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六本木アートナイト 鴻池朋子・皮トンビ2023年05月27日 20時38分40秒

5月27日(土)から28日(日)にかけて、「六本木アートナイト2023」が開催されています。
六本木アートナイトは街全体を美術館に見立て、夜を徹してアートを楽しむ一夜限りのイベントです。
今年のテーマは「都市のいきもの図鑑」。
メインプログラム・アーティストとして、鴻池朋子さんの作品が六本木の街にやってきました。

鴻池朋子(こうのいけ ともこ)は、1960年秋田県生まれで、1985年に東京芸術大学美術学部 絵画科 日本画専攻を卒業しました。 玩具会社での企画デザインや、インテリア雑貨店の企画室に勤めて雑貨や家具のデザインを手がけたのち、1998年より絵画、彫刻、パフォーマンス、アニメーション、絵本などの様々なメディアを用いて、現代の神話(動物が言語を獲得するまでの物語)を、地形や場とのサイトスペシフィック( Site-specific 特定の場所でその特性を活かして制作する表現 )なトータルインスタレーションで表現し、人間学/動物学、おとぎ話、考古学、民俗学などと学際的に対話を重ねて、エネルギーと芸術の問い直しを試みている美術家です。

国立新美術館の建物の前には《狼ベンチ》がいました。
国立新美術館の館内各所に、多くの鴻池朋子作品が展示されています。(観覧は無料です)

鴻池朋子 《狼ベンチ》
鴻池朋子 狼ベンチ
日本の狼信仰や、世界各地の神話や宗教に登場する「狼」は、鴻池作品の中で多く取り上げられています。
この作品はベンチになっていて、自由に座ることができます。当然、撫でまわすことも・・・
鴻池朋子 狼ベンチ
向こうの建物は、黒川紀章設計の国立新美術館です。
鴻池朋子 狼ベンチ

鴻池朋子 《陸にあがる》
鴻池朋子 陸にあがる
大鹿の雄々しい角と艶めかしい女性の足が滑らかに接続されています。
最初のバージョンは能登半島最北端の崖、海と陸の境目に設置されました。海で生まれた生物が、陸にあがるという進化の長いプロセスを連想することができます。


鴻池朋子 《アースベイビー》
鴻池朋子 アースベイビー
生まれたばかりの赤ん坊の顔には、光を追い求める人間の原始的な感覚と緊張がみなぎります。
近年鴻池朋子は、害獣として駆除されたさまざまな動物の毛皮を展示に使っています。下に置かれた狼の毛皮は、モンゴルで20年以上前に害獣駆除されたものです。
狼の毛皮

鴻池朋子が2014年から国内外で続けてきた、手芸を中核としたプロジェクトのひとつ、《物語るテーブルランナー》が館内各所、各フロアに展示されています。 向こうに見えるのは《皮トンビ》です。
鴻池朋子 物語るテーブルランナー

鴻池朋子 《武蔵野皮トンビ》 牛皮、水性塗料、クレヨン
鴻池朋子 皮トンビ
埼玉県所沢市にある「角川武蔵野ミュージアム」の建物壁面に展示された《武蔵野皮トンビ》が六本木にやってきました。
鴻池朋子 皮トンビ
商品化されずに切れ端として捨てられる運命だった皮を用いて創られています。「武蔵野ミュージアム」の壁面で風雨と陽光によって色や形を変えてきたトンビは、自然は時と共に変化することを観る者に教えてくれます。
鴻池朋子 皮トンビ

鴻池朋子 皮トンビ

鴻池朋子 皮トンビ

鴻池朋子 皮トンビ

「東京ミッドタウン」のガレリアに展示された《大島皮トンビ》です。
鴻池朋子 皮トンビ
「瀬戶内国際芸術祭2019」で、2019年6月から2020年2月まで香川県高松市の離島、大島に展示された《 皮トンビ 》。 大島にある国立ハンセン病療養所の裏山で長く閉ざされていた山道を切り開いて設置されました。
その後、東京都中央区にある「アーティゾン美術館」で開催された「鴻池朋子 ちゅうがえり Tomoko Konoike FLIP」でも展示されています。
鴻池朋子 皮トンビ

鴻池朋子 皮トンビ

《大島皮トンビ》の横に並んで《高松→越前→静岡→六本木皮トンビ》も展示されています。
鴻池朋子 皮トンビ
各地の美術イベントを巡回して展示されてきた作品です。
静岡県立美術館で開催されたみる誕生 鴻池朋子展」でも、美術館の裏山に展示されていました。
鴻池朋子 皮トンビ

鴻池朋子 皮トンビ

鴻池朋子 皮トンビ

六本木アートナイト2023」は基本的に今日・明日限りのイベントです。
この展示は28日(日)18時まで。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

雨の中、土下座をする人2023年05月23日 12時54分13秒

宮崎駿デザインの日テレ大時計
汐留にある日本テレビタワーの日テレPLAZA2階にある「宮崎駿デザインの日テレ大時計」の裏手に、「この木なんの木ガーデン」という庭園があります。

雨の中、土下座をする集団がいました。
日本テレビの「シオタマ」
このオブジェは2004年にこのビルが開館した当時から、当ビルにある「日テレプラザ」内の随所で見られましたが、今はこの庭園にまとめられている様です。
日本テレビの「シオタマ」
このキャラクターは「シオタマ」という名で、初登場は2003年8月に放送された「ダウンタウンのバラエティ50年史」という番組だそうです。
日本テレビの「シオタマ」
全てのオブジェが土下座をしています。皆が一定の方向を向いているのでその先を見たら、エンゾ・プラゾッタ作の《音楽と歌の出会い・語らい》という作品がありました。
《音楽と歌の出会い・語らい》 エンゾ・プラゾッタ

日本テレビタワー
日テレタワーのこの特徴的な構造は、地震にも強そうですね。



今日もご覧いただき、ありがとうございました。

新緑の中「TARO鯉」が泳ぐ2023年05月03日 17時43分49秒

生田緑地にある「川崎市岡本太郎美術館」前の新緑の中で、「TARO鯉」が泳いでいます。
TARO鯉

自分勝手に鯉のぼりを描いた。
これがよく泳ぐのだ。
さすが、タロー鯉だ。勢いがいいと驚かれた。
“鯉のぼり”を五月の節句とだけ限ってしまってはつまらない。
男の子も女の子も、お誕生日などには祝ってあげたらいいし、
また運動会やお祭りにも、万国旗などよりはるかに楽しい彩りになると思う。
大人も、年寄りも、みんな自分自身が空中に飛翔しているような思いで、鯉のぼりをあげるといい。
鯉のぼりが悠悠と、華やかな彩りで天空にひるがえっているなんて、世界に広めたい夢だ。
私もこの原色の鯉のぼりが空に舞っているのを見ると、自分が大空を飛んでいるかのように嬉しくなってしまう。
     岡本太郎

TARO鯉
こどもの日は、「子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに母に感謝する日」とあります。
「TARO鯉」の向こうに、岡本太郎の作品「母の塔」が見えます。

「TARO鯉に挑む!」というイベントで小学生以上の子供たち(大人も?)が描いた鯉のぼりも、「母の塔」前の広場でたくさん泳いでいました。

展示期間:5月3日(水・祝)~7日(日) 開館時(9:30~17:00)のみ、雨天中止



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

JR新日本橋駅の現代アート2022年05月23日 18時03分22秒


作品 JO20ー1
《 作品 JO 20-1 》 1972~2022年 塵、埃、鉄粉、土、地下水 他、コンクリート

作品 JO20ー2
《 作品 JO 20-2 》 1972~2022年 塵、埃、鉄粉、土、地下水 他、コンクリート

作品 JO20ー3
《 作品 JO 20-3 》 1972~2022年 塵、埃、鉄粉、土、地下水 他、コンクリート


JR東日本・総武本線の新日本橋駅は1972年(昭和47年)7月15日に開業して、半世紀が経とうとしています。
新日本橋駅は地下駅で、ホームは地下3階にあります。その為、ホームの壁面には地下水が流れ出して現代アートのような模様を作り出していました。
これも自然が作り上げた芸術ですね。




今日もご覧いただき、ありがとうございます。

岡本太郎記念館の庭2022年05月13日 14時58分05秒

1998年5月、岡本太郎が戦後42年にわたって住まい、作品をつくりつづけた南青山のアトリエが「岡本太郎記念館」として公開されました。
館内では定期的に企画展が開催され、企画に沿った作品が展示されますが、庭に常設展示してある彫刻作品は植物に埋もれて、常に自然の中に溶け込んでいます。

「芸術は太陽と同じだ。太陽は熱も光も、無限に与える。日なたぼっこしても、“おい、あったかかったろう。じゃ、いくら寄越せ”なんて、手を差し出したりしないだろ?」
芸術とは太陽のようなもの。岡本太郎はそう考えていました。根底にあったのは「芸術は民衆のもの」という信念です。
《若い太陽》 1980年代後半

「芸術は一握りのスノッブや金持ちのものじゃない。さまざまな矛盾や困難と闘いながら毎日を生きる平凡な民衆のものであり、そうしたなんでもない暮らしの中でこそ生かされるべきなんだ」という芸術思想から、岡本太郎は数々のパブリックアートを制作しています。

この「庭」は、そんな岡本太郎の美意識を伝えるための重要なメディアとしての存在であり、私はここに来るとなぜか安心感に包まれて、新しいパワーが湧いてくるのです。

《河童像》 1981年

特に手が加えられていない「庭」は、バショウ(芭蕉)やシダ類、雑草が自然のままに生い茂っています。
そのなかに放り出されたように展示されている作品は、植物たちと渾然一体となり調和がとれています。
岡本太郎記念館の庭
この彫刻(↓)は《めばえ》という作品で、大型レジャー施設のモニュメントとして高さ120mの規模で計画されていたものの原型(1991年)です。施設の建設は実現しませんでした。
バショウ(芭蕉)には花と、バナナのような形をした未熟な実がついています。下の写真はアップにしてみました。
バショウ(芭蕉)の花と実

《歓喜》(1965年) は、お寺の梵鐘を依頼されて作ったものです。叩く場所で音の響きが違うといいます。

《犬の植木鉢》(1955年) には、植木鉢というより、自然にシダ類が生えています。

《エラン》(1976年) エランは、フランス語で躍動を意味します。

現在、川崎市岡本太郎美術館のシンボルとなっている高さ約30mの《母の塔》の原型(部分)です。(1971年)

《午後の日》(1967年) という作品で、自画像だといわれています。この作品のバリエーションが岡本太郎の墓石に選ばれました。

建物入口横に置かれた《未来を拓く》 (1987年)。 1988年に開催された「ぎふ中部未来博覧会」のシンボルモニュメントとして、 高さ約16mのスケールで制作されました。

《動物》(1959年) は岡本太郎が初めて手掛けた本格的な彫刻作品で、設置場所がレジャー施設だったことから、「無邪気なものをねらった」といいます。


《乙女》(1988年) 長野県・野沢温泉村の村庁舎前に作られた作品の原型です。
どこが「乙女」なんだか分かりませんが、「シュウペイで~す」ってやろうとしてる?

記念館入口のドアハンドルもユニークで思わず笑ってしまいます。

私が一番好きなのは、ベランダから身を乗り出して覗く「太陽の塔」です。ベランダの手すりに両手を乗せて庭の様子を窺っています。
ちょこんと乗せた両手と、半分だけ顔を出した「太陽の顔」が子供みたいでかわいいのです。

余談ですが、太陽の塔は3つの「顔」を持っています。現在を象徴する「太陽の顔」、金色に輝いて未来を象徴する「黄金の顔」、そして背面に描かれた「黒い太陽」は過去を象徴しています。


岡本太郎記念館 (東京都港区南青山6-1-19)
休館日:火曜日  ※祝日の場合は開館
開館時間:10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)
入館料金:一般 650円 小学生 300円
  ※庭だけの観覧でも入館料が必要です



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

4月8日は「忠犬ハチ公の日」でした2022年04月15日 14時40分20秒

ウクライナの国会議員オレクシー・ゴンチャレンコ氏や、内務大臣顧問のアントン・ゲラシチェンコ氏が11日(日本時間)、キーフ州・マカリウ(マカロフ)にある家の前で1ヶ月にわたって飼い主の女性を待ち続けた秋田犬の話題をSNSに投稿し、「ウクライナのハチ公」として話題になっています。(HUFFPOSTの記事はこちら
飼い主の女性はロシア軍兵士にレイプされ、殺されたと伝えられています。
今日の報道で、この犬に新しい飼い主が見つかったという記事が出ていました。


1週間前の4月8日は「忠犬ハチ公の日」でした。
忠犬ハチ公は、渋谷駅まで飼い主である上野英三郎博士の帰りを出迎えに行き、飼い主の死後も約10年にわたって渋谷駅に通い続けたという、秋田犬です。
渋谷駅前にその銅像が建てられていて、今でも渋谷駅のシンボルとなっています。

この「忠犬ハチ公の日」は「忠犬ハチ公銅像および秋田犬群像維持会」が制定しました。ハチ公の日には、渋谷及び出生地の秋田県大館市で慰霊祭が行われます。

渋谷駅前に忠犬ハチ公の銅像が建てられた1934年にはまだハチは生きており、銅像の除幕式にも出席しています。  ハチが亡くなったのは翌年の3月8日ですが、銅像が建てられた4月8日を「ハチ公の日」としたとされています。 ただ、銅像の除幕式は4月21日に行われています。

なお、現在渋谷駅前にある「忠犬ハチ公の銅像」は2代目です。日中戦争、太平洋戦争による金属物資の不足から「金属類回収令」が発令され、ハチの銅像も回収されて溶かされてしまいました。現在の銅像は、1948年に再建されたものです。

渋谷駅前にある「忠犬ハチ公」の銅像

JR渋谷駅には「ハチ公口」という改札口があり、「忠犬ハチ公の像」は駅前の「ハチ公広場」に建てられています。
同じ「ハチ公広場」に、《 ハチ公ファミリー 》という陶板レリーフのパブリックアートがあり、こちらも人気の待ち合わせスポットになっています。
ハチ公ファミリー
縦1.5メートル、横4メートルもある大陶板壁画です。
早朝、たまたま待ち合わせの人も通行人もいなくなった瞬間があったので、写真を撮りました。

ハチは、現在の秋田県大館市で多くの兄弟とともに生まれました。壁画は大家族になったハチのファミリーを想像して描いたもので、20匹の秋田犬が描かれています。 原画は画家の北原龍太郎氏、造形をルイ・フランセン氏が担当しています。 1990年3月に完成しました。
ハチ公ファミリー
中央上部にいるこの犬が「ハチ公」だということです。


以前「宮下公園」といわれていた渋谷駅に隣接する公園跡地が、公園・駐車場・商業施設・ホテルが一体となった複合商業施設「MIYASHITA PARK(ミヤシタ パーク)」として2020年7月に生まれ変わりました。
新たな「渋谷区立宮下公園」はその屋上にあり、そこにも「ハチ公」のパブリックアートが展示されています。
渋谷の方位磁針|ハチの宇宙
《 渋谷の方位磁針|ハチの宇宙 》という、アーティスト鈴木康広氏の作品です。

空が見渡せるミヤシタ パークに、方位磁石が形作られており、その中心では「ハチ」が星になった上野英三郎博士を見上げています。
渋谷の方位磁針|ハチの宇宙
ハチが座っている部分はベンチになっていて、だれでも座ることができます。
ベンチの形は「渋谷区」の形。
明治通りに沿って南北に広がるミヤシタ パークは、道行く人たちにさりげなく方角を知らせるコンパスの「針」のような存在です。渋谷区の方位をハチ公と共に身体で感じられるパブリックアートになっています。

ハチは死後、飼い主であった上野英三郎博士と同じ青山霊園に葬られ、亡骸は剥製となって国立科学博物館に所蔵されています。



前述のオレクシー・ゴンチャレンコ氏のTwitterには「She was nicknamed Makarov's Hatiko.」(彼女にはマカリウのハチ公というニックネームが付きました)と書かれています。
ウクライナの人たちにもハチ公はよく知られているんですね。



最後までご覧いただき、ありがとうございます。

国営昭和記念公園の彫刻作品13体2022年01月16日 16時23分00秒

東京都の立川市と昭島市にまたがり、165.3ヘクタールの広さを持つ国営昭和記念公園

この公園の中には13体の彫刻作品が常設で設置されています。
「GO!昭和記念公園」というスマホやタブレット用のアプリが配信されていて、そのアプリには13体の彫刻作品の説明を見て、写真を撮ったり、クイズに答えたりして楽しみながら園内散策ができる、、「彫刻めぐりガイドウォーク」というコンテンツがあります。

「彫刻めぐりガイドウォーク」に従って、彫刻作品めぐりをしてみました。

普通車1,755台のほかに、大型車や自動二輪車も駐車できる園内最大の駐車場がある、「立川口」からスタートします。


カナールの先にある、巨大な噴水と一体になった国営昭和記念公園を象徴するモニュメントです。
右下に虹が見えました。
峯田義郎 《 明日の空へ 》 1983年設置 


西村文男 《 彼方に 》 1987年設置


渡辺治美 《 ユーウツの為のアダージョ 》 1989年設置


斎藤史門 《 廃墟<Ruins> 》 1989年設置


樋口恭一 《 風になって(大地の風)》 1992年設置


靍田清二 《 花咲くころ 》 1991年設置


西村文男 《 岌(きゅう)》 1987年設置


バーバラ・ハイム(ドイツ) 《 Approach 》 1994年設置


菅原二郎 《 INSIDE OUT CT-RG 》 1994年設置


高岡典男 《 記憶 》 1994年設置


マリー・クレール・デ・フィリッピ(フランス) 《 Rhea 》 1994年設置
Rhea(レア)は、ギリシャ神話に出てくる女神です。
レアの配偶神クロノスは、レアの生むわが子を次々に腹の中に飲み込み、その権力を守ろうとしました。末っ子のゼウスは、レアが子の代わりに産着にくるんだ石を飲み込ませることで生き残り、最高神ゼウスになったという神話があります。


ブルース・アームストロング(オーストラリア) 《 MIMI 》 1994年設置
設置当時にはつぶらな瞳とギザギザとした歯のようなものが彫られていましたが、丸太の劣化により崩れてしまったということです。そこまで計算された作品なのかもしれません。

牛山泰博 《 PAZZLOCK 》 1992年設置
この作品は巨大な知恵の輪がモチーフになっています。実際に輪を移動させて遊ぶことができます。正面から見るとシンメトリー(左右対称)ですが、ちょっと立ち位置をずらすと、様々な表情を見せてくれます。


「GO!昭和記念公園」アプリは、園内でいろいろ遊べるゲームやクーポンなどのコンテンツの他、ホームページの公園情報も見ることができます。
アプリのダウンロードは、AppStore(iOS)またはGooglePlay(Android)で「昭和記念公園」を検索。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

《お花の親子》の頭が・・・2021年10月08日 14時23分23秒

六本木ヒルズの66プラザに展示されている、村上隆 《お花の親子》 の頭の部分が無くなっていました。
金箔を貼った作品なので、「盗まれたか?」と思ったのですが、重機が置いてあるところを見ると、どうやら解体作業をしているようです。
この作品は六本木ヒルズの「ROPPONGI HILLS TAKASHI MURAKAMI PROJECT」の一環で、昨年(2020年)11月末から展示されていました

本来はこのように「お花の親子」が仲良く手を繋いで立っている、高さ約10mの金色に輝く巨大な彫刻作品です。
村上隆 《お花の親子》
村上 隆 《お花の親子》 2020年 ブロンズ・金箔 1,000.1×647.1×465.5 cm

もともと5月末で展示を終了する予定でしたが、展示期間が延長されていました。
いつもニコニコと迎えてくれる太陽のような 《お花の親子》 がいなくなってしまうのは、ちょっと寂しくなります。



今日もご覧いただき、ありがとうございました。

中島 潔 「風」2021年09月27日 15時42分11秒

東京メトロ半蔵門線の清澄白河駅構内の壁面に、中島潔さんが描いた可愛らしい絵がありました。
中島 潔 「風」
「風」というタイトルで、風景の中に佇む子供たちが、哀愁を誘う独特のタッチで描かれています。
都会の雑踏の中にこのような絵があると、心やすらぎます。

これは、2003年3月に半蔵門線の水天宮前~押上間が開通したのを記念して INAX などから寄贈されたもので、他に「夕やけ小やけ」(住吉駅)、「通りゃんせ」(錦糸町駅) 、「夢の色」(押上駅)と、計4つの作品が各駅に展示されています。

隈研吾氏デザインの公衆トイレ2021年08月05日 16時35分24秒

渋谷の東急百貨店本店に行った時、約束の時間よりも30分早く着いてしまったので、近くをブラブラすることにしました。
渋谷区松濤という高級住宅街を 「こんな家に住みたいなぁ・・・」 と思いながら歩いていると、大きな公園がありました。鍋島松濤公園というようです。

その中の一角に、材木がたくさん立てかけられています。こんな所に木材店があるはずもなく、アート作品か何かでしょうか?
隈研吾デザインの鍋島松濤公園トイレ

近くに行ってみると、トイレのマークの焼印があります。公衆トイレのようです。
隈研吾デザインの鍋島松濤公園トイレ

公益財団法人日本財団が、誰もが快適に使用できる公共トイレを渋谷区内17カ所に設置するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」を実施しており、このトイレもそのプロジェクトの一環として創られたものです。
「THE TOKYO TOILET」は、安藤忠雄、隈研吾、槇文彦、佐藤可士和、など著名な建築家やクリエイター16人がデザインした公衆トイレを、渋谷区内17ヶ所に設置しようというプロジェクトです。

そういえば以前、建築家の坂茂(ばん しげる)氏デザインの「透けるとん トイレ」をアップしたことがあります。

松濤公園のトイレは、国立競技場(オリンピックスタジアム)のデザインでその名が広く知られるようになった、建築家・隈研吾氏の手によるものです。今年の6月24日から一般利用が開始されました。

ランダムな角度の耳付きの杉板ルーバーに覆われた5つの小屋(トイレ)は、子育て、身だしなみ配慮、車いすなど多様なニーズにあわせて、ひとつずつのトイレの、プラン、備品、内装も異なるということです。
隈研吾デザインの鍋島松濤公園トイレ

「住んでも快適だろうなぁ・・・」 と思わせるトイレであります。



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