広い敷地に150本以上の桜が植えられています。
花の中心が赤っぽくなって、散り始めの兆候を表しています。桜開花予想では26日から“散り始め”になっていました。
市役所横の官庁街通りの桜も満開です。
官庁街通りには155本の桜と161本の松が植栽され、4列の並木を作っています。
長さ1,100メートル、幅36メートルの道の両側に、車道側には松、歩道側には松と桜の並木が続き、松の緑が桜のピンク色をさらに際立たせます。
この道は「駒街道」とも呼ばれています。
馬の産地であった十和田市には、旧陸軍の軍馬補充部が設置されていましたが、戦後間もなく軍馬補充部用地が開放された際、官公庁用地として整備されました。
すぐ近くには十和田市現代美術館があり、官庁街通り(駒街道)にも数多くのパブリックアートが点在します。
鈴木徹氏による 《慈しみ》という彫刻作品です。馬の頭に、桜の花が飾られていました。
中央公園緑地入口「桜の広場」に置かれている、小畠廣志作《馬蹄型カリヨン》です。
鈴木康広 《はじまりの果実》
青森といえば、リンゴです。
残像を残しながら落下するリンゴから、切り株の年輪のような波紋が広がっていきます。
それにしてもこのリンゴ、リアルで美味しそうですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
都庁展望室から見た今日の富士山 ― 2025年01月30日 20時01分52秒
新宿へ買い物に行き、オープンまで時間があったので東京都庁第一本庁舎に寄ってみました。
設計は丹下健三都市建築設計所で、地上48階、地下3階、高さ243.4mの超高層ビルです。
45階(地上200m)に展望室があり、「南展望室」と「北展望室」に分かれていて、入口も別々です。
エレベーターは1階から45階まで直通で、約55秒で到着します。
南展望室行きエレベーター入口です。写真左端に北展望室行きエレベーター入口が見えます。
荷物検査はありますが、料金は無料で誰でも入ることが出来ます。
展望室からは360度東京の街並みが眺められ、富士山はどちらの展望室からも見ることが出来ます。
左のビルは「新宿パークタワー」、その右の高層ビルは「東京オペラシティタワー」です。右端に富士山が見えます。
富士山にはかなりの積雪が見られます。手前で富士山を隠している山脈は「丹沢山地」です。
2023年7月に閉館した「中野サンプラザ」。まだ解体されることなくその姿を留めています。
事業費の高騰で再開発計画を見直すことが決まっていましたが、事業者の野村不動産が、高層ビル2棟のツインタワーとホールを一体で新設する案を区に示したことが、今日の朝日新聞(東京地域面)に書かれていました。
(追記)3月11日、中野区はこの案を白紙に戻しました。
「南展望室」にピアノが置かれています。「都庁おもいでピアノ」という名が付いていて、開室していれば10時~12時、14時~16時の間なら自由に弾くことが出来ます。(演奏希望者が並んでいる時は一人5分以内)
ピアノ装飾は一目見ればそうと分かる草間彌生さん。前衛芸術家の草間彌生さんは、日本人よりも外国人によく知られているかもしれません。東京都の名誉都民でもあります。
今日は南北共に開室していましたが、常に両方の展望室が開室している訳ではありません。開室カレンダーで確認できます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
ポケモンのマンホール蓋@横浜 ― 2024年11月30日 15時02分54秒
5年程前から横浜の観光名所に、ポケットモンスター(ポケモン)のマンホール蓋「ポケふた」が設置されています。
観光名所の為よく通るので、その所々で見かけるたびに写真を撮ってきました。
マンホール蓋5個分くらい撮ったので、市内全体で一体幾つあるんだろうと調べてみたら、現在あるのは5個だけのようです。古い写真から探し出して5ヶ所のマンホール蓋を集めてみました。
全国では200ヶ所以上に設置されています。(ポケふたのサイトはこちら)
横浜マリンタワーの出入り口です。こちらは山下公園側の正面入口ではなく、裏口になります。
赤レンガパークです。一番左の建物は神奈川県警察本部で、横浜市役所、ザ・タワー横浜北仲、APAホテル、横浜マリンタワー、クイーンズ・スクエア横浜などの高層ビルが並びます。
写真枠外右側に横浜赤レンガ倉庫があり、背中側に横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)があります。
赤レンガ倉庫と「ピカチュウ」、同じくねずみポケモンの「ライチュウ」が描かれています。
日本丸メモリアルパークです。「帆船日本丸」の横にもありました。
臨港パークのヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル横、ぷかりさん橋の近くです。
遠くに見えるのは横浜ベイブリッジ、ハンマーヘッド・クレーン、横浜ハンマーヘッド(新港ふ頭客船ターミナル)で、写真から外れて右側にぷかりさん橋の建物があります。
釣り人が釣りをしていました。シマダイ(イシダイの小さいの)とアジが釣れたのをを見たことがあります。ボラは水中からジャンプをしているのを、よく見かけます。
JR桜木町駅と、ロープウェイ・YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマエアキャビン)乗場の間にある広場です。前の建物はヨコハマ エアキャビンの乗場です。いつもはロープウェイに乗るために多くの人が並んでいるのですが、この日はたしか、風が強くて一時運休していたと思います。
向こうは横浜ランドマークタワーです。
この「ポケふた」が横浜では一番最初に設置されたようで、2019年8月5日だということです。
みなとみらいの高層ビルと観覧車「コスモクロック21」を背景に、ピカチュウが描かれています。尻尾がハート型なのはメスのピカチュウです。
他の4点にはポケモンの名前がカタカナで記されていましたが、この「ポケふた」にはありません。
ピカチュウは皆が知っているからでしょう。でも、絵の中に「P I K A C H U」と、文字が隠されていました。それぞれの文字は赤い矢印の先です。凝ってますね。
靴で踏んづけて歩くマンホール蓋を、そんなにじっくり見る人は居ないでしょうに・・・
横浜にはポケモンポストという郵便ポストもあります。2022年6月30日までだった設置期間が、超人気だったため2026年6月30日に延長され、現在も設置されています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論 ― 2024年09月08日 16時47分56秒
メタセコイヤの林が青々と茂り、鳥のさえずりが木々の間にこだまする生田緑地。
水をたたえた「奥の池」には覆いかぶさるような緑が映りこんでいます。
生田緑地の計画面積179ヘクタール(ha)とういう広大な敷地の中には、日本民家園、伝統工芸館、かわさき宙(そら)と緑の科学館、川崎市岡本太郎美術館、川崎国際生田緑地ゴルフ場、生田緑地ばら苑のほか、「ドラえもん」でお馴染みの藤子・F・不二雄ミュージアムなどの施設が点在します。
川崎市 岡本太郎美術館で開催されている常設展「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」に行ってきました。
屋外に展示されている岡本太郎美術館のシンボルタワー、高さが30メートルもある《母の塔》です。
岡本太郎の母、岡本かの子は多摩川のほとりに生まれ、太郎が誕生したのも母の実家であるこの地です。1964年に、岡本かの子文学碑《誇り》が太郎の手によって、多摩川河畔に建立されましたが、《母の塔》はこの碑と向かい合うように設計されました。
岡本太郎 《母の塔》 原型制作年1971年 構造:鉄骨造/外装:外殻GRCクラッシュパネル仕上 クラッシュタイル/人形彫刻: FRPブロンズ仕上 全高30m
「カフェテリアTARO」前の池に展示されている《樹霊Ⅰ》です。
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の際、《太陽の塔》の地下に展示された作品です。
岡本太郎 《樹霊Ⅰ》 制作年1970年/再制作年1997年 ブロンズ 高さ250cm 幅180cm 奥行100cm
川崎市岡本太郎美術館エントランスです。草がうっそうと茂って、「目もあやなオバケ王国」という展示テーマにぴったりのイメージです。
「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」展は収蔵作品展(常設展)として10月6日(日)まで開催されています。
「目もあやな」という言葉、最近あまり聞かれなくなりました。漢字では「目も綾な」と書きます。目にも鮮やかなという意味があり、眩しいほどに美しい様子を表します。本展では「VIVID」という英訳で表現しています。
会場入口に展示されているのは、《千手》(せんじゅ)という奇妙な作品です。
岡本太郎 《千手》 1975年 アルミニウム
『岡本の作品には人間の内にある真の姿として、オバケのようなキャラクターがたびたび現れます。岡本の冷静かつ無邪気な目線から表現された世界では、ほとんど妖怪に近い姿をなした生き物が駆け回り、生を哄笑します。 本展ではオバケ同様に既存の体制に抗いながらも、愛嬌ある作品を生み出し続けた、岡本が作り出した鮮やかなオバケ王国をご覧ください。』
(『 』内本展案内文のまま)
1950年代後半から、岡本太郎はオバケについて興味を持ち、独自の視点でいくつかの記事を書いています。本展では「現代生活に失なわれているものは、何よりもイマジネーションだ。」と語る岡本太郎が集めたオバケについての資料、過去に語った怖い話やオバケに関する言葉を作品と合わせて紹介し、《夜》 《森の掟》 《駄々っ子》 《ノン》などの著名な作品から、《疾走する眼》 《赤い手》 《青い手》など人気作品を多数展示しています。
第1章:岡本太郎とオバケ
私が大好きな岡本作品 《夜》 が展示してありました。
稲妻のように燃える赤い目、下から忍び寄る足とも手ともつかぬ指、ひそかに覗く髑髏の目、何ともおどろおどろしい絵画ですが、ナイフを隠し持って凛と佇む少女が正義の勝利を予感させます。
1948年に岡本太郎と、評論家の花田清輝が発起人となり、総合芸術運動を掲げて発足した研究会「夜の会」。その名称は、当時岡本のアトリエに掛かっていたこの作品《夜》に因んで付けられました。
岡本太郎 《夜》 1947年 油彩・キャンバス
岡本太郎は長年、資料としてしか見られてこなかった縄文土器の芸術性を再発見し、東北や沖縄に伝わる伝統的行事を取材してフィールドワークを行い、日本に眠っている古代から伝わる「伝統」を再発見しました。カメラを持って各地を回り、写真や文章で記録しています。その際岡本は「なまはげは霊である」というコメントを残しています。
岡本太郎 《なまはげ 秋田》 1957年2月12日 ゼラチン・シルバー・プリント
第2章:美術におけるオバケ
各地を回った際に購入した岡本太郎の収蔵品の数々も展示されています。
第3章:見つめるオバケ
1970年の大阪万博の際に創られた《太陽の塔》は、未来を表す上部の「黄金の顔」と、現在を表す正面胴体部の「太陽の顔」の他に、過去を表す「黒い太陽」が背面に描かれています。
《太陽の塔》背面 1970年 繊維強化プラスチック(FRP)
第4章:目もあやな人間王国
河童(かっぱ)は、日本の水の妖怪とされ、水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいわれています。
《河童像》は青森県小牧温泉(現・星野リゾート青森屋)内の、人口の湖がある公園に設置されていました。
岡本太郎 《河童像》(部分) 1981年 繊維強化プラスチック(FRP)
展示風景
「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」開催概要
開催会場:川崎市 岡本太郎美術館
開催期間:2024年7月12日(金)~2024年10月6日(日)
本日以降の休館日:月曜日(9月16日、9月23日を除く)、9月17日(火)、9月24日(火)
開館時間: 9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料:一般500円、高・大学生・65歳以上300円
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
赤い靴はいてた女の子 ― 2024年04月25日 17時08分08秒
横浜・山下公園にある「赤い靴はいてた女の子」の像です。
1979年に「赤い靴を愛する市民の会⇒赤い靴記念文化事業団(現在は存在していないのかもしれません)」から寄贈されました。
ちょっと悲しそうな表情の少女の像です。
1922年(大正11年)に発表された野口雨情作詩の童謡『赤い靴』のイメージをモチーフにして創られた像で、実話をもとに書かれた詩です。
『赤い靴』 作詞:野口雨情 作曲:本居長世
1、 赤い靴(くつ) 履いてた 女の子
異人(いじん)さんに 連れられて 行っちゃった
2、 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに 連れられて 行っちゃった
3、 今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
4、 赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える
5、 生まれた 日本が 恋しくば
青い海眺めて ゐ(い)るんだらう
異人さんに たのんで 帰って来(こ)
(5番は公表はされなかったものの、1978年になって発見された草稿にあったものです)
この詩は、岩崎かよ の娘である佐野きみ(1902年7月15日 - 1911年9月15日)(佐野は戸籍上の姓)がモデルとされています。
野口雨情が札幌の新聞社に勤めていた1907年頃に岩崎かよ と親交があり、かよ から聞いた話を基に1921年にこの詩を創りました。(曲が完成して発表したのは1922年)
1907年頃 かよ は娘の きみ を養女に出し、その養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことになりました。ヒュエット夫妻が本国に帰る事になった時 きみ も一緒にアメリカに渡ったと母親の かよ は思いこみ、渡米したと信じたまま一生を過ごしました。
実は、ヒュエット夫妻が本国に帰る事になった時 きみ は結核に冒されていて渡米できず、鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」に預けられることになったのです。そして、きみは孤児院で母親に会うこともできないまま、9歳で他界しました。
野口雨情は、娘がアメリカへ渡って生きていると信じ込んでいた母親の話を基に、この詩を創ったのです。
詩の内容も悲しい感じがしますが、そのもとになった現実はもっと悲しいものでした。
※ 以上は定説とされるもので、細かい事実関係で異論を唱える人もいます。
この像のミニチュア版は千個近く作られ、そのうちの一つは横浜駅の中央通路に設置されています。横浜の人は駅での待ち合わせ場所として活用しているのですが、ミニチュア版はかなり小さいのでその存在に気付く人は少ないようです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
石内都「絹の夢-silk threaded memories」 ― 2024年03月31日 11時19分57秒
野毛(横浜市)で一杯飲んだ後、横浜市役所新庁舎直結の馬車道駅から電車に乗ろうと歩いていたら、馬車道駅コンコースに巨大な写真パネルが並んでいました。
「えっ、石内都さんじゃない?・・・」と思って説明板を探したら、壁の隅の方に貼ってありました。
石内都「絹の夢 - silk threaded memories」とあります。
石内都さんは2012年に「絹の夢」という写真集を出版しているので、その中からの抜粋のようです。
馬車道周辺はかつて横浜開港から近代の礎を築いた「生糸貿易」に携わる商館や検査所が置かれ、関東甲信越一円から集積された生糸が欧米へと輸出されていました。
石内都の「絹の夢」で撮影されているのは主に「銘仙(めいせん)」と呼ばれる着物で、屑繭(くずまゆ)の糸を平織した絣(かすり)の絹織物です。
銘仙とは、上物の絹織物には不向きな屑繭などから引いた太めの絹糸を緯糸に使って密に織ったものを指し、絹ものとしては丈夫で安価でした。その為、日本の近代化を支えた女性たちの普段着として愛用されていました。
今回の展示では、銘仙の着物地と共に、繭と生糸、石内さんの生まれ故郷である群馬県の製紙工場など、「絹の夢」シリーズから紡がれた空間が表現されています。
1926年から横浜生糸検査所が設置されていた場所にある横浜第二合同庁舎や、馬車道駅と直結する北仲ノットのKITANAKA BLICK&WHITEでは、横浜開港を機に始まった生糸貿易当時の赤レンガ造りが特徴的な建物を復元あるいは現物保存して、生糸貿易にかかわる歴史を残しています。
(「KITANAKA BLICK」は1926年に建設された歴史的建造物「旧・帝蚕倉庫事務所」をリノベーションしています)
1926年に建設された建物が多いのは、1923年の関東大震災の壊滅的な打撃からの「復興」として建設されたからです。
最近でも能登半島地震が起きて明日で3ヶ月を迎えます。関東大震災をはじめ、阪神・淡路大震災(1995)、東日本大震災(2011)、熊本地震(2016)、能登半島地震(2024)と、地震大国日本ですが、現在の横浜のように必ず復興できることを信じて皆で頑張りましょう。
石内都「絹の夢 - silk threaded memories」
展示場所:横浜高速鉄道・みなとみらい線「馬車道駅」コンコース
展示期間;2024年3月15日(金)~6月9日(日)
観覧料金:無料
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
麻布台ヒルズ33階の展望フロアに行ってきました ― 2024年02月28日 18時21分33秒
2023年11月24日にオープンした、麻布台ヒルズに行ってきました。
オープンとは言ってもテナントは現在も順次開店している状態で、麻布台ヒルズマーケットは3月11日オープンということで工事中です。
エルメスは明日、2月29日オープンとありました。
麻布台ヒルズアリーナのある中央広場もイベントの準備なのか、大部分が閉鎖されていました。
トーマス・ヘザウィック氏が手掛けた《The Cloud》です。単なる屋根ではなく、パブリックアートになっています。
森JPタワー33階のスカイロビーに昇ってみました。B1から33Fまで直行のエレベーターを使います。
全面ガラス張りになっていて素晴らしい景色が広がりますが、北側は見ることが出来ません。
ベンチを兼ねた階段を使って34階へ行くことが出来ます。34階には「Hills House Sky Room Cafe & Bar」というカフェがあり、この店の奥の方の席からも東京タワーを正面に見ることが出来ます。
東京タワーです。
高さは333メートルで、東京スカイツリーの634メートルの半分くらいしかありませんが、東京タワーの人気はいまだに衰えていません。東京のシンボルとして凛とした姿で立っています。
麻布台ヒルズ33階は東京タワーのメインデッキ(海抜150メートル)を見下ろす高さになります。
お台場方面です。
右の方に行くと富士山が見えました。
富士山の右には六本木ヒルズが見えます。高くそびえ立っているのは森タワー、茶色と白のビルは六本木ヒルズレジデンスです。その間、手前にある屋上が白い建物はテレビ朝日本社ビルです。左側遠くの方に小さく富士山が見えます。
麻布台ヒルズにも他の「ヒルズ」と同じようにパブリックアートが点在しています。
ニコライ・バーグマンの《プリザードフラワー》(2023年)です。
バラの花びらだけを1万枚以上使用して重ね合わせ、圧倒的なスケールと高級感を演出しています。
奈良美智《東京の森の子》は樹木のような頭部を持つブロンズ像で、高さは約7メートルあります。
麻布台ヒルズは「自然との共生」を理念のひとつとしています。針葉樹を思わせる《東京の森の子》はここに立ち、周囲の緑と調和しながらも強い存在感を放っています。
霊友会釈迦殿の屋根の向こうに東京タワーが見えました。
麻布台ヒルズに直結して八幡神社があります。八幡神社は各地にあるので、他との区別の都合上、旧地名を冠して西久保八幡神社(にしくぼはちまんじんじゃ)ともいわれます。
左が麻布台ヒルズ森JPタワー、右は麻布台ヒルズレジデンスです。
狛犬の向こうで森JPタワーが輝いていました。過去と現在、未来が融合する街ですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
座ることを拒否する椅子 ― 2024年02月08日 11時41分11秒
Yamanote Line Museum NiJi$uKe氏のWALL ART ― 2023年10月05日 11時16分42秒
JR上野駅の改札内連絡通路で展開している「Yamanote Line Museum」で、 NiJi$uKe(土居虹亮)氏のWALL ART(ウォールアート)が展示されていました。
NiJi$uKe氏の作品は昨年に続き、第2弾になります。(昨年の展示はこちら)
各作品は販売もしています。
場所は、上野駅公園改札に近い改札内の連絡通路で、駅舎としては3階になります。公園改札を入ってすぐの通路を右に曲がった所なので、感覚的には1階だと錯覚します。
前回に引き続き、上野動物園で飼育されている動物たちがカラフルなタッチで描かれています。
ジャイアントパンダとハシビロコウ、これは欠かせませんね。
私は上野駅へ時々行く割には連絡通路はあまり使わないので気付かなかったのですが、サインには2023.8.7 とあります。来年2月7日まで展示される予定です。
この花束は、上の写真一番左にいるゾウさんの鼻が持っている花です。
JR東日本の本展に関する広報サイトはこちら(PDF)。
「Yamanote Line Museum」公式サイトはこちら。
「NiJi$uKeの自己紹介!」はこちら。
NiJi$uKe氏公式サイトはこちら。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
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