国登録有形文化財「河鹿園」 ― 2024年11月26日 20時23分34秒
東京都青梅市の御岳渓谷にある「玉堂美術館」から多摩川を挟んで向かい側(JR御嶽駅側)に、旅館建物室礼美術館「河鹿園」があります。
御岳渓谷沿いに100年近く続く元料亭旅館「河鹿園(かじかえん)」の建物を利用し、国登録有形文化財の指定を受けた歴史的な建造物と書画を展示する美術館です。
建物で最も古いのは帳場兼主屋で1925(大正14)年ごろの建築になります。
1930(昭和5)年ごろに数寄屋座敷の「山魚楼(さんぎょろう)」や磨き丸太が目を引く「渓梅庵(けいばいあん)」、上質な客室を備える「枕流亭(ちんりゅうてい)」、独創的な造作の「射山荘(しゃざんそう)」が建てられました。建材は主に屋久杉で出来ています。
2017年に旅館としての営業を終え、現在は日本画や書画を歴史的建造物の中に展示するギャラリーとして、一般に公開されています。2020年に国登録有形文化財に指定されました。
現在は、12月22日(日)まで「玉堂翁尽くし展」が開催されていて、旅館のすべての部屋に川合玉堂や、玉堂ゆかりの画家たちの作品が展示されています。
大広間には川合玉堂の書画が所狭しと並びます。
画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いていました。当館には「偶庵」の落款が多く見られます。
全ての元客室に作品が展示されていて、各部屋からは多摩川の絶景を眺めることが出来ます。
見事な黄葉のイチョウの木は、多摩川を挟んだ玉堂美術館の前に植えられているものです。
床の間にも置物や草花などと共に、玉堂の作品が飾られています。
ご主人の手書きの解説文が、ほぼすべての作品に添えられています。時にはユーモアをもって・・・
川合玉堂 《雙馬》 《孤鹿》
川合玉堂 《初音》
日本の四季の山河と、そこで生きる人間や動物の姿を描いた玉堂の画は、厳しい風景の中にも人々の営みの温かさが感じられます。
川合玉堂 《湖畔新雪》
室内のテーブルに紅葉が反射します。
ベランダに出て撮影してみました。イチョウの手前に多摩川の流れが見えます。
旅館当時のお風呂も見ることが出来ます。
客室にあったドレッサーです。
「玉堂翁尽くし展」開催概要
開催会場:旅館建物室礼美術館 河鹿園
開催期間:2024年10月30日(水)~2024年12月22日(日)
休館日:月曜日・火曜日(企画展示期間中のみ開館)
開館時間:11:00-16:00 (入館は15:00まで)
観覧料金:一般900円 学生400円 一日ごゆっくり券 1,300円(お飲み物付き 再入場可)
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
玉堂美術館・川合玉堂「家路」展 ― 2024年11月25日 16時20分18秒
御岳渓谷のJR御嶽駅から多摩川を挟んだ対岸に、川合玉堂の美術館「玉堂美術館」があります。
黄色く色付いたイチョウの木の右側に見える、白い塀と壁の建物が美術館です。
館内には趣のある枯山水庭園が広がり、秋には木々が赤や黄色に染まります。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉 - 1957年〈昭和32年〉)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家です。
玉堂は太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に、かねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開し、1957年に死去するまで奥多摩の御岳渓谷で暮らしました。
玉堂の没後、香淳皇后(昭和天皇の皇后さま)を含む多数の団体・地元有志・玉堂愛好家などからの寄付により、1961年(昭和36年)5月、この地に玉堂美術館が開館しました。
香淳皇后が玉堂から絵画の指導を受けていたという関係もあるのか、皇居内にある「皇居三の丸尚蔵館」でも、多くの玉堂作品を収蔵しています。
1889年(明治22年)16歳の頃の写生です。動物、植物の細かい描写を、若い頃から研究していたようです。上手いですね(当たり前でしょうが・・・)
今回の展覧会は「家路」をテーマに、秋の風景が多く展示されています。
川合玉堂 《河畔晩秋》 1929年(昭和4年) 56歳
展示風景
玉堂の絵画には自然の中の人や動物が描かれたものが多く、自然と人が一体化した画の中には物語があり、鑑賞者は当時の人々の暮らしぶりから想像を膨らませることができます。
川合玉堂 《河畔清秋》 1950年(昭和25年) 77歳
川合玉堂の絵画を観るとなぜかほっこりとするのは、厳しい風景に立ち向かっていくのではなく、温かい家庭に向かって「家路」に付く人々が描かれているように感じられるからではないでしょうか。
川合玉堂 《時雨》 1953年(昭和28年) 80歳
左から、文化勲章(1940年/昭和15年)、イタリア皇帝よりグラン・オフィシェー・クーロンヌ勲章(1931年)、勲一等旭日大綬章(1957年/昭和32年)が展示されています。
川合玉堂愛用の岩絵の具です。
玉堂は約265個の印章を、作品の大きさや色合いなどにより使い分けていました。多くの篆刻(てんこく)者の印章を使っていましたが、中村蘭台と北大路魯山人(下の写真)の作品が多かったということです。
本展は、12月8日(火)まで開催されています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
「私は死を乗り越えて生きてゆきたい」草間彌生 YAYOI KUSAMA MUSEUM ― 2024年11月16日 14時37分17秒
草間彌生美術館(YAYOI KUSAMA MUSEUM)で、展覧会「私は死を乗り越えて生きてゆきたい」が開催されています。
草間彌生美術館は地上5階、地下1階建てで、1階から5階が展示室になっています。
チケットはWEBサイトのみの販売になり、美術館窓口では販売していません。
入館を待つ人の列は80%以上が外国人です。
草間彌生は幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされ、トラウマや神経症による自殺未遂衝動による生と死という常に差し迫った問題を、創作活動で乗り越えてきました。
本展では、戦争の影が色濃く見られる1940~50年代の絵画から最新作までの多様な作品の展覧を通し、草間の死生観の表出とその変遷を紹介しています。
草間彌生の作品は、水玉模様や網模様などの同一のモチーフの反復によって、絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つとなっています。
エレベーターの中にも赤い水玉模様が広がります。
草間彌生自ら作詞・作曲した曲 《マンハッタン自殺未遂常習犯の歌》を歌います。
この、鏡によって無限の空間を創り出す技法も、草間彌生作品の特徴となっています。
草間彌生 《マンハッタン自殺未遂常習犯の歌》 2,010年 ビデオプロジェクション、鏡 サイズ可変
YAYOI KUSAMA 《Song of a Manhattan Suicide Addict》草間彌生 《大いなる巨大な南瓜》 2024年 F.R.P. ウレタン塗装 245×φ260cm
YAYOI KUSAMA 《Great Gigantic Pumpkin》 2024年の最新作です。上の写真、かぼちゃの右の方にこのようなサインがありました。
この美術館での展覧会は今回で14回目になります。図録は同じサイズに統一して展覧会ごとに発行しているので、本棚にきれいに並びます。今回はNo.014になり、バックナンバーも美術館で販売しています。
屋上からは、正面に新宿の高層ビル群を見ることが出来ます。
「私は死を乗り越えて生きてゆきたい」開催概要
開催会場:草間彌生美術館 東京都新宿区弁天町107
開催期間:2024年10月17日(木)~ 2025年3月9日(日)
休館日:月、 火、水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
開館時間:11:00~17:30
※日時指定の予約・定員制(各回90分)。毎月1日10:00に美術館ウェブサイトにて翌々月分のチケット発売開始(当日券なし、WEBサイトのみで販売)
観覧料:一般 1100円 / 小中高生 600円 / 未就学児無料
最新情報は美術館ウェブサイトを確認して下さい
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
塩田千春 つながる私(アイ) CHIHARU SHIOTA I to EYE ― 2024年11月12日 12時22分22秒
ベルリンを制作拠点とし、国内外で制作活動を行っている現代美術家、塩田千春さんの個展「塩田千春 つながる私(アイ) CHIHARU SHIOTA I to EYE」が、大阪中之島美術館で開催されています。
2019年6月20日から六本木ヒルズの森美術館で開催され、その後各地を巡回した個展「塩田千春展 魂がふるえる」で感銘を受けた私は、是非観たい展覧会ではありますが、大阪中之島美術館のみの展覧会で巡回することは無いといいます。
開催会場に合わせた効果的な展示方法がとられているインスタレーションなので、巡回展が出来ないのはやむを得ないと思います。
で、図録だけでも見てみようと取り寄せた図録が届きました。
糸で本文を綴り背を糊で固める製本方法“コデックス装”なので、本を開いた時綴り目が平らになり、綺麗に開けることができます。
塩田千春による書き下ろしエッセイや、ベルリンで行ったロングインタビューも書き起こし収録され、A4タテ変型(225×297㎜)、本文312ページという豊富な情報量で塩田千春の制作の変遷をたどっています。
塩田千春さんを含めた展示準備中の光景、過去の展覧会の様子なども収録され、写真作品としても成立するような美しい展示風景の写真が数多く並びます。
税込3,850円+送料800円でした。
「塩田千春 つながる私(アイ) CHIHARU SHIOTA I to EYE」開催概要
開催会場:大阪中之島美術館 5階展示室
開催期間:2024年9月14日(土)– 12月1日(日)
休館日:月曜日
開館時間:10:00 – 17:00(入場は16:30まで)
観覧料金: 一般 2000円(平日 1800円) 高大生 1500円 中学生以下 無料
※障がい者手帳などをお持ちの方(介護者1名を含む)は当日料金の半額
※一般以外は要証明
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す― ― 2024年11月07日 18時22分22秒
東京ミッドタウン(六本木)にあるサントリー美術館で開催されている、英一蝶の展覧会「没後300年記念 英一蝶 -風流才子、浮き世を写す-」が今週末で終わってしまうので、昨日行ってきました。
東京ミッドタウン・ガレリア3階にある美術館の設計は、隈研吾さんによるものです。
英 一蝶(はなぶさ いっちょう)は、日本の江戸時代中期(元禄期)の画家です。
1952年(承応元年)に生まれ、1724年(享保9年)に享年73歳で亡くなりました。300年前の時代になります。
絵画は狩野派に入門し、のちに市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出しました。松尾芭蕉などとも交友を持って俳諧に親しみながら、書道も学んでいました。
また、吉原遊廓通いを好み、客として楽しむ一方で自ら幇間としても活動して、太鼓持ちなどをしていたといいます。
1698年から1709年まで三宅島へ流罪となり、島で描かれた作品は「島一蝶(しまいっちょう)」と呼ばれ、高く評価されています。
生き生きとした人物描写と、ユーモアあふれる視点、狩野派仕込みの確かな画技が合わさった、観ていてほっこりするような作品が数多くあります。
英一蝶 《舞楽図・唐獅子図屏風》のうち舞楽図 メトロポリタン美術館蔵
図録は変形A4サイズ・全252ページ、税込2,800円です。
開催会場:サントリー美術館
開催期間:2024年9月18日(水)~11月10日(日)
休館日:火曜日
開館時間:10:00~18:00(金曜は10:00~20:00)
観覧料金:一般1,700円 高校・大学生1,000円
※中学生以下無料
※障害者手帳をお持ちの方は、ご本人と介助の方1名のみ無料
サントリー美術館ですが、ウイスキーやビールの試飲は出来ませんでした。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
「写楽祭!— 日本の写真集 1950~70年代」フジフイルムスクエア ― 2024年10月25日 18時53分48秒
六本木の東京ミッドタウンにあるフジフイルムスクエア内のフジフォトサロンで開催されている、富士フイルムグループ創立90周年記念企画展 「写楽祭!— 日本の写真集1950~70年代」に行ってきました。
富士写真フイルム株式会社(当時)では、高度経済成長下のカメラブームを背景に、1960年代に有料PR誌「写楽祭」を刊行していました。
今回の写真展、第1部:『写楽祭傑作写真集』では、その「写楽祭」第10号で取り上げられた32冊の写真集から15冊を精選し、実際の写真集と各作家の写真作品を併せて展示しています。
第1部は木村伊兵衛、大竹省二、中村立行、濱谷浩、丹野章、石元泰博、岡田紅陽、細江英公、秋山庄太郎、 東松照明/土門拳、島田謹介、渡辺義雄、中村由信、岩宮武二、緑川洋一第2部:『写真集の時代1950~70年代』では、「写楽祭」には掲載されていないながら同時代を語るに欠かせない、厳選した17冊の写真集を第1部同様に各作家の写真作品とともに紹介しています。
第1部、第2部合わせて32点の写真集の実物と、ゼラチン・シルバー・プリントによる各作家の作品が展示されます。
第2部は田淵行男、山端庸介、常盤とよ子、芳賀日出男、土門拳、山沢栄子、小島一郎、川田喜久治、 浅井愼平、渡辺眸、深瀬昌久、森山大道、鈴木清、沢渡朔、奈良原一高、牛腸茂雄、石内都
と、錚々たるメンバー32名の銀塩写真による「写真展」と、時代を超えて作品を広く伝え続ける32冊の「写真集」が対をなし、写真文化が発展した時代の媒体の広がりを感じさせる構成になっています。
日本の著名な写真家の代表作が一堂に会した、またとない機会です。
毎日先着500冊限定で、写真展出展作品の図録「写楽祭」(B6判、非売品)が貰えます。
フランス生まれの国民的写真家として知られるロベール・ドアノーの写真展も開催されています。
第一部:「パリ郊外~城壁の外側~」8月29日(木)~10月30日(水)
第二部:「“永遠の3秒”の原点」を見る 10月31日(木)~12月26日(木)
富士フイルムグループ創立90周年記念企画展 「写楽祭!— 日本の写真集1950~70年代」開催概要
開催会場:FUJIFILM SQUARE内、富士フイルムフォトサロン 東京 スペース1・2・ミニギャラリー
開催期間:8月29日(木)~10月30日(水)
休館日:会期中無休
開館時間:10:00-19:00(最終日は14:00まで、入館は終了10分前まで)
観覧料金:無料
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
圧巻の睡蓮! 『モネ睡蓮のとき』国立西洋美術館 ― 2024年10月20日 18時37分33秒
1874年にパリで第1回印象派展が開かれてから、今年は150年になります。
その「印象派」の名の由来となった作品、《印象・日の出》を描いたクロード・モネの展覧会『モネ 睡蓮のとき』が、上野の国立西洋美術館で開催されています。世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館より、日本初公開作品を含む、厳選されたおよそ50点が来日し、日本国内に所蔵される作品も加えて計64点の名画が集結しました。
第1章「セーヌ河から睡蓮の池」
1890年、50歳になったモネは、7年前に移り住んだノルマンディー地方の小村ジヴェルニーの土地と家を買い取り、これを終の棲家としました。
数多くの《睡蓮》の名作が生まれたのもこの池からですが、この頃に描かれたのは、ロンドンの風景や、身近なセーヌ川の風景でした。
第2章「水と花々と装飾」
第2章「水と花々と装飾」
池の周囲に植えられた多種多様な花々をモティーフとして描かれた作品が紹介されています。
第3章「大装飾画への道」
睡蓮の池を描いた巨大なパネルによって楕円形の部屋の壁面を覆うという大装飾画の構想は、モネが長年にわたり追い求めたテーマでした。
モルマッタン・モネ美術館での展示を再現し、湾曲した壁面に《睡蓮》の装飾壁画が並びます。
第4章「交響する色彩」
1908年ごろからしだいに顕在化しはじめた白内障の症状は、晩年の画家の色覚を少なからず変容させることになりました。
1918年の終わりごろから最晩年には、死の間際まで続いた大装飾画の制作と並行して、複数の独立した小型連作が手掛けられました。激しい筆遣いと鮮烈な色彩は穏やかなモネの作品とは程遠いものに感じられます。でも、これらの作品が、のちの抽象表現主義の先駆に位置づけられていると聞くと、パリを代表する大芸術家の存在を改めて再確認することができるのです。
エピローグ「さかさまの世界」
1914年に第1次世界大戦が勃発し、戦火の中、モネは心を痛めます。その頃からジヴェルニーの池に植えられた枝垂れ柳をモチーフにした、水への反映を多く描くようになりました。
1914年に第1次世界大戦が勃発し、戦火の中、モネは心を痛めます。その頃からジヴェルニーの池に植えられた枝垂れ柳をモチーフにした、水への反映を多く描くようになりました。
枝垂れ柳はその姿から服喪、悲しみの象徴とされていました。
本展では、《睡蓮》連作を中心に、モネ晩年の芸術を紹介しています。《睡蓮》が一堂に会した展覧会としては日本で最大のものとなります。
1914年以降のモネは大装飾画の製作において、睡蓮は池の周囲に植えられた枝垂れ柳やその反映像と共に、極めて重要な位置を占めるようになります。刻々と変化する光と影をとらえ、柳と空と水の反映の中に睡蓮の花が浮かぶ、モネを象徴するような作品です。
クロード・モネ 《睡蓮》 1916-1919年頃 油彩、カンヴァス マルモッタン・モネ美術館蔵
国立西洋美術館のコレクションの基礎を築いた松方幸次郎が、ジヴェルニーのモネの家を訪れ、モネから直接購入した作品です。
第2次世界大戦を経て行方不明になっていましたが、2016年にルーブル美術館において、画面の大半が損傷した状態で発見されました。
クロード・モネ 《睡蓮、柳の反映》 1916年? 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館所蔵
モネの代表作である《印象・日の出》を所蔵するマルモッタン・モネ美術館からの出展ですが、さすがに《印象・日の出》は展示されていませんでした。来年1月19日までニューヨークのナショナルギャラリーに貸し出されているようです。
(《印象・日の出》は2015年9月19日から10月18日まで、東京都美術館「マルモッタン・モネ美術館蔵 モネ展」で展示されたことがあります)
図録はA4変型(約W220×H260mm)280ページ、3,200円(税込)で、国内外の研究者による充実のテキストを収録した、読み応えのある一冊です。
ハードカバーの表紙に、シルバーで箔押しされた展覧会タイトルが、睡蓮の池にきらりと光ります。
『モネ 睡蓮のとき』開催概要
開催会場:国立西洋美術館
開催期間:2024年10月5日[土]-2025年2月11日[火・祝]
以降の休館日:月曜日、11月5日[火]、 12月28日[土]-2025年1月1日[水・祝]、 1月14日[火]
※11月4日[月・休]、2025年1月13日[月・祝]、 2月10日[月]、2月11日[火・祝]は開館
開館時間:9:30 〜 17:30(金・土曜日は21:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
観覧料金:一般 2,300円 大学生 1,400円 高校生 1,000円
※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者 1 名は無料
※12月12日[木]-27日[金]、2025年1月2日[木]-17日[金]は高校生無料観覧日
※一般以外は証明できるものが必要
※観覧当日に限り本展の観覧券で常設展も観覧できます
詳細は公式チケットサイトへ(こちら)
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
立川パートナーシップフェスタ2024 ― 2024年09月15日 16時02分01秒
昨日、国営昭和記念公園みどりの文化ゾーンゆめひろば(無料エリア)を通ったら、「立川パートナーシップフェスタ2024」の準備をしていました。
これは「力をあわせてみんなの街を守ろう!!」をテーマに、最大震度6弱の地震を想定した災害対応訓練のイベントです。
とはいってもそんなに堅苦しいものではなく、警備犬、警察署救出救助部隊、学生ボランティアによる災害対策訓練や、白バイ体験乗車、パトカー、、救急車、パワーショベル等の車両展示、各種体験、スタンプラリー等のイベントを通じて、防災や防犯について楽しく学ぶ機会となります。
まだ準備中でしたが、たくさんの車両が並んでいました。
警視庁交通機動隊の白バイ、ヤマハFJR1300APです。
これは、ヤマハの「FJR1300AS」をベースに、赤色灯、サイレン、サイドボックス、無線機などの装備品を追加し、POLICE仕様にしたものです。
同じく警視庁交通機動隊の、ニッサン・フェアレディ Z のパトカーです。
警視庁特殊救助隊の水陸両用車「アーゴ」です。カナダのオンタリオ・ドライブ&ギア・リミテッド社(ODG)製です。
大きなタイヤが8本ついています。タイヤの中の空気だけでも浮きそうですね。
陸上での最高速度は32km/hです。
警視庁特殊救助隊の高性能救急車です。 メルセデス・ベンツ製「UNIMOG(ウニモグ)」を使用していて、警視庁ではウニモグを4台、その他全国14道府県に17台配備されているということです。
排気用のマフラーが屋根の上まで伸びているので、マフラーからエンジンに水が逆流することが無く、深く浸水した場所でも、走れるそうです。
警視庁機動隊の輸送警備車です。
後部の窓が全部塞がれていて全体的にのっぺらとして、新交通システムの車両に似ています。
大型のフロントガラスが設置されていますが、必要に応じて覗き穴が付いた防護板を上げて、フロントガラスを防護することができます。
陸上自衛隊の車両も展示されていました。3トン半トラック(いすゞ自動車製)です。
73式(ななさんしき)大型トラックともいいますが、正式名称は「3 1/2tトラック」と表記します。
陸上自衛隊の1t 水トレーラ(日本トレクス製)です。
水タンク容量は1,000リットルで、野外訓練時の他、航空祭や花火大会、箱根駅伝予選会などのイベント時にも使用されます。
陸上自衛隊の11/2t救急車(トヨタ自動車製)です。
1 1/2tトラック(Ⅰトン半トラック)の後部に、完全密閉式のキャビンを搭載した、自衛隊仕様の救急車です。被弾時でも走行可能なランフラットタイヤを装備し、サイレンを鳴らしての公道緊急走行もできます。
その他、起震車、消防団指揮車、救急車(立川消防署&民間)、応急給水車(東京水道グループ)、低圧発電機車(東京電力)、ポータブル衛星車&指揮車(NTT東日本)、ガス緊急車両(東京ガス)、など、災害に対応する各種特殊車両が展示されました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論 ― 2024年09月08日 16時47分56秒
メタセコイヤの林が青々と茂り、鳥のさえずりが木々の間にこだまする生田緑地。
水をたたえた「奥の池」には覆いかぶさるような緑が映りこんでいます。
生田緑地の計画面積179ヘクタール(ha)とういう広大な敷地の中には、日本民家園、伝統工芸館、かわさき宙(そら)と緑の科学館、川崎市岡本太郎美術館、川崎国際生田緑地ゴルフ場、生田緑地ばら苑のほか、「ドラえもん」でお馴染みの藤子・F・不二雄ミュージアムなどの施設が点在します。
川崎市 岡本太郎美術館で開催されている常設展「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」に行ってきました。
屋外に展示されている岡本太郎美術館のシンボルタワー、高さが30メートルもある《母の塔》です。
岡本太郎の母、岡本かの子は多摩川のほとりに生まれ、太郎が誕生したのも母の実家であるこの地です。1964年に、岡本かの子文学碑《誇り》が太郎の手によって、多摩川河畔に建立されましたが、《母の塔》はこの碑と向かい合うように設計されました。
岡本太郎 《母の塔》 原型制作年1971年 構造:鉄骨造/外装:外殻GRCクラッシュパネル仕上 クラッシュタイル/人形彫刻: FRPブロンズ仕上 全高30m
「カフェテリアTARO」前の池に展示されている《樹霊Ⅰ》です。
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の際、《太陽の塔》の地下に展示された作品です。
岡本太郎 《樹霊Ⅰ》 制作年1970年/再制作年1997年 ブロンズ 高さ250cm 幅180cm 奥行100cm
川崎市岡本太郎美術館エントランスです。草がうっそうと茂って、「目もあやなオバケ王国」という展示テーマにぴったりのイメージです。
「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」展は収蔵作品展(常設展)として10月6日(日)まで開催されています。
「目もあやな」という言葉、最近あまり聞かれなくなりました。漢字では「目も綾な」と書きます。目にも鮮やかなという意味があり、眩しいほどに美しい様子を表します。本展では「VIVID」という英訳で表現しています。
会場入口に展示されているのは、《千手》(せんじゅ)という奇妙な作品です。
岡本太郎 《千手》 1975年 アルミニウム
『岡本の作品には人間の内にある真の姿として、オバケのようなキャラクターがたびたび現れます。岡本の冷静かつ無邪気な目線から表現された世界では、ほとんど妖怪に近い姿をなした生き物が駆け回り、生を哄笑します。 本展ではオバケ同様に既存の体制に抗いながらも、愛嬌ある作品を生み出し続けた、岡本が作り出した鮮やかなオバケ王国をご覧ください。』
(『 』内本展案内文のまま)
1950年代後半から、岡本太郎はオバケについて興味を持ち、独自の視点でいくつかの記事を書いています。本展では「現代生活に失なわれているものは、何よりもイマジネーションだ。」と語る岡本太郎が集めたオバケについての資料、過去に語った怖い話やオバケに関する言葉を作品と合わせて紹介し、《夜》 《森の掟》 《駄々っ子》 《ノン》などの著名な作品から、《疾走する眼》 《赤い手》 《青い手》など人気作品を多数展示しています。
第1章:岡本太郎とオバケ
私が大好きな岡本作品 《夜》 が展示してありました。
稲妻のように燃える赤い目、下から忍び寄る足とも手ともつかぬ指、ひそかに覗く髑髏の目、何ともおどろおどろしい絵画ですが、ナイフを隠し持って凛と佇む少女が正義の勝利を予感させます。
1948年に岡本太郎と、評論家の花田清輝が発起人となり、総合芸術運動を掲げて発足した研究会「夜の会」。その名称は、当時岡本のアトリエに掛かっていたこの作品《夜》に因んで付けられました。
岡本太郎 《夜》 1947年 油彩・キャンバス
岡本太郎は長年、資料としてしか見られてこなかった縄文土器の芸術性を再発見し、東北や沖縄に伝わる伝統的行事を取材してフィールドワークを行い、日本に眠っている古代から伝わる「伝統」を再発見しました。カメラを持って各地を回り、写真や文章で記録しています。その際岡本は「なまはげは霊である」というコメントを残しています。
岡本太郎 《なまはげ 秋田》 1957年2月12日 ゼラチン・シルバー・プリント
第2章:美術におけるオバケ
各地を回った際に購入した岡本太郎の収蔵品の数々も展示されています。
第3章:見つめるオバケ
1970年の大阪万博の際に創られた《太陽の塔》は、未来を表す上部の「黄金の顔」と、現在を表す正面胴体部の「太陽の顔」の他に、過去を表す「黒い太陽」が背面に描かれています。
《太陽の塔》背面 1970年 繊維強化プラスチック(FRP)
第4章:目もあやな人間王国
河童(かっぱ)は、日本の水の妖怪とされ、水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいわれています。
《河童像》は青森県小牧温泉(現・星野リゾート青森屋)内の、人口の湖がある公園に設置されていました。
岡本太郎 《河童像》(部分) 1981年 繊維強化プラスチック(FRP)
展示風景
「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」開催概要
開催会場:川崎市 岡本太郎美術館
開催期間:2024年7月12日(金)~2024年10月6日(日)
本日以降の休館日:月曜日(9月16日、9月23日を除く)、9月17日(火)、9月24日(火)
開館時間: 9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料:一般500円、高・大学生・65歳以上300円
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
所蔵作品展「MOMATコレクション」 ― 2024年08月22日 18時22分54秒
閉会間近ですが8月25日まで、東京国立近代美術館で所蔵作品展「MOMATコレクション」が開催されています。
「MOMATコレクション」展は、19世紀末から今日に至る日本の近現代美術のながれを海外作品も交えて、1,3000点余りの所蔵作品の中からテーマを変えながら常時200点ほどを紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。
所蔵品ギャラリーは4階から2階まで12の部屋で構成されます。
1室 ハイライト
「ハイライト」では日本画の名品の他、日本近代洋画の人気作品や日本の前衛美術に大きな影響を与えた西洋の作家たちの作品を展示しています。
鏑木清方の《墨田河舟遊》は当館収蔵品でありながら、観る機会はあまり有りません。
鏑木清方 《墨田河舟遊》 1914年 絹本彩色 (下は部分)
2室 1910年代 ― 個への目覚めと多様性
ヨーロッパで学んだ美術家たちが相次いで帰国し、ヨーロッパの新しい美術や考えが盛んに紹介された明治時代の末頃には、画家個人の資質を活かした題材や表現の探究がみられます。
岸田劉生 《道路と土手と塀(切通之写生) 》 1915年 油彩・キャンバス 重要文化財
3室 大戦とバブル
第一次世界大戦当時、軍需品の輸出によって日本は好景気を迎え、「成金」と呼ばれる企業家が続々と登場していました。海外から影響を受けて日本で前衛傾向が高まるのもこの時代です。
第一次世界大戦当時、軍需品の輸出によって日本は好景気を迎え、「成金」と呼ばれる企業家が続々と登場していました。海外から影響を受けて日本で前衛傾向が高まるのもこの時代です。
藤田嗣治 《パリ風景》 1918年 油彩・キャンバス
4室 長谷川利行 東京放浪
1921年に関西から上京してきた長谷川利行のアトリエとなったのは、関東大震災(1923年)後の東京の盛り場や下町でした。ときに「肖像画の押し売り」をしながら街をうろつきまわっていた長谷川の絵は、スピードに満ちた迫力がある一方で、ナイーブで詩的な印象を覚えさせます。
展示風景
5室 パリのサロン
第一次世界大戦終結後の1920年代には世界中の芸術家たちがパリに集いました。この部屋では、サロンの常連だった西洋の画家の作品とともに、サロンに挑んだ日本人画家たちの滞欧作を中心に展示しています。
マルク・シャガール 《ふたり》 1976-77年 油彩・キャンバス
6室 興亜のまぼろし
第二次世界大戦下の日本は、いわゆる「大東亜共栄圏」構想を掲げ、インドネシアやフィリピン、ビルマ(現在のミャンマー)など南方に進出しました。そして画家たちは「彩管報国」(絵筆で国に報いること)の理念のもと、戦争画を描いたのでした。各地の戦闘場面や風俗を描いた絵画は、観衆の領土拡大への意欲を後押しし、戦意高揚に貢献しました。
鈴木良三 《衛生隊の活躍とビルマ人の好意》 1944年 油彩・キャンバス 米国から無期限貸与
7室 プレイバック「日米抽象美術展」(1955)①
1955年に国立近代美術館で開催された「日米抽象美術展」を振り返る展示です。当時1階では日本の彫刻作品、2階にはアメリカ側の作品、3階には日本側の作品が展示されました。
8室 プレイバック「日米抽象美術展」(1955)②
8室では、所蔵品の中から「日米抽象美術展」の出品作家による作品を展示しています。
8室では、所蔵品の中から「日米抽象美術展」の出品作家による作品を展示しています。
9室 『 20 Photographs by Eugène Atget』
ベル・エポックに華やぎ、近代化と都市改造が進むパリとその郊外で、失われるかもしれない風景や街路、労働者、商店、室内装飾、庭園等を写真で記録し続けたウジェーヌ・アジェ。
今回の展示では、アジェのガラス乾板ネガから、写真家ベレニス・アボットによってプリントされた20点組ポートフォリオ作品が並びます。
※ベル・エポック(仏: Belle Époque:美しい時代)は、主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリが繁栄した華やかな時代を指します。
撮影から120年、プリントから60年以上経った今もなお、見る者の心を引き付けます。
ウジェーヌ・アジェ 『20 Photographs by Eugène Atget』より 《ランプの傘売り》 1899-1900年 (printed 1956年) ゼラチン・シルバー・プリント
10室 東西ペア/三都の日本画
日本と西洋、東西のペアと、東京、京都、大阪の三都にかかわりの深かった日本画家の作品から、描かれた主題や風俗、表現などに地域性が見いだせるか否かを考えさせる展示になっています。
パブロ・ピカソ 《ラ・ガループの海水浴場》 1955年 油彩・キャンバス
11室 黙(らない)、認(めない)
このコーナーでは、日本とアメリカという国家に抑圧される沖縄を起点に、暴力やジェンダーなどのテーマを扱う山城知佳子、自身が歴史や社会の中で構成されてきた「女」であることを引き受けながら個々の生きる営みを眼差す石内都、戦後に日本国籍を失った在日韓国人として日韓のはざまでアイデンティティを問い続ける郭徳俊の作品を紹介してます。
このコーナーでは、日本とアメリカという国家に抑圧される沖縄を起点に、暴力やジェンダーなどのテーマを扱う山城知佳子、自身が歴史や社会の中で構成されてきた「女」であることを引き受けながら個々の生きる営みを眼差す石内都、戦後に日本国籍を失った在日韓国人として日韓のはざまでアイデンティティを問い続ける郭徳俊の作品を紹介してます。
展示風景 石内都
12室 作者が語る
作者の言葉が聞けるアーティスト・トーク。制作にまつわる考えを作者本人から聞くことができるのは、現代の美術ならではの大きな恩恵です。12室では、畑茂久馬、辰野登恵子、堂本右美、中村宏の4作家のトーク映像とともに、作品を紹介しています。
当館では、これまで開催されたアーティスト・トークを、WEBサイトでも公開しています。(こちら)
2階ギャラリー4では、「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》 インターナショナル編」が展示されています。
フランスの彫刻家ジェルメーヌ・リシエの彫刻 《蟻》 など、リシエの作品を中心に、フランス、イタリア、アメリカほか当館所蔵の海外作家の作品を紹介しています。
ジェルメーヌ・リシエ 《蟻》 1953年
所蔵作品展「MOMATコレクション」&「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》 インターナショナル編」開催概要
開催会場:東京国立近代美術館所蔵品ギャラリー(4F-2F)
開催期間:8月25日(日)まで
開館時間;10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00) 入館は閉館30分前まで
観覧料金:一般 500円 大学生 250円
※5時から割引(金曜・土曜) :一般 300円 大学生 150円
※高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料(要証明)
※本展の観覧料で入館当日に限り、コレクションによる小企画 「新収蔵&特別公開|ジェルメーヌ・リシエ《蟻》インターナショナル編」も観覧できます
※企画展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」観覧の方は、当日に限り上記2つの展覧会が無料で観覧できます
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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