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ロイヤルテン(Royal Ten) チューリップ2021年05月10日 19時17分33秒

ロイヤル テン(Royal Ten)
ロイヤルテン(Royal Ten) チューリップ

ロイヤルテン(Royal Ten) チューリップ
トライアンフ系(T:Triumph)でカップ型のチューリップです。
花の色は明るいピンクで、花冠の底は白い色をしています。

航海練習船「青雲丸」2021年05月11日 17時33分53秒

新型コロナウィルスの感染者が1名確認されたため、クルーズを中断して5月1日に横浜港に帰って来た飛鳥Ⅱ。
帰港した日の夕方に、「横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)」から「新港ふ頭客船ターミナル」に移動しています。
飛鳥Ⅱ

飛鳥Ⅱ
「新港ふ頭客船ターミナル」は、商業施設とホテルも併設する複合施設、「横浜ハンマーヘッド」として2019年10月にオープンしました。
新港ふ頭客船ターミナルへの“初入港船”は、2019年11月4日に着岸した「ダイヤモンド・プリンセス」です。
日本人が新型コロナウィルス感染症を強く認識したのは、「ダイヤモンド・プリンセス」の船内感染(723人)からではないでしょうか。

いつも飛鳥Ⅱが停泊している「横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)」には違う船が停泊しています。
海技教育機構の練習船「青雲丸」
飛鳥Ⅱ(50,444トン)よりかなり小さい船ですが、クルーズ船ではなさそうです。
海技教育機構の練習船「青雲丸」
クレーンが付いています。船の名前は「青雲丸」。 お線香でも運ぶのかな?
海技教育機構の練習船「青雲丸」

家に帰って調べて見ると、「青雲丸」は独立行政法人海技教育機構が保有する航海練習船です。
この「青雲丸」は、1968年に建造された「初代・青雲丸」に替わって1997年に竣工した2代目です。
海技教育機構の練習船「青雲丸」
総トン数は5,890トン、全長116m、全幅17.9m(フィン張出時約23m)です。

「青雲丸」にもラットガードが付いていました。
客船「にっぽん丸」ほどではありませんが、猫が描かれた、まあまあ可愛いめのラットガードです。
海技教育機構の練習船「青雲丸」のラットガード



今日もご覧いただき、ありがとうございました。

パープル クリスタル(Purple Cristal) チューリップ2021年05月11日 18時39分10秒

パープル クリスタル(Purple Cristal)
パープル クリスタル(Purple Cristal) チューリップ

パープル クリスタル(Purple Cristal) チューリップ
チューリップといえば「♪な~らんだ な~らんだ 赤、白、黄色」が定番ですが、珍しい紫色のチューリップです。紫色の花の元の方はクリームホワイトになります。
フリンジ系(FR:Fringed)で、シックなパープルカラーが目を引きます。

神7 ちどり2021年05月12日 16時39分39秒

4月22日から運行を開始している都市型循環式ロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN (ヨコハマ エア キャビン)」の下の運河に、横浜水上警察署の警備艇「神7 ちどり」がやってきました。
横浜水上警察署に所属する警備艇は、
神1 しょうなん 1997年就役、41トン
神2 あしがら 2009年就役、21トン
神3 つるぎ(旧そうぶ) 2013年就役、10トン
神5 はこね 2011年就役、10トン
神6 みうら 2009年就役、10トン
神7 ちどり 1993就役、1.5トン
神8 はやかぜ 2016年就役、10トン
神11 やまゆり 1994年就役、1.3トン
があり、他に水上バイク2艇が配備されています。

「神7 ちどり」は、総トン数1.5トン、全長5.44mという小さな船で、乗船定員は乗務船員を含めて5人です。 
1993年(平成5年)に就役しました。 就役年を見てみると、現役の警備艇の中では一番古いようです。
神奈川県横浜水上警察署 警備艇「神7 ちどり」
小型なので小回りが利いて、狭い運河などにも余裕で入っていけます。
神奈川県横浜水上警察署 警備艇「神7 ちどり」
運河パーク横の運河から、港の方へ向かっていきました。
神奈川県横浜水上警察署 警備艇「神7 ちどり」


港へ出て広くなると、一気にスピードを上げます。 このまま飛んでいってしまうんじゃないかと思う程船首を上げて突っ走ります。
神奈川県横浜水上警察署 警備艇「神7 ちどり」

神奈川県横浜水上警察署 警備艇「神7 ちどり」

神奈川県横浜水上警察署 警備艇「神7 ちどり」


横浜水上警察署の船溜まりです。 真ん中にいる、ちっちゃな船が「神7 ちどり」です。
(写真をクリック又はタッチして拡大して見ないと、何処にいるのか分からないくらいです。)



今日もご覧いただき、ありがとうございました。

オリンピック フレーム(Olimpic Flame) チューリップ2021年05月12日 17時41分30秒

オリンピック フレーム(Olimpic Flame)
オリンピック フレーム(Olimpic Flame) チューリップ

オリンピック フレーム(Olimpic Flame) チューリップ
ダーウィンハイブリッド系(DH:Darwin Hybrids)で、早咲きのチューリップです。
黄色に濃いオレンジ色のラインが入り、明るく輝くような花色です。

サルビア・ミクロフィラ ホット・リップス2021年05月13日 14時02分37秒

サルビア・ミクロフィラが咲いていました。
サルビア・ミクロフィラ(学名: Salvia microphylla)は、シソ目、シソ科、アサギリ属に属する常緑小低木で、花びらから“さくらんぼ”のような香りがすることから、チェリーセージと呼ばれる植物の一種になります。
サルビアミクロフィラ ホットリップス
サルビア・○○○ という仲間は多くの種類があるのですが、これはホット・リップスという種類です。
サルビアミクロフィラ ホットリップス
基本的には花びらの根元が白く先端が赤いバイカラーですが、生育環境により花びら全て赤や、全て白だけの場合もあります。
サルビアミクロフィラ ホットリップス
2つの花が対になって咲き、ウサギの顔のようにも見えるかわいい花です。



今日もご覧いただき、ありがとうございました。

バラード(Ballade) チューリップ2021年05月13日 15時19分35秒

バラード(Ballade)
バラード(Ballade) チューリップ
紫色の花弁に白い縁取りが入る、ユリ咲き系(L: Lily-Flowered)のチューリップです。
バラード(Ballade) チューリップ
集団でこちらを向いて、何かを叫んでいるようにも見えます。 (?)

挑む 岡本太郎展2021年05月14日 19時01分53秒

岡本太郎美術館で、企画展「挑む 岡本太郎展」が開催されています。
岡本太郎美術館
「芸術は爆発だ!」という言葉で知られている、岡本太郎。
本展は、絵画だけではなく彫刻、パブリックアート、写真、日用品などのインダストリアルデザインと、さまざまなジャンルの制作に精力を注いだ岡本太郎の、幼少の頃からの「挑み」を年代順にまとめた展覧会になっています。

常設展の会場を抜けると、企画展 「挑む」 の会場になります。
挑む 岡本太郎展
本展では、岡本太郎の人生と作品を時代ごとに7つの章で構成し、挑み続けた岡本太郎の足跡を、多彩な作品と岡本の言葉とともに紹介しています。


1.プロローグ 少年太郎が挑む
挑む 岡本太郎展

1911年(明治44年)、岡本太郎は漫画家・岡本一平と、歌人、小説家、仏教研究科として広く知られた岡本かの子の長男として生まれました。
上の写真は1923年(大正12年)、慶應義塾幼稚舎6年の頃です。

左) 岡本太郎 《観音様》 1950年頃 紙、墨、絵具 
右) 岡本一平画・岡本かの子書 《かの子観音》 制作年不明 紙、墨、絵具

母、岡本かの子の文学碑となった作品です。かの子文学の支持者と、川端康成、瀬戸内晴美(のちに寂聴)、建築家の丹下健三らの協力により、かの子の生地(川崎市高津区二子)に建てられている《誇り》の原型です。
二子にある文学碑の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」と刻まれています。
岡本太郎 《誇り》 1962年 繊維強化プラスティック(FRP)

1929年(昭和4年)、父一平が朝日新聞社の特派員として渡欧することになりました。太郎は慶應義塾普通部を卒業し、東京美術学校に入学したばかりでした。
一平・かの子が渡欧時に着ていた衣裳なども展示されています。
渡欧後、太郎は絵を学ぶため一人パリに残り、芸術家を目指し始めたのでした。


2.青春時代 パリに挑む
挑む 岡本太郎展
著名な父母を持ち、パリでの勉学を目指した太郎は、セザンヌやピカソの作品との出会いを経て、前衛芸術家や思想家たちと共に最先端の芸術運動に身を投じました。

岡本太郎 《空間》 1934年/54年再制作 油彩、キャンバス

岡本太郎 《痛ましき腕》 1936年/49年再制作 油彩、キャンバス


 3.四番目主義 戦争に挑む
挑む 岡本太郎展
第2次世界大戦がはじまった翌年の1940年(昭和15年)、パリにドイツ軍が侵攻し、岡本太郎は日本に帰国しました。
ニ科展に出品し個展を開催するなど、パリでの成果を発表していましたが、徴兵され中国に渡り、軍隊と収容所で死と隣り合わせの過酷な5年間に挑むことになります。
展示風景  (絵は 《師団長の肖像》 1943年 油彩、キャンバス)


4.戦後 日本の美術界に挑む
挑む 岡本太郎展
1946年に復員した岡本は、青山の自宅もパリで描いた作品も、戦火のためすべてを焼失してしまいました。
ゼロからスタートすることになった岡本は、東京都港区青山にアトリエを構え、精力的に芸術活動に挑みます。
日本でも芸術前衛運動を開始し、言論活動と制作活動を同時に展開していきます。旧態依然とした日本の美術界に前衛芸術の旋風を巻き起こしました。

挑む 岡本太郎展
展示風景

私の大好きな岡本太郎作品 《夜》 です。
寒々とした冷気を漂わせた樹木は、こちらを睨みつける顔のようにも見え、その陰から見つめる髑髏(どくろ)。 それに独り凛として立ち向かう少女の手には小刀が持たれています。
復員後、旧態依然とした日本画壇に芸術運動で挑んでいた頃の作品です。
岡本太郎 《夜》 1947年 油彩、キャンバス

岡本太郎 《森の掟》 1950年 油彩、キャンバス


 5.日本探究 孤独な戦いに挑む
挑む 岡本太郎展
「縄文土器」に日本人の精神の源流を見いだした岡本は、日本の文化の源流を求め日本各地を巡る取材旅行を重ねました。

岡本太郎 《跳ぶ》 1963年 油彩、キャンバス

ちょっとユーモラスな作品です。岡本太郎は、ユーモアのある絵画や彫刻も数多く残しています。
タイトルは 《 ノン 》 。 「新型コロナウィルス、来ないで!」と言っているようです。


6.大衆のなかへ 社会に挑む
挑む 岡本太郎展
芸術は個人が独占するものではなく、一般の人々に広く開かれたものであるべきと考えた岡本太郎は、日本各地に数多くのパブリックアートを設置しました。
そして、モザイクアートや陶板レリーフを用いた壁画を造り、建築やインダストリアルデザインの制作なども行ないました。

挑む 岡本太郎展
展示風景

岡本太郎のパブリックアートの代表作の一つである 《太陽の塔》
『 そこで私は逆に時空を超えた、絶対感。馬鹿みたいに、ただどかんと突っ立った「太陽の塔」を作ったのだ。現代の惰性への激しい挑みの象徴として。
 ・・・・・中略・・・・・
あれは孤独で、太陽に向かい、大地に向かって挑みつづけるだろう。 』
(「画文集 挑む」 講談社 1977年 より)

岡本太郎 《マミ会館・模型》 1968年 繊維強化プラスティック(FRP)

名古屋の「オリエンタル中村百貨店(1977年から三越の傘下)」の外壁に1971年から設置された、「光るレリーフ大壁画」の原型です。
岡本太郎 《星、花、人》 1971年 木、プラスティック、LED

港区・青山にあった「こどもの城」のモニュメント 《こどもの樹》 です。
「こどもの城」は2015年に閉館しましたが、このモニュメントは地域の象徴として親しまれてきたとして、敷地内に残す予定です。
岡本太郎 《 こどもの樹 》 1985年 繊維強化プラスティック(FRP)


7.エピローグ 挑み続ける人生
挑む 岡本太郎展
『 生甲斐をもって猛烈に生きること。自分の内にある、いいようのない生命感、神秘のようなもの、それを太々とぶつけて出したい。 』
(「週刊朝日」 朝日新聞出版 1965年7月)

岡本太郎 《 挑む》 1980年 紙、墨、絵具 

岡本太郎 《 挑み》 1980年 油彩、キャンバス

岡本太郎 《動物》 1983年 繊維強化プラスティック(FRP)

陶板レリーフ展示風景

岡本太郎 《未来を拓く》 1987年 繊維強化プラスティック(FRP)

会場出口には《太陽の塔》の顔ハメなどが展示してあるフォトスポットがあります。
岡本太郎さんもマスクをして、感染予防をしていました。


「挑む 岡本太郎展」開催概要
開催会場:川崎市 岡本太郎美術館
開催期間:4月24日(土)~7月4日(日)
休館日: 月曜日
開館時間: 9:30-17:00 (入館16:30まで)
観覧料: 一般900(720)円、高・大学生・65 歳以上700(560)円、中学生以下は無料
  ※( )内は20名以上の団体料金
  ※常設展示とセットの料金です(この料金で常設展も見られます)



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

acure 青森りんごシリーズ2021年05月14日 22時22分22秒

JR東日本・駅構内の飲料自動販売機で時々見かける「acure 青森りんごシリーズ」。
acure 青森りんごシリーズ
新横浜駅の自動販売機で「つがる」「トキ」「ふじ」の3種類を売っていたので買ってしまいました。
各170円です。
「青森りんごシリーズ」はこの3種類の他に「ジョナゴールド」、「王林」と、ブレンドの「りんご」がありますが「王林」と「ジョナゴールド」は現在販売されていません。
「世界一」も以前、期間限定で販売されたことがあります。
現在販売されている単一品種を使った「青森りんごシリーズ」は今回見つけた3種類だけなので、嬉しくなって3つとも買ってしまった次第です。
バッグに3つも入れたのでパンパンに膨らんでしまいました。 バッグと一緒に、期待に胸を膨らませて、いそいそと帰って来たのであります。

岡本太郎美術館 常設展2021年05月15日 18時03分44秒

「川崎市 岡本太郎美術館」へ行ってきました。

館名の頭にわざわざ「川崎市」と入れているのは、東京都世田谷区の岡本太郎のアトリエがあった場所に、「岡本太郎記念館」という美術館があるからだと思います。
岡本太郎美術館
岡本太郎美術館は、岡本太郎(1911年~1996年)から寄贈された作品1779点を収蔵・展示する美術館として、1999年に開館しました。
太郎の生地である川崎市の、生田緑地という都市公園の中にある、緑に囲まれた美術館です。

池の中にも作品が展示されています。
岡本太郎 《 樹霊 》 1970年/97年再制作 ブロンズ

美術館横の広場にある、岡本太郎美術館のシンボルタワー、《 母の塔 》です
岡本太郎の母・岡本かの子は、多摩川のほとり(川崎市高津区)に生まれ、生涯この地を愛した文学者でした。太郎が誕生したのも、母の実家であるこの地です。
「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」と「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」、「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をイメージして制作された原型をもとに、岡本太郎の意図を忠実に再現して、この塔は製作されました。
岡本太郎 《 母の塔 》 1971年原型制作 鉄骨造 (塔体パイプトラス+鋳鋼ジョイント)、 外装;外殻GRCクラッシュパネル仕上 クラッシュタイル(スコルト加工) 人形彫刻 FRPブロンズ仕上 16体 内部:常温亜鉛メッキ鉄骨補強 全高30メートル


常設展の展示室に順路は無く自由に鑑賞できますが、迷路のようになっているのでお見逃しの無いように・・・

入口です。
岡本太郎美術館



岡本太郎 《 豊穣の神話 》 1971年 油彩、キャンバス、板

岡本太郎 《 太陽の塔 》 1970年 繊維強化プラスティック(FRP)

背中に植物を植えるための3つの穴があります。とぼけた顔がユーモラスです。
岡本太郎 《 犬の植木鉢 》 1955年 陶器

自らの手で原形を成型して焼き上げられたティーセット《 夢の鳥 》は岡本自身も気に入り、自宅でも愛用していたということです。
『変わった色、形をしているが、実用と夢がとけあった、情感的な生きものなのだ』(岡本太郎 談)
岡本太郎 ティーセット《 夢の鳥 》 1977年 磁器


岡本太郎 《 若い太陽の顔 》 1969年 繊維強化プラスティック(FRP)


東京・数寄屋橋公園に立っている時計台の原型です。
岡本太郎 《 若い時計台 》 1966年 アルミニウム


アンパンマンみたいな顔ですね。頭に穴が開いていて中は空っぽの、壺です。
岡本太郎 《 顔の大壺 》 1987年 陶器

常設展の展示を抜けると、企画展の部屋に向かう通路があります。
企画展は、7月4日まで「挑む 岡本太郎展」が開催されています。


住所:川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合は除く) 祝日の翌日(祝日の翌日が土日にあたる場合を除く) 年末年始、他に臨時休館日あり
入館料金:開催する展覧会によって異なります。公式ホームページで確認して下さい。
  ※7月4日までは一般 900円、高・大学生・65歳以上 700円、中学生以下無料です。
  ※割引制度や他施設との共通利用券あり。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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