「岡本太郎と太陽の塔―万国博に賭けたもの」岡本太郎美術館 ― 2025年06月01日 20時43分50秒
10月13日まで開催されている、「大阪・関西 万国博覧会」。
最寄り駅の「夢洲(ゆめしま)駅」と間違えて、「万博記念公園駅」へ行ってしまう人が多いようです。
万博記念公園は1970年に開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)の会場でした。大阪万博は当初の目標入場者数3,000万人に対して6,421万8,770人が入場したという、大成功の博覧会でした。
テーマ展示プロデューサーに就任した岡本太郎が会場中心に据えた「太陽の塔」は、建設当時、独特の外観で賛否を巻き起こしましたが、現在では国の重要文化財に指定される貴重な建造物として保存されています。
現在、川崎市岡本太郎美術館では「岡本太郎と太陽の塔 ― 万国博に賭けたもの」と題して、太陽の塔と地下展示を探る展覧会が開催されています。
「太陽の塔」は、日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)のテーマ館の一部として建造され、万博終了後55年が経った今も、万博記念公園に残されています。
高さ70メートルの巨大な塔で、正面中央・上部・背面に付いた3つの顔と、左右の腕が外観上の大きな特徴となっています。
上の「黄金の顔」は未来を象徴し、中央の「太陽の顔」は現在を象徴しています。 また、背面にある「黒い太陽」は過去を象徴しています。
内部の地下空間にも、人間の祈りや心の源を表す「地底の太陽(太古の太陽)」と呼ばれる「第4の顔」(直径3メートル、全長11メートル)が設置されていましたが、行方不明になってしまいました。現在展示されている「地底の太陽」は、復元されたレプリカです。
塔の内部は「生命の樹」と呼ばれる生物の進化というテーマに沿った展示物が置かれており、現在も事前予約制で一般公開されています。
《明日の神話》は、「太陽の塔」と対をなす岡本太郎の代表作で、1968年から翌年にかけて同時制作され、岡本太郎によるパブリックアートの代表作ともなっています。
メキシコで製作された本作は長年行方不明となっていましたが、2003年に発見され、修復を経て、2008年10月から渋谷区の渋谷マークシティ内の、JRと京王井の頭線を結ぶ連絡通路に恒久設置されました。
岡本太郎美術館が所蔵する原画は壁画の約1/3のサイズですが、それでも長さは10メートル以上あります。
岡本太郎 《明日の神話》(あすのしんわ) 1968年 油彩 キャンバス 177.0×1087.5cm 岡本太郎美術館蔵
第五福竜丸の被爆に着想を得て制作された、原爆の炸裂という悲惨な体験を乗り越え再生する人々のたくましさを描いたとされる作品ですが、所々に岡本太郎らしいユーモアとかわいらしさを見ることが出来ます。
下の写真は渋谷駅に展示されている《明日の神話》です。(2021年12月撮影)
製作中の《明日の神話》と岡本太郎 1968年9月
日本万国博テーマ館の地下展示(根源の世界)に展示され、展示の核となっていた《樹霊 Ⅰ》です。
岡本太郎 《樹霊Ⅰ》 1970年 繊維強化プラスチック(FRP) 川崎市岡本太郎美術館蔵
日本万国博覧会開催前年の1969年3月に造られ、《太陽の塔》と兄弟に例えられる《若い太陽の塔》です。
日本モンキーパークのシンボルタワーとなっており、日本モンキーパークのパブリックアートは高さ26メートルで、直径4メートルの顔と11本の炎で燃え立つ太陽を表しています。
岡本太郎 《若い太陽の塔》 繊維強化プラスチック(FRP) 岡本太郎美術館蔵
本展は、民族学を源泉とし、国内の取材旅行を通して形成された岡本の思想から、「太陽の塔」と地下展示を探る展覧会です。「太陽の塔」の制作記録や同時期の作品を通して塔の内外が形作られた過程をたどっています。
また、国内外の仮面や神像等を展示し、岡本のいう「今日の文明が失ってしまった人間の原点」に迫ります。
展示は
第1章 民族学との出会い ―パリ時代の岡本太郎
第2章 人間の原点を求めて ―取材旅行と執筆活動
第3章 万国博前夜 ―《明日の神話》と《太陽の塔》
第4章 太陽の塔の地下空間
第5章 万国博が残したもの
と、5つの章で構成されています。
展示風景
図録は税込1,060円でした。
「岡本太郎と太陽の塔―万国博に賭けたもの」開催概要
開催会場:川崎市岡本太郎美術館 企画展示室
開催期間:2025年04月26日 (土)-2025年07月06日 (日)
休館日:月曜日
開館時間:9:30-17:00 (入館16:30まで)
観覧料金:一般900円、高・大学生・65歳以上700円 ※中学生以下は無料
同時開催 常設展「オカモト・ア・ラ・モード おしゃれの法則」にも入場できます
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
新造客船「飛鳥Ⅲ」横浜に初入港 ― 2025年06月02日 21時35分09秒
今朝8時頃、横浜港を母港とする郵船クルーズ(愛称:飛鳥クルーズ)の新造客船「飛鳥Ⅲ(ASUKAⅢ)」が横浜に初入港してきました。横浜ベイブリッジの下をくぐってやってきます。
横浜市消防局の消防艇「よこはま」による歓迎放水が行われています。
郵船クルーズ株式会社は「飛鳥Ⅱ」という外航客船を所有していますが、今後は「飛鳥Ⅲ」と2隻での運用になります。
飛鳥Ⅲは、総トン数52,265トン、全長230m、全幅29.8mで、乗客数740名、乗組員数は470名です。
飛鳥Ⅱは、総トン数50,444トン、全長241m、全幅29.6mで、乗客数872名、乗組員数490名です。
ほぼ同じ大きさと言っていいのではないでしょうか。
ドイツの造船会社、マイヤー ヴェルフトにて建造されました。
横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)に接岸します。
大さん橋の左側に、横浜ランドタークタワーを代表とする、みなとみらい21エリアの高層ビル群が並んでいます。
ブリッジ辺りを正面から見てみました。
船首上に見える橋は「横浜ベイブリッジ」です。
「飛鳥Ⅲ」船体の船名板は、書道家の矢萩春恵(やはぎしゅんけい)が揮毫したものです。
矢萩春恵さんは、心不全の為昨年5月に96歳で死去されました。
遠く、横浜マリンタワーと氷川丸が見えます。
母港は飛鳥Ⅱと同じ横浜になります。船籍は日本です。
今日横浜に初入港した飛鳥Ⅲは、大さん橋国際客船ターミナルに停泊し、7月20日のデビューに向けた最終調整や習熟航海を行う予定だということです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
海上自衛隊の護衛艦 いなづま(DD-105)が横浜に ― 2025年06月03日 15時06分27秒
昨日の朝、横浜の山下公園にいたら、海上自衛隊の護衛艦らしき船が目の前を通っていきました。
艦首に「105」と書かれていることから調べてみると、海上自衛隊の護衛艦「いなづま(DD-105)」でした。
横浜港に米軍施設はありますが、自衛隊の港湾施設はありません。なぜこんな所に迷い込んできたんでしょう。
護衛艦「いなづま(DD-105)」は、全長151m、最大幅17.4mで、基準排水量4,550トン、満載排水量6,100トンになります。
三菱重工業長崎造船所で1997年に起工され、1998年進水、2000年3月に就役しました。
海上自衛隊の第4護衛隊群 第4護衛隊に編入され、広島県の呉に配備されています。
そういえば、昨日は横浜の開港記念日でした。その前日と前々日の土・日に、護衛艦の一般公開があったようです。その役目を終えての帰港途中なんでしょう。
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ボッシュ本社ビルの「café 1886 at Bosch」 ― 2025年06月04日 15時40分10秒
昨年5月、横浜市都筑区のセンター北駅近くに、日本におけるボッシュグループの新本社ビルが完成し、日本全体のボッシュ(BOSCH)グループ従業員約6,400名のうち、約2,000名がこの地に集約されました。
ボッシュ(Bosch)は、ドイツのゲルリンゲンに本社を置く多国籍エンジニアリング・テクノロジー企業です。自動車部品や電動工具を始めとして、多岐に渡る製品を開発、製造しています。
日本のボッシュ株式会社は、ボッシュ・グループに属し、日本において自動車部品の開発・製造・販売、および自動車機器や電動工具などの輸入・販売を行っています。
以前は渋谷にあった本社が、規模を拡大して横浜に移転したことになります。SDGs(エス・ディー・ジーズ)への取り組みを意識した、近代的でスタイリッシュなビルです。
それに合わせて、渋谷の本社にあったカフェ「café 1886 at Bosch」も横浜に移転しています。
1886はボッシュがドイツで創業した年です。 日本進出は1911(明治44)年です。
この店では以前「バジルサルシッチャ&サルサヴェルデ」をいただいた時美味しかったので、又利用してみました。
「サルシッチャ」はイタリア発祥の、肉やハーブ、バジルなどを腸詰めにした太めのソーセージで、パニーニのように挟まれていて、イタリアンパセリを使ったソース「サルサヴェルデ」が塗られています。
「パルミジャーノ D.O.P. &スペイン産生ハム トリュフフレーバー」を食べてみました。
パニーニに使うようなパンの上に野菜、生ハム、チーズ、トリュフオイルがトッピングされています。
チーズは「パルミジャーノ レッジャーノ D.O.P」ということです。D.O.P.(Denominazione di Origine Protetta)は、イタリアにおける原産地名称保護制度で、その認定を受けたものに付されます。
ナイフとフォークを使ってもなかなか切ることが出来ません。パンを丸めた中に無理やりフォークで具を押し込んでいただきました。食べるのに必死で、味はよく覚えていません。
生ハムの塩味がちょうど良く、チーズとベストマッチングだったことは覚えています。
ドリンクとセット価格で1,130円。料理780円、ドリンク350円の内訳でした。
ドリンクは「アメリカーノ」にしました。アメリカンとは違い、エスプレッソをお湯で割ったものです。
次の日のドリンクも「アメリカーノ」で、+80円でサイズアップしました。写真ではよく分かりませんが、カップに高さがあります。
めいっぱい注いでくれたので、運んでいるうちにトレーの上に零れてしまいました。
パスタを頼んだら、出来上がるまでに15分くらいかかるというので「苺のシルキープリン」を食べながら待っていることにしました。デザートの先食いです。(670円)
イチゴが丸ごと乗っかっていて、果肉ソースも美味しい。プリンは滑らかな食感で、ミルクの味を強く感じられます。
料理が出来上がったら持って来てもらう為の番号札も、いかにも機械メーカーらしい H鋼型のアルミ製です。
席から見た窓の外には、本社社屋に併設された「ボッシュホール」の建物にデジタルサイネージが設置されていて、その映像が楽しめます。
料理が出来上がりました。「有頭海老のビスクソース」(1,100円)です。
有頭海老が3尾、パスタの中には むき海老が5尾くらい入っています。麺に絡んだビスクソースが濃厚で、カニ味噌を食べているような甲殻類独特の美味がします。めちゃ旨❣ これはお勧めです。
フランスパンでお皿に残ったソースをふき取って食べたい。
この店の食べ物の味は全体的に濃い目ですが、醤油辛いとか、しょっぱいとか、甘すぎるとかではなく、バランスよく濃い味なので、美味しさを存分に楽しむことが出来ます。
機会があったら叉行きたいな。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
横浜市消防局の消防艇&救助艇 ― 2025年06月05日 16時03分47秒
横浜市消防局の消防艇「よこはま」です。
「よこはま」は、横浜市消防局が所有する消防艇で、1981年に竣工した初代「よこはま」の2代目として2002年3月に竣工しました。
海上での船舶火災及び危険物流出事故、さらに水域に接した沿岸コンビナート施設等の災害に対処するため、鶴見水上消防出張所に配属されています。
総トン数は120トン、排水量は満載で247トン、全長32.2m、型幅7.3mで、横浜市消防局では最大の船になります。
非常災害時広域応援などの際に、横浜港以外の沿海区域を航行できるようにレーダー等の航海設備や、夜間や悪天候でも安全な航行ができるよう赤外線カメラなどを装備しています。
吐出量毎分30,000リットルの消防ポンプを2基搭載し、消防装置として放水砲は、
伸縮式放水塔(毎分5,000リットル、最大射程85メートル)×2基
上甲板船首部(毎分15,000リットル、最大射程120メートル)×2基
羅針甲板(毎分5,000リットル、最大射程85メートル)×2基
水・流出油処理剤 放射装置としては、
65mm放水銃×4基(取り外し式)
を装備し、このほか送水用として150mm径の送水管を両舷に2口ずつ備えています。
消火剤は、泡原液を約12,500リットル搭載します。
横浜市消防局の消防艇「まもり」です。
後方にいる消防艇は、海上保安庁の消防艇「FL-01 ひりゅう」です。双胴船になっています。
「まもり」は、1988年に就役し32年間活躍した2代目「まもり」に代わる消防艇で、2021年11月に3代目「まもり」として就役しました。
総トン数49トン、全長24.5メートル、全幅6メートルで、40トン級消防艇としては国内初となる最大放水量毎分32,000リットルの消防ポンプと、15,000リットル放水砲2基、5,000リットル放水砲2基を装備しています。
消火剤としては、泡原液を約13,500リットル(6,750リットル×2個)搭載し、この他に、油処理剤を1,000リットル搭載します。
「まもり」は、船舶火災や水難事故などの様々な災害に対応するため、後部甲板上に活動スペースを広めに確保するとともに、小型救助艇を搭載しています。
横浜市消防局では、2隻の消防艇の他に「ゆめはま」という救助艇を所有しています。
「ゆまはま」は、機動力を活かして初期の情報収集や水難救助事案で使用される救助艇です。通常は隊員3名で運用されています。
5ヶ月ほど前に見た時には、「ゆめはま」は真っ白な船体でした。いつの間にか紅白になっています。消防局の船だと一目でわかるので、この方が良いと思います。 (下の写真は今年1月に撮影)
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
すれちがい ― 2025年06月06日 21時02分24秒
高層ビル ― 2025年06月06日 21時03分12秒
薬師池公園の花菖蒲が見頃です ― 2025年06月07日 16時40分10秒
東京都町田市にある薬師池公園の花菖蒲が見頃を迎えています。
「薬師池公園」は「町田薬師池公園四季彩の杜(まちだやくしいけこうえんしきさいのもり)」という、薬師池公園を始めとして、西園、リス園、ダリア園、ぼたん園、七国山など、豊かな自然環境、歴史・文化などが存在するエリアの一部を構成する公園です。
「花しょうぶ田」には、江戸系、肥後系、伊勢系など175品種、約2,200株の花菖蒲が咲き誇っています。
「花しょうぶ田」の横には水車小屋があり、爽やかな水の流れを聞きながら、色とりどりの しょうぶの花を楽しむことが出来ます。
「花しょうぶ田」では定期的に花摘みを行い、咲き終えた花がらを摘んで次の花をきれいに咲かせるための手入れをしています。
6月7日(土)10日(火)11日(水)13日(金)16日(月)19日(木)23日(月) 27日(金)には、早乙女姿の花摘み娘による花摘みが行われます(予定)。
アジサイも咲き始めました。アジサイの見頃はもう少し先になるようです。
仮面舞踏会の仮面みたいな花です。
薬師池・えびね苑では6月29日(日)まで、「しょうぶ あじさい まつり」が開催されています。まつり期間中は、ショウブ田周辺での三脚を使用した写真撮影は出来ません。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
薬師池公園の花菖蒲 ― 2025年06月08日 15時57分24秒
昨日アップした薬師池公園では、175品種、約2,200株の花菖蒲が植えられています。
花菖蒲はノハナショウブを起源とする園芸品種で、江戸時代に大名屋敷での栽培から育種が盛んになりました。江戸系・肥後系・伊勢系など産地により様々な品種があり、その数は数百種に及ぶといいます。
通路の近くで咲いている花菖蒲には品種名の札が立っていて、その品種を知ることが出来ますが、種類が多すぎて眺めていくうちに品種名なんてどうでもよくなってしまいます。
でも、一応品種別に分けてみました。
鶴鵲楼 (かくじゃくろう)
鶴はツル、鵲はカササギを指します。中国山西省永済市に鸛鵲楼(かんじゃくろう)という楼閣がありますが、こちらの「鸛」は鶴という字ではなく、コウノトリ(鸛)です。
愛知の輝 (あいちのかがやき)
花びらが3枚の三英咲きで、花色は明るい黄色です。
伊勢路の春 (いせじのはる)
上の「愛知の輝き」と共に、伊勢系といわれる品種です。
霓の巴 (にじのともえ)
江戸系の花菖蒲です。「霓」とは、はっきりと見える「虹」に対し、その外側に薄く見える副虹を指します。
曙光 (しょこう)
こちらも三英咲きの伊勢系品種です。白のような美しい極薄ピンクの花弁を垂れるように咲かせます。
濃仙女 (のうせんにょ)
花弁が6枚の六英花です。周縁部が波打ったように大きなフリルがあります。
黄冠 (おうかん)
輝くような黄金色の花が特徴の種間交雑品種です。
加茂千歳 (かもちとせ)
「江戸古花」で、平咲きの六英花です。花色は紫色で、花被片の中央部は白色で「ぼかし」と呼ばれています。
弥生鏡 (やよいかがみ)
三英咲きの伊勢系品種です。赤味を帯びた紫色の花を咲かせます。花弁は垂れるように咲く「垂咲き」になります。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
花菖蒲に ヒガシニホンアマガエル ― 2025年06月09日 11時03分07秒
初夏の日本の風物詩ともいえる「アマガエル(雨蛙)」。
両生網、無尾目、アマガエル科、アマガエル属に分類される両生類で、一般的にアマガエルというとニホンアマガエル(日本雨蛙)を指します。
ニホンアマガエルは従来単一種とされながら、太腿の斑紋パターンが地域によって異なっており、関西以東の日本とサハリンの集団はクレードA、関西以西の日本と韓国の集団はクレードBと呼ばれていました。
※クレード(clade)とは、生物学と生物学的分類法における単一の共通の祖先で構成される分岐進化によるグループを指し、日本語では分岐群とも言われます。
今年(2025年)、クレードAにあたる東日本に分布する集団をヒガシニホンアマガエルとして新種記載されました。クレードBは従来通りニホンアマガエルとされています。
論文はこちら(英語)
愛知教育大学のプレスリリース(2025.2.21)はこちら(日本語)
先日、そのヒガシニホンアマガエルが、花菖蒲の花の上にいました。
カエルは水辺に棲むものと思われがちですが、ニホンアマガエルは樹上での生活にも適応していて、水辺の植物の上や森林などに生息します。
成体は春になると、水田や池などの止水域に集まります。発達した吸盤によって垂直な面をも移動できるので、茎を伝って花の上にもよくやって来るそうです。
後ろ向きだったカエルがぴょこんと花の中に落ちてしまい、見えなくなったと思ったら這い上がってきました。
アマガエルは他のカエルと比べて人を恐れないので、人の手のひらの上でも平気で留まっているといいます。
そういえば、田舎に住んでいた子供の頃には良い遊び相手でした。最近は見かけることが少なくなりましたが、かわいいヤツです。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
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