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挑む 岡本太郎展2021年05月14日 19時01分53秒

岡本太郎美術館で、企画展「挑む 岡本太郎展」が開催されています。
岡本太郎美術館
「芸術は爆発だ!」という言葉で知られている、岡本太郎。
本展は、絵画だけではなく彫刻、パブリックアート、写真、日用品などのインダストリアルデザインと、さまざまなジャンルの制作に精力を注いだ岡本太郎の、幼少の頃からの「挑み」を年代順にまとめた展覧会になっています。

常設展の会場を抜けると、企画展 「挑む」 の会場になります。
挑む 岡本太郎展
本展では、岡本太郎の人生と作品を時代ごとに7つの章で構成し、挑み続けた岡本太郎の足跡を、多彩な作品と岡本の言葉とともに紹介しています。


1.プロローグ 少年太郎が挑む
挑む 岡本太郎展

1911年(明治44年)、岡本太郎は漫画家・岡本一平と、歌人、小説家、仏教研究科として広く知られた岡本かの子の長男として生まれました。
上の写真は1923年(大正12年)、慶應義塾幼稚舎6年の頃です。

左) 岡本太郎 《観音様》 1950年頃 紙、墨、絵具 
右) 岡本一平画・岡本かの子書 《かの子観音》 制作年不明 紙、墨、絵具

母、岡本かの子の文学碑となった作品です。かの子文学の支持者と、川端康成、瀬戸内晴美(のちに寂聴)、建築家の丹下健三らの協力により、かの子の生地(川崎市高津区二子)に建てられている《誇り》の原型です。
二子にある文学碑の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」と刻まれています。
岡本太郎 《誇り》 1962年 繊維強化プラスティック(FRP)

1929年(昭和4年)、父一平が朝日新聞社の特派員として渡欧することになりました。太郎は慶應義塾普通部を卒業し、東京美術学校に入学したばかりでした。
一平・かの子が渡欧時に着ていた衣裳なども展示されています。
渡欧後、太郎は絵を学ぶため一人パリに残り、芸術家を目指し始めたのでした。


2.青春時代 パリに挑む
挑む 岡本太郎展
著名な父母を持ち、パリでの勉学を目指した太郎は、セザンヌやピカソの作品との出会いを経て、前衛芸術家や思想家たちと共に最先端の芸術運動に身を投じました。

岡本太郎 《空間》 1934年/54年再制作 油彩、キャンバス

岡本太郎 《痛ましき腕》 1936年/49年再制作 油彩、キャンバス


 3.四番目主義 戦争に挑む
挑む 岡本太郎展
第2次世界大戦がはじまった翌年の1940年(昭和15年)、パリにドイツ軍が侵攻し、岡本太郎は日本に帰国しました。
ニ科展に出品し個展を開催するなど、パリでの成果を発表していましたが、徴兵され中国に渡り、軍隊と収容所で死と隣り合わせの過酷な5年間に挑むことになります。
展示風景  (絵は 《師団長の肖像》 1943年 油彩、キャンバス)


4.戦後 日本の美術界に挑む
挑む 岡本太郎展
1946年に復員した岡本は、青山の自宅もパリで描いた作品も、戦火のためすべてを焼失してしまいました。
ゼロからスタートすることになった岡本は、東京都港区青山にアトリエを構え、精力的に芸術活動に挑みます。
日本でも芸術前衛運動を開始し、言論活動と制作活動を同時に展開していきます。旧態依然とした日本の美術界に前衛芸術の旋風を巻き起こしました。

挑む 岡本太郎展
展示風景

私の大好きな岡本太郎作品 《夜》 です。
寒々とした冷気を漂わせた樹木は、こちらを睨みつける顔のようにも見え、その陰から見つめる髑髏(どくろ)。 それに独り凛として立ち向かう少女の手には小刀が持たれています。
復員後、旧態依然とした日本画壇に芸術運動で挑んでいた頃の作品です。
岡本太郎 《夜》 1947年 油彩、キャンバス

岡本太郎 《森の掟》 1950年 油彩、キャンバス


 5.日本探究 孤独な戦いに挑む
挑む 岡本太郎展
「縄文土器」に日本人の精神の源流を見いだした岡本は、日本の文化の源流を求め日本各地を巡る取材旅行を重ねました。

岡本太郎 《跳ぶ》 1963年 油彩、キャンバス

ちょっとユーモラスな作品です。岡本太郎は、ユーモアのある絵画や彫刻も数多く残しています。
タイトルは 《 ノン 》 。 「新型コロナウィルス、来ないで!」と言っているようです。


6.大衆のなかへ 社会に挑む
挑む 岡本太郎展
芸術は個人が独占するものではなく、一般の人々に広く開かれたものであるべきと考えた岡本太郎は、日本各地に数多くのパブリックアートを設置しました。
そして、モザイクアートや陶板レリーフを用いた壁画を造り、建築やインダストリアルデザインの制作なども行ないました。

挑む 岡本太郎展
展示風景

岡本太郎のパブリックアートの代表作の一つである 《太陽の塔》
『 そこで私は逆に時空を超えた、絶対感。馬鹿みたいに、ただどかんと突っ立った「太陽の塔」を作ったのだ。現代の惰性への激しい挑みの象徴として。
 ・・・・・中略・・・・・
あれは孤独で、太陽に向かい、大地に向かって挑みつづけるだろう。 』
(「画文集 挑む」 講談社 1977年 より)

岡本太郎 《マミ会館・模型》 1968年 繊維強化プラスティック(FRP)

名古屋の「オリエンタル中村百貨店(1977年から三越の傘下)」の外壁に1971年から設置された、「光るレリーフ大壁画」の原型です。
岡本太郎 《星、花、人》 1971年 木、プラスティック、LED

港区・青山にあった「こどもの城」のモニュメント 《こどもの樹》 です。
「こどもの城」は2015年に閉館しましたが、このモニュメントは地域の象徴として親しまれてきたとして、敷地内に残す予定です。
岡本太郎 《 こどもの樹 》 1985年 繊維強化プラスティック(FRP)


7.エピローグ 挑み続ける人生
挑む 岡本太郎展
『 生甲斐をもって猛烈に生きること。自分の内にある、いいようのない生命感、神秘のようなもの、それを太々とぶつけて出したい。 』
(「週刊朝日」 朝日新聞出版 1965年7月)

岡本太郎 《 挑む》 1980年 紙、墨、絵具 

岡本太郎 《 挑み》 1980年 油彩、キャンバス

岡本太郎 《動物》 1983年 繊維強化プラスティック(FRP)

陶板レリーフ展示風景

岡本太郎 《未来を拓く》 1987年 繊維強化プラスティック(FRP)

会場出口には《太陽の塔》の顔ハメなどが展示してあるフォトスポットがあります。
岡本太郎さんもマスクをして、感染予防をしていました。


「挑む 岡本太郎展」開催概要
開催会場:川崎市 岡本太郎美術館
開催期間:4月24日(土)~7月4日(日)
休館日: 月曜日
開館時間: 9:30-17:00 (入館16:30まで)
観覧料: 一般900(720)円、高・大学生・65 歳以上700(560)円、中学生以下は無料
  ※( )内は20名以上の団体料金
  ※常設展示とセットの料金です(この料金で常設展も見られます)



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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