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伊豆の踊子(Izu no Odoriko) バラ2022年01月17日 07時22分53秒

伊豆の踊子(Izu no Odoriko) バラ
伊豆の踊子(Izu no Odoriko) バラ
作出年:2001年 作出国:フランス( メイアン Meilland ) 系統:フロリバンダ (F: Floribunda)

伊豆の踊子(Izu no Odoriko) バラ
鮮やかな黄色の半剣弁高芯咲きの花は咲き進むとロゼット咲きになり、ひとつの枝に5~6輪の花が咲きます。
パリ市の技術協力によりパリ・バガテル公園の姉妹園として2001年、静岡県河津町に河津バガテル公園が開園しました。これを記念してパリ・河津友好の証として贈呈されたバラが伊豆の踊り子です。1968年にノーベル賞(文学賞)を受賞した川端康成の代表作「伊豆の踊子」にちなんで名付けられました。 海外では、カルト・ドール(Carte d'Or)という名が付いています。

落ちない大仏!「上野大佛」2022年01月17日 17時17分17秒

大学入学共通テストも昨日で終わり、受験生たちは ほっとしながらも不安でいっぱいだと思います。

そんな中、毎年受験シーズンになると参拝の人でにぎわうのが、「上野合格大佛」(上野大佛)です。

寛永8年(1631年)、 この地に漆喰の釈迦如来坐像が建立されました。
正保4年(1647年)、 正保相模の地震により倒壊。
慶安2年(1649年)には慶安川越地震により、“頭部が落下” してしまいました。
明暦・万治の頃(1655年 - 1660年頃)に高さ6メートルの銅仏として再興され、元禄11年(1698年)に露座であった大仏に仏殿が建立されます。
天保12年(1841年)に火災により損傷し、修復されるも、
安政2年(1855年)、安政江戸地震により、頭部が破損。
明治6年(1873年)には上野恩賜公園の整備のため大仏殿が解体され、露座に戻ってしまいます。

大正12年(1923年)の関東大震災により “頭部が落下”。頭部が大破し、仏像は解体され寛永寺が保管することになりました。
ところが、昭和15年(1940年)、軍需金属資源として「顔面部」を除く頭部、胴部以下が供出され、消滅してしまったのです。
昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置することになりましたが、顔面部以外は戦争で徴用されてしまって、戻ってきません。安置された顔面部はこれ以上落ちようがありません。

今や、「落ちない」大仏として、受験生や親たちの信仰を一身に、いや、一顔に集めています。



絶対に落ちない!合格大仏です。 受験生の皆さん、よかったら拝んでください。ご利益があるかもしれません。 お寺の仏像なので、手はたたかないでね。




今日もご覧いただき、ありがとうございました。
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