麻布台ヒルズ33階の展望フロアに行ってきました ― 2024年02月28日 18時21分33秒
2023年11月24日にオープンした、麻布台ヒルズに行ってきました。
オープンとは言ってもテナントは現在も順次開店している状態で、麻布台ヒルズマーケットは3月11日オープンということで工事中です。
エルメスは明日、2月29日オープンとありました。
麻布台ヒルズアリーナのある中央広場もイベントの準備なのか、大部分が閉鎖されていました。
トーマス・ヘザウィック氏が手掛けた《The Cloud》です。単なる屋根ではなく、パブリックアートになっています。
森JPタワー33階のスカイロビーに昇ってみました。B1から33Fまで直行のエレベーターを使います。
全面ガラス張りになっていて素晴らしい景色が広がりますが、北側は見ることが出来ません。
ベンチを兼ねた階段を使って34階へ行くことが出来ます。34階には「Hills House Sky Room Cafe & Bar」というカフェがあり、この店の奥の方の席からも東京タワーを正面に見ることが出来ます。
東京タワーです。
高さは333メートルで、東京スカイツリーの634メートルの半分くらいしかありませんが、東京タワーの人気はいまだに衰えていません。東京のシンボルとして凛とした姿で立っています。
麻布台ヒルズ33階は東京タワーのメインデッキ(海抜150メートル)を見下ろす高さになります。
お台場方面です。
右の方に行くと富士山が見えました。
富士山の右には六本木ヒルズが見えます。高くそびえ立っているのは森タワー、茶色と白のビルは六本木ヒルズレジデンスです。その間、手前にある屋上が白い建物はテレビ朝日本社ビルです。左側遠くの方に小さく富士山が見えます。
麻布台ヒルズにも他の「ヒルズ」と同じようにパブリックアートが点在しています。
ニコライ・バーグマンの《プリザードフラワー》(2023年)です。
バラの花びらだけを1万枚以上使用して重ね合わせ、圧倒的なスケールと高級感を演出しています。
奈良美智《東京の森の子》は樹木のような頭部を持つブロンズ像で、高さは約7メートルあります。
麻布台ヒルズは「自然との共生」を理念のひとつとしています。針葉樹を思わせる《東京の森の子》はここに立ち、周囲の緑と調和しながらも強い存在感を放っています。
霊友会釈迦殿の屋根の向こうに東京タワーが見えました。
麻布台ヒルズに直結して八幡神社があります。八幡神社は各地にあるので、他との区別の都合上、旧地名を冠して西久保八幡神社(にしくぼはちまんじんじゃ)ともいわれます。
左が麻布台ヒルズ森JPタワー、右は麻布台ヒルズレジデンスです。
狛犬の向こうで森JPタワーが輝いていました。過去と現在、未来が融合する街ですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
座ることを拒否する椅子 ― 2024年02月08日 11時41分11秒
Yamanote Line Museum NiJi$uKe氏のWALL ART ― 2023年10月05日 11時16分42秒
JR上野駅の改札内連絡通路で展開している「Yamanote Line Museum」で、 NiJi$uKe(土居虹亮)氏のWALL ART(ウォールアート)が展示されていました。
NiJi$uKe氏の作品は昨年に続き、第2弾になります。(昨年の展示はこちら)
各作品は販売もしています。
場所は、上野駅公園改札に近い改札内の連絡通路で、駅舎としては3階になります。公園改札を入ってすぐの通路を右に曲がった所なので、感覚的には1階だと錯覚します。
前回に引き続き、上野動物園で飼育されている動物たちがカラフルなタッチで描かれています。
ジャイアントパンダとハシビロコウ、これは欠かせませんね。
私は上野駅へ時々行く割には連絡通路はあまり使わないので気付かなかったのですが、サインには2023.8.7 とあります。来年2月7日まで展示される予定です。
この花束は、上の写真一番左にいるゾウさんの鼻が持っている花です。
JR東日本の本展に関する広報サイトはこちら(PDF)。
「Yamanote Line Museum」公式サイトはこちら。
「NiJi$uKeの自己紹介!」はこちら。
NiJi$uKe氏公式サイトはこちら。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
仮囲い芸術「KYOBASHI ART WALL」 ― 2023年09月24日 14時08分47秒
東京都中央区京橋一丁目で建設中の「TODA BUILDING」(2024年秋グランドオープン予定)は、『人と街をつなぐ』をコンセプトにするオフィスビルです。
地下3階地上28階建てビルの1階から4階は、現代の表現者をキーワードに掲げるミュージアムやホール、ギャラリー、アートスクエアなど、「芸術文化エリア」として設計されています。
現在建設中の「TODA BUILDING」の北面仮囲いで、「KYOBASHI ART WALL」という新進アーティストの公募優秀作品展が開催されています。
計4回ある公募での優秀作家は「KYOBASHI ART ROOM」で作品展示の機会が与えられ、「TODA BUILDING」完成後には館内で歴代の入選作家の展示が行われます。
仮囲いでの展示は実物ではなく、優秀作品の紹介のような形になっています。(作品を写真撮影し、大判シートに印刷して仮囲いに貼り付け)
2022年5月のブログでも紹介しましたが(こちら)、招待作家の作品が2点展示されています。
【招待作家作品】
瀬戸 優 《水源-ウサギ-》 2021年 テラコッタ、彩色、玉眼 H30×W16×D40cm
瀬戸優は、「彫刻表現における自然科学との融合性」をテーマとし、野生動物をモチーフとしたテラコッタ(素焼きの土器) による実物大の彫刻作品を制作しているアーティストです。
yutaokuda 《Abstract Bouquet(Cobalt Blue x Red)》 2021年 キャンバスにアクリル、顔料インク H91×W91cm
本作では、中央区の色であるコバルトブルーを背景にし、色とりどりの花は街中にアートが芽吹く京橋の様子を表現したということです。
【第1回 優秀作品】
Kokeshisky / コケシスキー 《Hole》 2021年 キャンバスにアクリル H65.2×W65.2cm
本作では、堆積物からなる山に対しての穴であり、加えて、時間の積み重なり、同じ場所でありながら違う時間の一瞬が融合した画面を表現したということです。
佐々木 香輔 《space -under the ground-》 2020年 デジタルタイプCプリント H53×W79.5cm
写っているのは「地震の研究装置」で、普段は真っ暗闇の地下空間にライトを持ち込み、光源の位置を何度も変えながら複数枚撮影。そしてそれらを重ね合わせて、1枚の画像に合成したということです。可視化された風景は現実には存在せず、この写真にのみ映し出されます。
【第2回 優秀作品】
高橋 喜代史 《POSTER》 2018年 写真(映像作品《POSTER》のスチール写真) H75×W100cm
英語・日本語・アラビア語、3つの言語で「助けて!」と描かれた大きなポスターを、1人で貼ろうとする映像作品《POSTER》のスチール写真です。日本の難民認定問題を背景に、日本に助けを求めて難民申請をする人々の状況と、ポスターを貼るには助けが必要な状況を重ねたということです。
チャン・ジンウェン(張 静雯・Ching Wen Chang) 《冬夜》 2022年 雲肌麻紙、墨 H41×W41cm
《冬夜》(とうや)は、見慣れた喫煙所をモチーフにしています。チャン・ジンウェンは、無機質な風景を描写し、現代人の「孤独」、「記憶」、「コロナの不安感」などの感情を伝えたいと考えているといいます。
【第3回 優秀作品】
大竹 奨次郎 《Untitled》 2022年 キャンバスに油彩 H60.6×W72.7cm
2020年武蔵野美術大学油絵学科を卒業後、高校の美術教師として勤めた大竹は、どうしたら絵が描けるのかという問いに真摯に向き合い、描くことを続ける若手アーティストです。
SAKAMOTO ENTERTAINMENT 《Re:Orange_Peel_Piece》 2023年 キャンバスに油彩、アクリル H72.7×W60.6cm
素材を研究し、新たな視点からものを見つめ直しデザインやアートに落とし込んでいるアーティストの作品です。
【第4回 優秀作品】は1点のみになります。
ネルソン・ホー(Nelson Hor) 《編むこと、思い出すこと》 2022年 雲肌麻紙に岩絵具 H116.7×W91.5cm
マレーシア、ペナン生まれで、2021年多摩美術大学日本画専攻卒業。メンタルヘルスやLGBTQに対する差別など現代の社会問題をテーマにした絵画、刺繍、インスタレーションなどの作品を制作しているアーティストです。垂らした髪を編んでいる様を和紙に朱色の岩絵具の線だけで表した作品です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
六本木アートナイト 鴻池朋子・皮トンビ ― 2023年05月27日 20時38分40秒
5月27日(土)から28日(日)にかけて、「六本木アートナイト2023」が開催されています。
六本木アートナイトは街全体を美術館に見立て、夜を徹してアートを楽しむ一夜限りのイベントです。
今年のテーマは「都市のいきもの図鑑」。
メインプログラム・アーティストとして、鴻池朋子さんの作品が六本木の街にやってきました。
鴻池朋子(こうのいけ ともこ)は、1960年秋田県生まれで、1985年に東京芸術大学美術学部 絵画科 日本画専攻を卒業しました。 玩具会社での企画デザインや、インテリア雑貨店の企画室に勤めて雑貨や家具のデザインを手がけたのち、1998年より絵画、彫刻、パフォーマンス、アニメーション、絵本などの様々なメディアを用いて、現代の神話(動物が言語を獲得するまでの物語)を、地形や場とのサイトスペシフィック( Site-specific 特定の場所でその特性を活かして制作する表現 )なトータルインスタレーションで表現し、人間学/動物学、おとぎ話、考古学、民俗学などと学際的に対話を重ねて、エネルギーと芸術の問い直しを試みている美術家です。
国立新美術館の建物の前には《狼ベンチ》がいました。
国立新美術館の館内各所に、多くの鴻池朋子作品が展示されています。(観覧は無料です)
鴻池朋子 《狼ベンチ》
日本の狼信仰や、世界各地の神話や宗教に登場する「狼」は、鴻池作品の中で多く取り上げられています。
この作品はベンチになっていて、自由に座ることができます。当然、撫でまわすことも・・・
向こうの建物は、黒川紀章設計の国立新美術館です。
鴻池朋子 《陸にあがる》
大鹿の雄々しい角と艶めかしい女性の足が滑らかに接続されています。
最初のバージョンは能登半島最北端の崖、海と陸の境目に設置されました。海で生まれた生物が、陸にあがるという進化の長いプロセスを連想することができます。
鴻池朋子 《アースベイビー》
生まれたばかりの赤ん坊の顔には、光を追い求める人間の原始的な感覚と緊張がみなぎります。
近年鴻池朋子は、害獣として駆除されたさまざまな動物の毛皮を展示に使っています。下に置かれた狼の毛皮は、モンゴルで20年以上前に害獣駆除されたものです。
鴻池朋子が2014年から国内外で続けてきた、手芸を中核としたプロジェクトのひとつ、《物語るテーブルランナー》が館内各所、各フロアに展示されています。 向こうに見えるのは《皮トンビ》です。
鴻池朋子 《武蔵野皮トンビ》 牛皮、水性塗料、クレヨン
埼玉県所沢市にある「角川武蔵野ミュージアム」の建物壁面に展示された《武蔵野皮トンビ》が六本木にやってきました。
商品化されずに切れ端として捨てられる運命だった皮を用いて創られています。「武蔵野ミュージアム」の壁面で風雨と陽光によって色や形を変えてきたトンビは、自然は時と共に変化することを観る者に教えてくれます。
「東京ミッドタウン」のガレリアに展示された《大島皮トンビ》です。
「瀬戶内国際芸術祭2019」で、2019年6月から2020年2月まで香川県高松市の離島、大島に展示された《 皮トンビ 》。 大島にある国立ハンセン病療養所の裏山で長く閉ざされていた山道を切り開いて設置されました。
その後、東京都中央区にある「アーティゾン美術館」で開催された「鴻池朋子 ちゅうがえり Tomoko Konoike FLIP」でも展示されています。
《大島皮トンビ》の横に並んで《高松→越前→静岡→六本木皮トンビ》も展示されています。
各地の美術イベントを巡回して展示されてきた作品です。
静岡県立美術館で開催された「みる誕生 鴻池朋子展」でも、美術館の裏山に展示されていました。
「六本木アートナイト2023」は基本的に今日・明日限りのイベントです。
この展示は28日(日)18時まで。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
雨の中、土下座をする人 ― 2023年05月23日 12時54分13秒
汐留にある日本テレビタワーの日テレPLAZA2階にある「宮崎駿デザインの日テレ大時計」の裏手に、「この木なんの木ガーデン」という庭園があります。
雨の中、土下座をする集団がいました。
このオブジェは2004年にこのビルが開館した当時から、当ビルにある「日テレプラザ」内の随所で見られましたが、今はこの庭園にまとめられている様です。
このキャラクターは「シオタマ」という名で、初登場は2003年8月に放送された「ダウンタウンのバラエティ50年史」という番組だそうです。
全てのオブジェが土下座をしています。皆が一定の方向を向いているのでその先を見たら、エンゾ・プラゾッタ作の《音楽と歌の出会い・語らい》という作品がありました。
日テレタワーのこの特徴的な構造は、地震にも強そうですね。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
新緑の中「TARO鯉」が泳ぐ ― 2023年05月03日 17時43分49秒
生田緑地にある「川崎市岡本太郎美術館」前の新緑の中で、「TARO鯉」が泳いでいます。
自分勝手に鯉のぼりを描いた。
これがよく泳ぐのだ。
さすが、タロー鯉だ。勢いがいいと驚かれた。
“鯉のぼり”を五月の節句とだけ限ってしまってはつまらない。
男の子も女の子も、お誕生日などには祝ってあげたらいいし、
また運動会やお祭りにも、万国旗などよりはるかに楽しい彩りになると思う。
大人も、年寄りも、みんな自分自身が空中に飛翔しているような思いで、鯉のぼりをあげるといい。
鯉のぼりが悠悠と、華やかな彩りで天空にひるがえっているなんて、世界に広めたい夢だ。
私もこの原色の鯉のぼりが空に舞っているのを見ると、自分が大空を飛んでいるかのように嬉しくなってしまう。
岡本太郎
こどもの日は、「子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに母に感謝する日」とあります。
「TARO鯉」の向こうに、岡本太郎の作品「母の塔」が見えます。
「TARO鯉に挑む!」というイベントで小学生以上の子供たち(大人も?)が描いた鯉のぼりも、「母の塔」前の広場でたくさん泳いでいました。
展示期間:5月3日(水・祝)~7日(日) 開館時(9:30~17:00)のみ、雨天中止
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
JR新日本橋駅の現代アート ― 2022年05月23日 18時03分22秒
《 作品 JO 20-1 》 1972~2022年 塵、埃、鉄粉、土、地下水 他、コンクリート
《 作品 JO 20-2 》 1972~2022年 塵、埃、鉄粉、土、地下水 他、コンクリート
《 作品 JO 20-3 》 1972~2022年 塵、埃、鉄粉、土、地下水 他、コンクリート
JR東日本・総武本線の新日本橋駅は1972年(昭和47年)7月15日に開業して、半世紀が経とうとしています。
新日本橋駅は地下駅で、ホームは地下3階にあります。その為、ホームの壁面には地下水が流れ出して現代アートのような模様を作り出していました。
これも自然が作り上げた芸術ですね。
今日もご覧いただき、ありがとうございます。
岡本太郎記念館の庭 ― 2022年05月13日 14時58分05秒
1998年5月、岡本太郎が戦後42年にわたって住まい、作品をつくりつづけた南青山のアトリエが「岡本太郎記念館」として公開されました。
館内では定期的に企画展が開催され、企画に沿った作品が展示されますが、庭に常設展示してある彫刻作品は植物に埋もれて、常に自然の中に溶け込んでいます。
「芸術は太陽と同じだ。太陽は熱も光も、無限に与える。日なたぼっこしても、“おい、あったかかったろう。じゃ、いくら寄越せ”なんて、手を差し出したりしないだろ?」
芸術とは太陽のようなもの。岡本太郎はそう考えていました。根底にあったのは「芸術は民衆のもの」という信念です。
《若い太陽》 1980年代後半
「芸術は一握りのスノッブや金持ちのものじゃない。さまざまな矛盾や困難と闘いながら毎日を生きる平凡な民衆のものであり、そうしたなんでもない暮らしの中でこそ生かされるべきなんだ」という芸術思想から、岡本太郎は数々のパブリックアートを制作しています。
この「庭」は、そんな岡本太郎の美意識を伝えるための重要なメディアとしての存在であり、私はここに来るとなぜか安心感に包まれて、新しいパワーが湧いてくるのです。
《河童像》 1981年
特に手が加えられていない「庭」は、バショウ(芭蕉)やシダ類、雑草が自然のままに生い茂っています。
そのなかに放り出されたように展示されている作品は、植物たちと渾然一体となり調和がとれています。
この彫刻(↓)は《めばえ》という作品で、大型レジャー施設のモニュメントとして高さ120mの規模で計画されていたものの原型(1991年)です。施設の建設は実現しませんでした。
バショウ(芭蕉)には花と、バナナのような形をした未熟な実がついています。下の写真はアップにしてみました。
《歓喜》(1965年) は、お寺の梵鐘を依頼されて作ったものです。叩く場所で音の響きが違うといいます。
《犬の植木鉢》(1955年) には、植木鉢というより、自然にシダ類が生えています。
《エラン》(1976年) エランは、フランス語で躍動を意味します。
現在、川崎市岡本太郎美術館のシンボルとなっている高さ約30mの《母の塔》の原型(部分)です。(1971年)
《午後の日》(1967年) という作品で、自画像だといわれています。この作品のバリエーションが岡本太郎の墓石に選ばれました。
建物入口横に置かれた《未来を拓く》 (1987年)。 1988年に開催された「ぎふ中部未来博覧会」のシンボルモニュメントとして、 高さ約16mのスケールで制作されました。
《動物》(1959年) は岡本太郎が初めて手掛けた本格的な彫刻作品で、設置場所がレジャー施設だったことから、「無邪気なものをねらった」といいます。
《乙女》(1988年) 長野県・野沢温泉村の村庁舎前に作られた作品の原型です。
どこが「乙女」なんだか分かりませんが、「シュウペイで~す」ってやろうとしてる?
記念館入口のドアハンドルもユニークで思わず笑ってしまいます。
私が一番好きなのは、ベランダから身を乗り出して覗く「太陽の塔」です。ベランダの手すりに両手を乗せて庭の様子を窺っています。
ちょこんと乗せた両手と、半分だけ顔を出した「太陽の顔」が子供みたいでかわいいのです。
余談ですが、太陽の塔は3つの「顔」を持っています。現在を象徴する「太陽の顔」、金色に輝いて未来を象徴する「黄金の顔」、そして背面に描かれた「黒い太陽」は過去を象徴しています。
岡本太郎記念館 (東京都港区南青山6-1-19)
休館日:火曜日 ※祝日の場合は開館
開館時間:10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)
入館料金:一般 650円 小学生 300円
※庭だけの観覧でも入館料が必要です
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
4月8日は「忠犬ハチ公の日」でした ― 2022年04月15日 14時40分20秒
ウクライナの国会議員オレクシー・ゴンチャレンコ氏や、内務大臣顧問のアントン・ゲラシチェンコ氏が11日(日本時間)、キーフ州・マカリウ(マカロフ)にある家の前で1ヶ月にわたって飼い主の女性を待ち続けた秋田犬の話題をSNSに投稿し、「ウクライナのハチ公」として話題になっています。(HUFFPOSTの記事はこちら)
飼い主の女性はロシア軍兵士にレイプされ、殺されたと伝えられています。
今日の報道で、この犬に新しい飼い主が見つかったという記事が出ていました。
1週間前の4月8日は「忠犬ハチ公の日」でした。
忠犬ハチ公は、渋谷駅まで飼い主である上野英三郎博士の帰りを出迎えに行き、飼い主の死後も約10年にわたって渋谷駅に通い続けたという、秋田犬です。
渋谷駅前にその銅像が建てられていて、今でも渋谷駅のシンボルとなっています。
この「忠犬ハチ公の日」は「忠犬ハチ公銅像および秋田犬群像維持会」が制定しました。ハチ公の日には、渋谷及び出生地の秋田県大館市で慰霊祭が行われます。
渋谷駅前に忠犬ハチ公の銅像が建てられた1934年にはまだハチは生きており、銅像の除幕式にも出席しています。 ハチが亡くなったのは翌年の3月8日ですが、銅像が建てられた4月8日を「ハチ公の日」としたとされています。 ただ、銅像の除幕式は4月21日に行われています。
なお、現在渋谷駅前にある「忠犬ハチ公の銅像」は2代目です。日中戦争、太平洋戦争による金属物資の不足から「金属類回収令」が発令され、ハチの銅像も回収されて溶かされてしまいました。現在の銅像は、1948年に再建されたものです。
JR渋谷駅には「ハチ公口」という改札口があり、「忠犬ハチ公の像」は駅前の「ハチ公広場」に建てられています。
同じ「ハチ公広場」に、《 ハチ公ファミリー 》という陶板レリーフのパブリックアートがあり、こちらも人気の待ち合わせスポットになっています。
縦1.5メートル、横4メートルもある大陶板壁画です。
早朝、たまたま待ち合わせの人も通行人もいなくなった瞬間があったので、写真を撮りました。
ハチは、現在の秋田県大館市で多くの兄弟とともに生まれました。壁画は大家族になったハチのファミリーを想像して描いたもので、20匹の秋田犬が描かれています。 原画は画家の北原龍太郎氏、造形をルイ・フランセン氏が担当しています。 1990年3月に完成しました。
中央上部にいるこの犬が「ハチ公」だということです。
以前「宮下公園」といわれていた渋谷駅に隣接する公園跡地が、公園・駐車場・商業施設・ホテルが一体となった複合商業施設「MIYASHITA PARK(ミヤシタ パーク)」として2020年7月に生まれ変わりました。
新たな「渋谷区立宮下公園」はその屋上にあり、そこにも「ハチ公」のパブリックアートが展示されています。
《 渋谷の方位磁針|ハチの宇宙 》という、アーティスト鈴木康広氏の作品です。
空が見渡せるミヤシタ パークに、方位磁石が形作られており、その中心では「ハチ」が星になった上野英三郎博士を見上げています。
ハチが座っている部分はベンチになっていて、だれでも座ることができます。
ベンチの形は「渋谷区」の形。
明治通りに沿って南北に広がるミヤシタ パークは、道行く人たちにさりげなく方角を知らせるコンパスの「針」のような存在です。渋谷区の方位をハチ公と共に身体で感じられるパブリックアートになっています。
ハチは死後、飼い主であった上野英三郎博士と同じ青山霊園に葬られ、亡骸は剥製となって国立科学博物館に所蔵されています。
前述のオレクシー・ゴンチャレンコ氏のTwitterには「She was nicknamed Makarov's Hatiko.」(彼女にはマカリウのハチ公というニックネームが付きました)と書かれています。
ウクライナの人たちにもハチ公はよく知られているんですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
最近のコメント