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土田ヒロミ写真展「俗神」2025年05月10日 18時44分38秒

東京ミッドタウン(六本木)にある 富士フィルム スクエアで、「土田ヒロミ写真展 『俗神』」が開催されています。
富士フィルム スクエア

土田ヒロミ写真展「俗神」
上は案内はがき、下はチラシです。
土田ヒロミ写真展「俗神」

土田 ヒロミ(つちだ ひろみ、1939年12月20日 ~ )は、福井県出身の写真家です。
土田ヒロミ写真展「俗神」
1968年から75年にかけて日本各地の土俗文化を取材したシリーズ『俗神』は、写真家 土田ヒロミの名を一躍世に知らしめるきっかけとなった代表作です。
土田ヒロミ写真展「俗神」
青森から沖縄まで全国津々浦々を巡り、時代を超えて継承されるハレの場、中でも大衆や風物の中にある日本人の土俗的感性を赤裸々にとらえ、提示しました。
土田ヒロミ写真展「俗神」
本展では、シリーズ『俗神』から精選した、ゼラチンシルバープリントによる約30点が展示されています。
ゼラチンシルバープリントによる深みのある諧調は、印刷物では味わえない、心に沁みるものを感じさせます。
土田ヒロミ写真展「俗神」
1976年に出版された『俗神」の初版本も展示されていました。

土田ヒロミ写真展『俗神』 開催概要
開催会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア) 写真歴史博物館
開催期間:2025年3月27日(木)~6月30日(月)
休館日:会期中無休
開館時間:10:00-19:00(最終日は16:00まで、入館は終了10分前まで)
観覧料金:無料



今日もご覧いただき、ありがとうございました。

東京都写真美術館「鷹野隆大 カスババ 」2025年04月06日 14時44分54秒

JR恵比寿駅から恵比寿ガーデンプレイスに続く、動く通路「恵比寿スカイウォーク」の途中に掲示されていた、「鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―」展の案内ポスター。
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―

「鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―」展は、東京都写真美術館で6月8日(日)まで開催されています。下はチラシです。
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―

鷹野隆大(たかの りゅうだい 1963年 - )は写真家・アーティストで、東京造形大学教授でもあります。
ジェンダー、セクシャリティや「身体性」をテーマにした写真を撮り、1998年から毎日欠かさず写真を撮る「毎日写真」を自らに課し、実験的な撮影を試みています。
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―
2006年に写真集『 IN MY ROOM 』で第31回木村伊兵衛写真賞を受賞し、2011年には「毎日写真」から日本特有の無秩序な都市空間の写真を集めた「カスババ」を発表しました。
東日本大震災以降は「影」をテーマにした作品にも取り組み、コロナ禍でのシリーズ「CVD19」など、その創作活動をさらに発展させています。
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―
本展のタイトル「カスババ」とは鷹野による造語で、カスのような場所(バ)の複数形だといいます。
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―
会場内に順路などは無く、街中で景色を見るように作品に出合うことが出来ます。
鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―

この展覧会は、東京都写真美術館 総合開館30周年記念の第1弾として企画されました。

開催会場:東京都写真美術館 2F展示室
開催期間:2025年2月27日(木)~6月8日(日)
休館日:毎週月曜日(ただし5月5日は開館、5月7日は休館)
開館時間:10:00~18:00(木・金曜日は20:00まで、図書室を除く)
     ※入館は閉館時間の30分前まで
観覧料金:一般 700円、学生 560円、中高生・65歳以上 350円
  各種割引があります。詳細は公式サイト「ご利用案内」をご覧ください



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

「ロバート・キャパ 戦争」東京都写真美術館2025年03月29日 18時42分22秒

ローズマリーの花咲く東京都写真美術館
東京都写真美術館とローズマリー
壁面には植田正治、ロバート・キャパ、ロベール・ドアノーの代表的な写真が並びます。
東京都写真美術館

今年は第二次世界大戦終戦から80年になります。
第二次世界大戦やインドシナ戦争など、数々の戦場を取材し、戦争の悲惨さと人びとの姿を臨場感あふれる写真で記録し続けてきた写真家ロバート・キャパの、「戦争」をテーマとした写真展が東京都写真美術館で開催されています。
「ロバート・キャパ 戦争」東京都写真美術館

ロバート・キャパ(Robert Capa, 1913年10月22日 - 1954年5月25日)は、ユダヤ系でハンガリー生まれの写真家です。
本名はフリードマン・エンドレ(Friedmann Endre)。フランス語読みのアンドレ・フリードマン(André Friedmann )と表記されることもあります。
「ロバート・キャパ 戦争」東京都写真美術館
ロバート・キャパの名は、フリードマンの公私に渡るパートナーであった写真家「ゲルダ・タロー(本名:ゲルタ・ポホリレ)」が使用していた架空の写真家名で、二人で共同使用していた時期もあります。
その後各々が「ロバート・キャパ」、「ゲルダ・タロー」を名乗るようになりました。
「ロバート・キャパ 戦争」東京都写真美術館

第一章:ジャーナリストを目指す
第二章:スペイン内戦
第三章:日中戦争
第四章:第二次世界大戦  戦時下のイギリス
第五章:第二次世界大戦  北アフリカ
第六章:第二次世界大戦  イタリア上陸
第七章:第二次世界大戦  ノルマンディー上陸
第八章:第二次世界大戦 パリ解放
第九章:第二次世界大戦 ドイツ降伏
第十章:イスラエル建国
第十一章:終焉の地 ― インドシナ半島
と11の章で、キャパの作品の中でも “戦争” に焦点を当てた作品約140点を展示し、キャパの人間としてのやさしさ,ユーモアを通して表現される、戦争という残酷な世界の写真証言を見つめ直していきます。
「ロバート・キャパ 戦争」東京都写真美術館

今なお、ロシアとウクライナ、パレスチナやレバノンとイスラエル等の地域における紛争が繰り広げられる状況の中、悲しくも戦争によって苦しむ民衆の姿を、報道によって日々目にせざるを得ません。
キャパの願った「人間を取り捲く状況を少しでもよいものにしよう」という思いはいつになったら叶えられるのでしょうか。

本展は東京富士美術館が所蔵するキャパの約1,000点のコレクション・プリントから厳選された、苦闘するヒューマニストの眼による “戦争”写真 約140点で構成されています。

図録も東京富士美術館協力の下、写真家ロバート・キャパ誕生の一枚から、その命を落とす最期の一枚まで、216ページにわたるボリュームのある写真集になっています。
25.8 x 2.1 x 18.2 cmで、価格は税込3,630円です。
ロバート・キャパ 戦争

同じようなタイトルの写真集があったな・・・と思い探してみたら、こんな写真集がありました。
「ロバート・キャパ IMAGES OF WAR (戦争 そのイメージ)」という写真集で、1974年に(株)ダヴィッド社から発行されています。
キャパの代表的な作品は今回の図録と重複しているものもありますが、この本はキャパの弟であるコーネル・キャパ氏の協力による海外出版物の日本語版なので、タイトルは似ていても内容は違います。
上の図録よりも大きいA4変型判で、当時の価格で3,400円です。この頃は消費税はありませんでした。
ロバート・キャパ 戦争

「ロバート・キャパ全作品集 CAPA’s LIFE」という豪華な写真集もありました。
B4変型判だと思われる大きなサイズで、段ボールを2重にしたケースに入っています。
ロバートキャパ全作品集「CAPA’sLIFE」
東京富士美術館から2000年3月に発行された物で、東京富士美術館所蔵全作品集となっています。
価格は本体4,762円で税込5,000円です。消費税5%の頃です。懐かしいですね。

2~3日かけてゆっくり読み直してみようと思います。
ロシアによるウクライナ侵略戦争が、一日も早く収束する事を祈りながら・・・



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

Joan Miró 「ミロ展」東京都美術館2025年03月15日 07時35分54秒

90歳で亡くなるまで新たな表現に挑戦し続けたジュアン・ミロの70年におよぶ創作活動全体を振り返る大回顧展が、東京都美術館で開催されています。
Joan Miró 「ミロ展」東京都美術館
ジュアン・ミロ(Joan Miró 1893~1983)は、スペインのカタルーニャ州に生まれ、同郷のピカソと並び20世紀を代表する巨匠に数えられています。
Joan Miró 「ミロ展」東京都美術館
太陽や星、月など自然の中にある形を象徴的な記号に変えて描いた、詩情あふれる独特な画風は、日本でも高い人気を誇ります。
赤、青、緑、黄などの原色を、黒と白の中で鮮やかに描き上げる絵画は、風韻漂う中にかわいらしさがあり、私の好きな画家の一人でもあります。
Joan Miró 「ミロ展」東京都美術館

第1章 若きミロ:芸術への決意
第2章 モンロッチ – パリ:田園地帯から前衛の都へ
第3章 逃避と詩情:戦争の時代を背景に
第4章 夢のアトリエ:内省を重ねて新たな創造へ
第5章 絵画の本質へ向かって
の5章で構成され、初期から晩年までの各時代を彩る絵画や陶芸、彫刻により、90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を包括的に紹介しています。

「バルサ」の愛称で知られる世界屈指の強豪サッカークラブ、スペインのFCバルセロナの創設75周年を記念して1974年につくられたポスターです。クラブは昨年、125周年を迎えました。
 バルサ  FCバルセロナ75周年ポスター 1974年 リトグラフ 99×69cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
ジュアン・ミロ 《バルサ  FCバルセロナ75周年ポスター》 1974年 リトグラフ 99×69cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

大きな蛇口やマネキンの脚といった日常生活で見慣れたオブジェを本来の目的から引き離し、個性際立つ着色をして、ユーモア溢れる遊び心で組み合わせています。ハイヒールを履いた挑発的な脚を持つ若い女性は、現実からの逃避を求めているのでしょうか。
逃避する少女 1967年 着色ブロンズ 166×31×58.5cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
ジュアン・ミロ 《逃避する少女》 1967年 着色ブロンズ 166×31×58.5cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

展示風景
Joan Miró 「ミロ展」東京都美術館

展示風景
焼かれたカンヴァス 2  1973年 アクリル/切られて焼かれたカンヴァス 130×195cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)
左) ジュアン・ミロ 《花火 I 》《花火 II 》《花火 III 》 1974年 アクリル/カンヴァス 各292×195cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
右) ジュアン・ミロ 《焼かれたカンヴァス 2 》 1973年 アクリル/切られて焼かれたカンヴァス 130×195cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ(寄託)

ミロの造形言語の集大成のひとつと言われる作品です。
英語圏などでは"The Universe"(宇宙)というタイトルで呼ばれる、仙厓義梵(せんがい ぎぼん)による禅画《○△□ (まるさんかくしかく)》に通ずるものを感じます。
ジュアン・ミロ 太陽の前の人物 1968年 アクリル/カンヴァス 174×260cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ
ジュアン・ミロ 《太陽の前の人物》 1968年 アクリル/カンヴァス 174×260cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ

仙厓義梵の《○△□ (まるさんかくしかく)》です。本展には展示されていません。出光美術館所蔵作品です。
 仙厓義梵 《○△□》 1819年から1828年頃 紙本墨画 28.4 cm × 48.1 cm 所蔵:出光美術館
仙厓義梵 《○△□》 1819年から1828年頃 紙本墨画 28.4×48.1 cm 所蔵:出光美術館

明日まで「スペイン・ミロウィーク」が開催されています。開催期間中に展覧会会場で撮影した写真を「#ミロ展」のタグをつけて X か Instagram に投稿すると、会場出口でオリジナルステッカーが貰えるというので、貰ってきました。
Joan Miró 「ミロ展」東京都美術館

図録の表紙には初期から晩年までのそれぞれの時代を代表する3作品、《絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)》、《明けの明星》、《涙の微笑》をあしらい、ミロの特徴的な赤、青、黄と組み合わせています。
(写真は展覧会公式サイトより)
ハードカバー、W220mm×H280mm、248ページ、図版オールカラーで、税込3,600円です。

ミュージアムショップでは、図録の他にポストカード、クリアファイル、キーリング、トートバッグ、Tシャツ、マグネット、ピンズ、ポスター、ノート、関連書籍、輸入菓子、複製絵画など、いろいろな物を販売しています。
ボールペンを買ってきました。本体は赤、青、黄、黒の組み合わせが数種類あります。インク色は全て黒のようです。ウクライナ応援カラーにしちゃいました。


ミロ展」開催概要
開催会場:東京都美術館 企画展示室
開催期間:2025年3月1日(土)~7月6日(日)
休室日:月曜日、5月7日(水)  ※ただし、4月28日(月)、5月5日(月・祝)は開室
開室時間:9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
観覧料金:一般 2,300円/ 大学生・専門学校生 1,300円/ 65歳以上 1,600円
  ※18歳以下、高校生以下は無料。
  ※各種割引等があります。詳細は展覧会公式チケットサイトへ(こちら



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

岡本太郎「私の現代芸術─コンペイ党宣言」2025年02月08日 15時59分00秒

川崎市 岡本太郎美術館では現在企画展は行っていませんが、常設展「私の現代芸術─コンペイ党宣言」に行ってきました。
川崎市 岡本太郎美術館

展示場入口では、いつも真っ赤な部屋で太陽の顔が迎えてくれます。
川崎市 岡本太郎美術館

1963年に出版された岡本太郎著『私の現代芸術』「コンペイ党宣言」では、「コンペイ糖のようにトンがって、すでにでき上がった自分自身とぎりぎりに対決する。その緊張が仕事を支えるのである。」
「ふっと、まるくなりそうな危険を感じた時、仕事場の壁に貼りつけた、ギザギザのコンペイ糖をにらんで、いよいよ純粋にやりきること、妥協しないこと、そして防御服を着ないで、常に生身のままで社会の現実にぶつかってゆく決意を新たにすべきだと思うのだ。」 
と述べています。
この時期に団体や協働をいったん離れ、一人立ち向かう覚悟を決めた岡本太郎の作品と共に、その言葉にも注目した展覧会になっています。

私が岡本太郎の絵画の中で一番好きな作品、《夜》です。
背中に刃物を隠しながら凛として立つ少女の姿は、当時の旧態依然とした画壇に対する岡本太郎の心情を表しているかのようです。
岡本太郎 《夜》 1947年 キャンバス、油彩 

展示風景です。 観覧に順路は無く、自由に館内を観て回ることが出来ます。
川崎市 岡本太郎美術館
右は 《重工業》 1949年 油彩、カンヴァス

川崎市 岡本太郎美術館
川崎市 岡本太郎美術館
川崎市 岡本太郎美術館
左は 《予感》 1963年 油彩、カンヴァス

川崎市 岡本太郎美術館
左は 《天空に我あり》 1967年 油彩、カンヴァス

川崎市 岡本太郎美術館

川崎市 岡本太郎美術館
《真昼の生物》 1962年 油彩、カンヴァス  《哄笑》 1972年 油彩、カンヴァス
彫刻は 《誇り》 1962年 F.R.P(繊維強化プラスチック)
《誇り》は、「岡本かの子文学碑」として、かの子の生家に近い二子神社境内に設置されています。

数々の立体作品が1つの展示室に集約されています。
川崎市 岡本太郎美術館

有楽町駅近くの数寄屋橋公園に建っている時計台の原型です。
岡本太郎は本作の作成に際し、「人間は本来八方に意欲を突き出し、情熱をほとばしらせながら生きたいのだ。時間を超えた時間、機械的でない、人間的な時間を表象したつもり」というメッセージを残しています。
川崎市 岡本太郎美術館
岡本太郎 《 若い時計台 》 1966年 アルミニウム、RC、金属、ライト

会場を出ると、《駄々っ子》と《手の椅子》が迎えてくれます。
椅子なので座って休憩することも出来ますが、来館者のフォトスポットにもなっているので、落ち着いて座っているのはちょっと気が引けます。
川崎市 岡本太郎美術館

岡本太郎「私の現代芸術─コンペイ党宣言」開催概要
開催期間:2025年01月18日 (土)-2025年04月13日 (日)
休館日:月曜日(2月24日、3月24日、3月31日、4月7日を除く)、2月12日(水)、2月25日(火)、3月11日(火)、3月12日(水)、3月21日(金)、ほか臨時休館あり
開館時間:9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料金:
  ●1月18日(土)~2月22日(金)  常設展のみ開催 一般500円、高・大学生・65歳以上300円
  ●2月23日(日)~4月13日(日)  企画展とのセット料金 一般700円、高・大学生・65歳以上500円   ※中学生以下無料



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

立木義浩「舌出し天使 眼差しの軌跡」2025年01月21日 18時18分18秒

六本木のフジフィルム スクエアで開催されている、立木義浩「舌出し天使 CONTACT SHEETS 眼差しの軌跡」に行ってきました。

立木義浩が「舌出し天使」をカメラ毎日で発表したのは1965年4月号。東京オリンピックの翌年で、それから60年が経とうとしています。
「舌出し天使」は編集者が山岸章二、デザイナーは和田誠、詩を寺山修司が書くという、今思っても錚々たるメンバーで構成され、異例の56ページにわたって掲載されました。
この作品は日本写真批評家協会新人賞を受賞しています。

立木義浩「舌出し天使 眼差しの軌跡」

本展のために立木自身が新たにセレクトしたゼラチンシルバープリント25点とともに、同作のコンタクトシート24点が初公開されています。
コンタクトシートは、コンタクトプリント、ベタ焼き、密着焼き とも言われ、画像の確認のために1本分のフィルムを1枚の印画紙上に並べて密着させ、等倍でプリントしたものです。
コンタクトシートを見ると写真家の撮影技法や現場の状況が分かってしまう為、一般的には公開されません。60年の時を経て初めて公開されたコンタクトシートです。

1937年10月生まれの立木義浩さんは87歳。現在も精力的に活躍しておられます。

開催会場:フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 企画写真展
開催期間:2025年1月6日(月)~3月26日(水)
休館日: 会期中無休
開館時間:10:00-19:00(最終日は16:00まで、入館は終了10分前まで)
観覧料金:無料



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展2024年12月29日 18時44分41秒

川崎市岡本太郎美術館で開催されている「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展に行ってきました。
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展

屋外には高さ30mの《母の塔》や、《樹霊Ⅰ》などの立体作品が展示されています。
岡本太郎《母の塔》
岡本太郎 《母の塔》 1971年原型制作 全高30m 鉄骨造 外殻 GRCクラッシュパネル仕上 クラッシュタイル(スコルト加工) 人形彫刻 FRPブロンズ仕上 16体 H=3.0~5.6m

岡本太郎 《 樹霊Ⅰ 》 1970年/97年再制作 ブロンズ

本展は川崎市市制100周年と開館25周年を記念して開催されているもので、 淺井裕介と福⽥美蘭の2⼈の現代作家による、岡本太郎をオマージュした展覧会です。
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展

エントランスに置かれているのは、《太陽の鐘》 1966年 繊維強化プラスティック(FRP.)。
今回展示されている岡本太郎作品は、基本的に淺井裕介と福⽥美蘭によって選ばれたものです。

会場入口では、真っ赤な太陽の顔が出迎えてくれます。

展示風景
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展

福田美蘭(ふくだ みらん、1963年2月6日 - )は、東京都世田谷区出身。父親は大阪万博(1970年)のポスターやピクトグラムなども手掛けているグラフィックデザイナーの福田繁雄です。
聖心女子学院初等科・中等科・高等科卒業後、東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業から、東京芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画を修了しています。
名画にデジタル加工するなど、様々なアーティストのオマージュ的な作品や、芸術や⽂化、現代社会への批評的まなざしを可視化した作品で有名です。
福田美蘭の展示作品は、全てが本展の為に制作された新作です。

大阪万博が開催された時、福田美蘭は小学校1年生。父親の部屋にあった太陽の塔の置物を、来館者が自由に押せる「スタンプ」にしてしまいました。
大阪万博のスタンプ
1枚押してみました。「芸術は爆発だ」

私が岡本太郎の絵画の中で一番好きな作品、《夜》です。
背中に刃物を隠す少女の姿は、当時の旧態依然とした画壇に対する岡本太郎の心情を表しています。
岡本太郎と評論家の花田清輝が発起人となり1948年に発足した、総合芸術運動を掲げる「夜の会」という研究会は、この作品のタイトルが会の名の由来になっています。
岡本太郎 《夜》 1947年 キャンバス、油彩 

福田美蘭はより可視化し、少女を取り囲む光る枝を「龍」の顔にしてしまいました。面白い発想です。
福田美蘭 《夜》 2024年 パネル、アクリル絵具

岡本太郎の持ち味である、ユーモラスでありながら森のように深い意味を持つ作品、《森の掟》。
岡本太郎 《森の掟》 1950年 キャンバス、油彩

岡本太郎が「権力」として表した赤い怪獣のチャックで閉じられた大きなお腹を、福田美蘭はいとも簡単に開いてしまいました。
福田美蘭 《森の掟》 2024年 パネル、アクリル絵具

会場を歩いていると何やら視線を感じます。人間は不思議なもので、たとえ後ろ向きであっても視線というものは感じ取れるものです。
岡本太郎は多くの《眼》の絵画を描きました。岡本太郎の《眼》をテーマにした作品を壁一面に並べ、「鳥よけ目玉風船」の大きな「眼」が鑑賞者を威嚇してきます。
福田美蘭 《眼の絵画》 2024年 岡本太郎作品(キャンバス、油彩)17点 鳥よけバルーン(ビニール)21点

福田美蘭さんの作品はこのほかにも岡本の《戦士》という立体作品を「輪投げ」にしてしまうなど、観ていてクスッと笑ってしまうものが多く、全てを紹介したいのですがそうもいきません。可能な方は会場でご覧ください。


淺井裕介(あさい ゆうすけ、1981年3月3日 - )は、東京都出身。神奈川県立上矢部高等学校普通科美術陶芸コース卒業。卒業後も制作環境を求めて4年間高校に通い続けたといいます。
抽象画、陶芸、様々な素材を使ったドローイング、巨大壁画、マスキングプラント、泥絵など、多方面で精力的な活動をしている現代美術家です。

土、水、小⻨粉、テープ、ペンなどの身近な素材によって、あらゆる生物の根源を想起させるような神話的世界を描く淺井裕介は、本展のために川崎市内で採取した土などをを絵具にして、巨大な新作を制作しました。
淺井裕介 《星、飛ビ散ル》 2024年 アルミパネルに土、アクリルレジン

展示風景

第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間がモチーフとなった《明日の神話》。渋谷駅の連絡通路に展示されている、岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》の下絵です。
《明日の神話》と対置させた淺井裕介の新作《在処》は地元の川崎の土を中心に、これまでに淺井が訪れた様々な土地の土、弁柄、炭などすべて自然の色で作られています。
《在処》は、靴を(できれば靴下も)脱いで作品の上を歩くことが出来ます。作品に乗って作品を観るという新しい感覚と、土など自然の材料で描かれた作品の感触で自然を体感することが出来ます。
岡本太郎 《明日の神話》 1968年 キャンバス、油彩 
淺井裕介 《在処》 2024年 アルミパネルにポリ塩化ビニール、土、弁柄、炭、アクリルレジン

淺井裕介は北海道や石巻を訪れて、食猟師と共に動物との命の駆け引きを経験しました。
赤い鹿の血や動物性タンパク質から作られる青い絵具「プルシアンブルー」を使った新作を制作しています。
淺井裕介 
左) 《組み合わせの魔法》 2024年 キャンバス、蝦夷鹿の血とレバーから作られたプルシアンブルー
中) 《命の手触り2》 2024年 日本鹿の羊皮紙、蝦夷鹿の血とレバーから作られたプルシアンブルー
右) 《命の手触り1》 2024年 屋久鹿の羊皮紙、屋久島の土、炭、弁柄、アクリル、アクリルレジン

図録はB5判 88ページで、税込1500円でした。

本展は、絵画・彫刻・⼯芸・デザインなど、既存の枠組みを超えて活躍した岡本太郎の表現・思想の多⾯性を、 世代や表現⽅法の異なる2⼈の現代作家の視点で⾒直すことが出来る、興味深い展覧会になっています。


「岡本太郎に挑む 淺井裕介・福田美蘭」展 開催概要
開催期間:2024年10月12日(土)~2025年1月13日(月)
休館日:月曜日(1月13日を除く) 12月29日(日)~1月3日(金)
開館時間:9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料金:一般1,000円、高・大学生・65歳以上800円、中学生以下は無料



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展」2024年12月17日 07時36分39秒

六本木ヒルズの森美術館で開催されている「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」に行ってきました。長いタイトルです。

ルイーズ・ブルジョワは、六本木ヒルズのエントランス「66プラザ」にパブリックアートとして常設展示されている、《ママン》という大きな蜘蛛(クモ)のオブジェの作者です。
ルイーズ・ブルジョワ《ママン》2002年(1999年)/ブロンズ、ステンレス、大理石 9.27 x 8.91 x 10.23(h)m
ルイーズ・ブルジョワ 《ママン》 2002年(1999年) ブロンズ、ステンレス、大理石 9.27 x 8.91 x 10.23 (高さ) m

ママンとは、フランス語で「お母さん」。
《ママン》は、ルイーズ・ブルジョアが45歳の頃、最初にインクと木炭で描いた蜘蛛のテーマから続くものです。蜘蛛は母親の仕事であった紡績、織り、養育、保護の全てを持つ、母親の強さを暗示しているといいます。母親は、ルイーズ21歳の頃に亡くなりました。

か細い足ですべてを支える《ママン》のお腹には、大理石で作られた卵をたくさん抱えています。

夜になると六本木ヒルズのイルミネーションの中で存在感を示しています。
《ママン》の作品はさまざまなバリエーションがあり、世界各地で展示されています。

「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」チラシです。
ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

ルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois, 1911年12月 - 2010年5月)は、フランス・パリ郊外でタペストリーの修復工房を営む両親のもとに生まれ、アメリカ合衆国で活躍したインスタレーションアートの彫刻家であり、画家、版画家です。
70年にわたるキャリアの中で、自身が幼少期に経験した、複雑で、ときにトラウマ的な出来事をインスピレーションの源として、インスタレーション、彫刻、ドローイング、絵画など、さまざまなメディアを用いながら、男性と女性、受動と能動、具象と抽象、意識と無意識といった二項対立に潜む緊張関係を探求しました。
ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

I HAVE BEEN TO HELL AND BACK. AND LET ME TELL YOU, IT WAS WONDERFUL.
(地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ)
ルイーズ・ブルジョワ 《無題(地獄から帰ってきたところ)》 1996年 刺繍、ハンカチ 49.5×45.7 cm 個人蔵(ニューヨーク)

本展は、
『第1章 私を見捨てないで』 では母との関係、
『第2章 地獄から帰ってきたところ』 では父との確執、
『第3章 青空の修復』 では、壊れた人間関係の修復と心の解放
を主なテーマに、ルイーズ・ブルジョワの創造の源であった家族との関係をもとにした、3つの章から構成されていす。

大きく不気味な蜘蛛が、敵や獲物に向かって今にも襲いかかろうと低い姿勢で構えています。
子供を守る保護者でもあり、愛情にあふれた「母」も、時にはわが子を脅かし、不安にさせてしまうことがあります。ルイーズ・ブルジョワは、全ての事柄には相反する2つの意味が内在すると考えていました。
ルイーズ・ブルジョワ 《かまえる蜘蛛》 2003年 ブロンズ、茶色く磨かれたパティナ、ステン レス鋼 270.5×835.7×627.4 cm 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)

蜘蛛は腹部にナイロン・ストッキングに包まれた3つのガラスの卵を抱え、檻のような部屋を守るように長い脚を広げています。部屋にはルイーズの身の回りの品々が並べられています。
ルイーズ・ブルジョワ 《蜘蛛》 1997年 鋼、タペストリー、木、ガラス、布、ゴム、銀、金、骨 449.6×665.5×518.2 cm 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)

ピンク色の人形から垂らされた5本の白い糸。ルイーズは両親と兄弟で5人、自身の夫と子供たちとの家族5人と、5という数字は家族を表しているようです。ルイーズは、乳房がモチーフとなった作品を多く残しています。自身にも授乳をしているということは、自分も守ってもらいたいという願望でしょうか。
ルイーズ・ブルジョワ 《良い母》 2003年 布、糸、ステンレス鋼 彫刻とスタンド:109.2×45.7×38.1 cm 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)

「カップル」はルイーズにとって重要な主題の一つです。愛情や性的関心、誘惑、わだかまり、依存することの恐れと大切な人を失うことへの恐怖。様々な感情がこの作品に込められています。
ルイーズ・ブルジョワ 《カップル》 2003年 アルミニウム 365.1×200×109.9 cm 個人蔵(ニューヨーク)

このブロンズ像は19世紀フランスの精神科医ジャン=マルタン・シャルコーが研究対象としたヒステリーを題材としています。男性をモデルにすることにより、ヒステリーを起こすのは女性のみであるという固定観念を覆します。

ルイーズ・ブルジョワ 《ヒステリーのアーチ》 1993年 ブロンズ、磨かれたパティナ 83.8×101.6×58.4 cm 所蔵:イーストン財団(ニューヨーク)

展示風景

真っ赤に照らされた洞窟のような部屋で、テーブルのような台の上に肉片や内臓を思わせる断片が散らばっています。幼い時にいだいた、憎い父親を切り刻んで食すという幻想を形にした作品だといわれます。
ルイーズ・ブルジョワ 《父の破壊》 1974年 アーカイバル・ポリウレタン樹脂、木、布、照明 237.8×362.3×248.6 cm 所蔵:グレンストーン美術館(米国)

展示風景

ルイーズ・ブルジョワ 《家族》 2007年 グワッシュ、紙 59.7×45.7 cm(各、24点組) 個人蔵(ニューヨーク)

片足で松葉杖をつく少女の腕や頭部から生えた枝に、ビーズの青い房が実り、女性らしさと豊穣の花を咲かせています。トラウマを昇華させ作品を作り続けたルイーズ・ブルジョワ自身を表しているような作品です。
トピアリーとは、樹木を刈り込んで造形する庭園技法をいいます。
ルイーズ・ブルジョワ 《トピアリーIV》 1999年 鋼、布、ビーズ、木 68.6×53.3×43.2 cm 個人蔵(ニューヨーク)


図録は表紙カバーが2種類あり、右《トピアリーIV》は会場限定販売です。
中は同じで、下の写真はカバーを外したものです。
ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ
サイズ:A4判(28.2×21cm) ページ数:320ページ 言語:日英バイリンガル 価格:3,740円(税込)


ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」開催概要
開催会場:森美術館六本木ヒルズ森タワー53階)
開催期間:2024年9月25日(水)~ 2025年1月19日(日)
休館日:会期中無休
開館時間:10:00~22:00 火曜日のみ17:00まで (ただし、12.24(火)・12.31(火)は22:00まで)
  ※最終入館は閉館時間の30分前まで
観覧料金:本展は、事前予約制(日時指定券)を導入しています。専用オンラインサイトから「日時指定券」をご購入ください。(空きがある場合のみ当日販売あり)
オンライン販売と当日会場販売、平日と土・日・休日でそれぞれ料金が違います。詳細は専用オンラインサイトをご覧ください。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

国登録有形文化財「河鹿園」2024年11月26日 20時23分34秒

東京都青梅市の御岳渓谷にある「玉堂美術館」から多摩川を挟んで向かい側(JR御嶽駅側)に、旅館建物室礼美術館「河鹿園」があります。
河鹿園
御岳渓谷沿いに100年近く続く元料亭旅館「河鹿園(かじかえん)」の建物を利用し、国登録有形文化財の指定を受けた歴史的な建造物と書画を展示する美術館です。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen
建物で最も古いのは帳場兼主屋で1925(大正14)年ごろの建築になります。
1930(昭和5)年ごろに数寄屋座敷の「山魚楼(さんぎょろう)」や磨き丸太が目を引く「渓梅庵(けいばいあん)」、上質な客室を備える「枕流亭(ちんりゅうてい)」、独創的な造作の「射山荘(しゃざんそう)」が建てられました。建材は主に屋久杉で出来ています。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen
2017年に旅館としての営業を終え、現在は日本画や書画を歴史的建造物の中に展示するギャラリーとして、一般に公開されています。2020年に国登録有形文化財に指定されました。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen

現在は、12月22日(日)まで「玉堂翁尽くし展」が開催されていて、旅館のすべての部屋に川合玉堂や、玉堂ゆかりの画家たちの作品が展示されています。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen
大広間には川合玉堂の書画が所狭しと並びます。
画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いていました。当館には「偶庵」の落款が多く見られます。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen

全ての元客室に作品が展示されていて、各部屋からは多摩川の絶景を眺めることが出来ます。
見事な黄葉のイチョウの木は、多摩川を挟んだ玉堂美術館の前に植えられているものです。
河鹿園の紅葉

床の間にも置物や草花などと共に、玉堂の作品が飾られています。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen

河鹿園の紅葉

ご主人の手書きの解説文が、ほぼすべての作品に添えられています。時にはユーモアをもって・・・
川合玉堂 《雙馬》      《孤鹿》 

川合玉堂 《初音》

河鹿園の紅葉

旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen

日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を描いた玉堂の画は、厳しい風景の中にも人々の営みの温かさが感じられます。
川合玉堂 《湖畔新雪》

室内のテーブルに紅葉が反射します。
河鹿園の紅葉
ベランダに出て撮影してみました。イチョウの手前に多摩川の流れが見えます。
河鹿園の紅葉

旅館当時のお風呂も見ることが出来ます。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen

客室にあったドレッサーです。
旅館建物室礼美術館「河鹿園」 Kajikaen


「玉堂翁尽くし展」開催概要
開催期間:2024年10月30日(水)~2024年12月22日(日)
休館日:月曜日・火曜日(企画展示期間中のみ開館)
開館時間:11:00-16:00 (入館は15:00まで)
観覧料金:一般900円 学生400円 一日ごゆっくり券 1,300円(お飲み物付き 再入場可)



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

玉堂美術館・川合玉堂「家路」展2024年11月25日 16時20分18秒

御岳渓谷のJR御嶽駅から多摩川を挟んだ対岸に、川合玉堂の美術館「玉堂美術館」があります。
黄色く色付いたイチョウの木の右側に見える、白い塀と壁の建物が美術館です。
御岳渓谷・多摩川沿いの「玉堂美術館」
館内には趣のある枯山水庭園が広がり、秋には木々が赤や黄色に染まります。
玉堂美術館

川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉 - 1957年〈昭和32年〉)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家です。
川合玉堂
玉堂は太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に、かねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開し、1957年に死去するまで奥多摩の御岳渓谷で暮らしました。
玉堂の没後、香淳皇后(昭和天皇の皇后さま)を含む多数の団体・地元有志・玉堂愛好家などからの寄付により、1961年(昭和36年)5月、この地に玉堂美術館が開館しました。
香淳皇后が玉堂から絵画の指導を受けていたという関係もあるのか、皇居内にある「皇居三の丸尚蔵館」でも、多くの玉堂作品を収蔵しています。

1889年(明治22年)16歳の頃の写生です。動物、植物の細かい描写を、若い頃から研究していたようです。上手いですね(当たり前でしょうが・・・)

今回の展覧会は「家路」をテーマに、秋の風景が多く展示されています。
川合玉堂《河畔晩秋》
川合玉堂 《河畔晩秋》 1929年(昭和4年) 56歳

展示風景
玉堂美術館

玉堂の絵画には自然の中の人や動物が描かれたものが多く、自然と人が一体化した画の中には物語があり、鑑賞者は当時の人々の暮らしぶりから想像を膨らませることができます。
川合玉堂《河畔清秋》1950(昭和19)年
川合玉堂 《河畔清秋》 1950年(昭和25年) 77歳

川合玉堂の絵画を観るとなぜかほっこりとするのは、厳しい風景に立ち向かっていくのではなく、温かい家庭に向かって「家路」に付く人々が描かれているように感じられるからではないでしょうか。
川合玉堂《時雨》
川合玉堂 《時雨》 1953年(昭和28年) 80歳

左から、文化勲章(1940年/昭和15年)、イタリア皇帝よりグラン・オフィシェー・クーロンヌ勲章(1931年)、勲一等旭日大綬章(1957年/昭和32年)が展示されています。

川合玉堂愛用の岩絵の具です。

玉堂は約265個の印章を、作品の大きさや色合いなどにより使い分けていました。多くの篆刻(てんこく)者の印章を使っていましたが、中村蘭台と北大路魯山人(下の写真)の作品が多かったということです。
北大路魯山人作の落款印
北大路魯山人作の落款印

本展は、12月8日(火)まで開催されています。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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