小柳徹のお墓 Vol.6 ― 2019年03月19日 13時48分00秒
小柳徹さんは1948年(昭和23年)8月18日生まれ。
1969年(昭和44年)3月24日に20歳の若さで逝去されています。
1969年(昭和44年)3月24日に20歳の若さで逝去されています。
今年、2019年(平成31年)3月24日には没後50年を迎えます。
今日、鎌倉霊園にある小柳徹さんのお墓に行ってきました。
お墓の近くからは、雪をいただいた壮大な富士山を見ることが出来ました。
子役として、俳優として、声優として、シンガーソングライターとして、又、「ヤング720」のような情報番組にも出演して人気のあった小柳徹さんも、生きておられたら現在70歳。富士山のように日本を代表する偉大な俳優さんになっておられたことでしょう。
「小柳徹のお墓」 Vol.1、Vol.2、Vol.3、Vol.4、Vol.5、小柳徹1年会記念誌「偲」については左の「Categories」の欄の「小柳徹」をクリックして見ることが出来ます。
ご意見、コメント等ございましたら、「小柳徹掲示板」までお寄せください。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
「偲」 小柳徹一年会 ― 2018年04月24日 11時29分14秒
2018年3月24日に行われた「小柳徹 50周年追悼記念会」から1ヶ月が経ちました。
小柳徹さんは1948年(昭和23年)8月18日生まれ。
1969年(昭和44年)3月24日に20歳の若さで逝去されています。
1969年(昭和44年)3月24日に20歳の若さで逝去されています。
翌1970年(昭和45年)3月24日に執り行われた追悼式典の際に参列者に配られた小冊子「偲」。
48年の時を経て、親族の方のご厚意により許可をいただき、記念誌「偲」をここに掲載させていただきます。
「小柳徹 50周年追悼記念会」の際にも復刻版が手渡されましたが、落丁、乱丁が随所に見られました。
修正版として、改めてお読みいただければと思います。
複数ページに渡る文章は、基本的に右ページから左ページへとつながります。
画像をクリックすると拡大表示されます。
紙面の一部に色彩加工を施してあります。
ご意見、コメント等ございましたら、「小柳徹掲示板」までお寄せください。
小柳徹のお墓 Vol.5 ― 2018年03月25日 18時20分17秒
昨日、3月24日に「小柳徹50周年追悼記念会」が鎌倉霊園にて執り行われました。
小柳徹さんは1948年(昭和23年)8月18日生まれ。
1969年(昭和44年)3月24日に20歳の若さで逝去されています。
昨日は晴天に恵まれ、徹さんのような優しい爽やかな風が讃美歌の歌声の中を流れていきました。
徹さんの甘いマスクと歌声は、いつまでも私たちの心の中に生き続けるでしょう。
1969年(昭和44年)3月24日に20歳の若さで逝去されています。
昨日は晴天に恵まれ、徹さんのような優しい爽やかな風が讃美歌の歌声の中を流れていきました。
徹さんの甘いマスクと歌声は、いつまでも私たちの心の中に生き続けるでしょう。
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今回の「小柳徹50周年追悼記念会」は親族の方が主催され、「小柳徹掲示板」で語り合った方たちが集う会になりました。
親族の方から身近なお話を聞くことが出来、初めて会った人たちが旧友のように語り合い、思い出に残るひと時を過ごさせていただきました。
皆さん、ありがとうございました。
小柳徹さんに関するコメントは「小柳徹掲示板」へお願いします。
小柳徹のお墓 Vol.4 ― 2012年09月25日 22時05分11秒
小柳徹のお墓 3 ― 2011年09月25日 21時35分25秒
小柳徹のお墓 Vol.2 ― 2011年03月20日 22時27分52秒
2006年9月22日付の「小柳徹のお墓」へのコメントが50件を超えた為、ASAHIネット側の制限でコメントの記入が出来なくなりました。
小柳徹さんを愛する皆様方の、沢山のコメント有難うございます。
3月24日の命日を間近にして、更に多くのコメントを戴き、皆様の輪を広げて行きたいと思います。
3月24日の命日を間近にして、更に多くのコメントを戴き、皆様の輪を広げて行きたいと思います。
過去のコメントも全て転載しましたので、よろしくお願いします。
小柳徹さんが亡くなられてから42年が過ぎようとしています。
3月11日に起きた東日本大震災の影響で、首都圏でもまだガソリンが購入しにくくなっています。
被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。
このような社会状況の中、正しい行動かどうかは分かりませんが、普通にガソリンが手に入るようなら、命日の3月24日、鎌倉霊園に行ってみようと思います(電車では1日がかりの小旅行になってしまうので)。
もし行けたら、後日写真と共にこの欄でご報告したいと思います。
小柳徹さんのお墓は、こちらの地図(鎌倉霊園HP)の朝比奈地区58区にあります。
追記
3月24日、小柳徹さんの43回忌です。お墓参りに行って来ました。
ウチの(妻も含めて)お墓が向かい側の区画にあるので立ち寄ったのですが、どっちがついで参りだか分からなくなってしまいました・・・
鎌倉霊園の朝比奈東門を入るとすぐ登り坂になります(霊園内です)。
左のモッコリ、いや、コンモリした植木の所が売店とトイレです。
右側は芝生霊園になっています。
周りに茂っていた植木が無くなって、すっきりしていました。
右には「小柳徹」のサイン
墓所の維持管理は基本的に使用者が行いますが、管理事務所に依頼すると代行サービスを行ってくれます。(有料)
売店でお花を買った時、売店の人から「今日、9時から10時の間にAさんがお参りに来られますよ」という話を聞いた。
頻繁にお墓参りに来られているとの事。
少しお墓の近くでウロウロしていたら、Aさんがいらっしゃった。
もちろんお会いするのは初めてだが、このブログに何度かコメントを戴いている方。
私は仕事にギリギリの時間だったのですぐお暇したが、両手で抱えるような大きな花束を持っていらしたので、今頃は、この写真とは違う見事な花に包まれていることだろう。
合掌
鎌倉霊園は、電車とバスを使うと大変な思いをしなくてはいけませんが、車だと横浜横須賀道路の朝比奈 I.C.からすぐなので、首都高速や横浜新道・第三京浜に直結していて、渋滞にあわなければ1時間足らずで東京都に入れます。
地図は、「鎌倉霊園ニュース・恭花」という年に2回(お彼岸の前)送られてくる冊子からパクリました。ごめんなさい。
2014年11月18日撮影。
小柳徹のお墓 ― 2006年09月22日 19時08分27秒
今日はお休み。
お彼岸なので、墓参りに行った。
鎌倉霊園。
ウチの墓の隣の区画には「小柳徹」の墓がある。
建立当時はこんな感じ。(この写真は日本の墓HPより)
碑に刻まれているのは、「真夜中の並木道」の歌詞。
作詞・作曲:久遠寺弦。久遠寺弦は小柳徹のペンネームである。
今で言えばシンガー・ソングライターである。 小柳徹は、小さい頃から子役や声優として活躍していたが、1969年3月24日、深夜の第三京浜で激突事故を起こして亡くなった。
車が大好きな20歳だった。 お墓の左横にはこんな碑も建っている。
ちょっと悲しくなってしまった。
毎日通勤で使っている第三京浜。
今日も行き帰りは第三京浜を使った。
走りやすい道路なので、時速140km位はすぐに出てしまう。
気をつけなくては・・・・・。
「小柳徹のお墓」へのコメントが50件を超えた為、ASAHIネット側の制限でコメントの記入が出来なくなりました。 小柳徹さんを愛する皆様方の、沢山のコメント有難うございます。
3月24日の命日を間近にして、更に多くのコメントを戴き、皆様の輪を広げて行きたいと思います。
継続して、「小柳徹のお墓Vol.2」にコメントをお願いいたします。 2011年3月20日 訂正します。下記をお読み下さい。
3月28日に「小柳徹 掲示板」を作りました。 せっかく書き込んで戴いても、記事が分散するといけないので、今後の書き込みは全てこちらへお願いします。 2011年3月28日
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