都庁展望室から見た今日の富士山 ― 2025年01月30日 20時01分52秒
新宿へ買い物に行き、オープンまで時間があったので東京都庁第一本庁舎に寄ってみました。
設計は丹下健三都市建築設計所で、地上48階、地下3階、高さ243.4mの超高層ビルです。
45階(地上200m)に展望室があり、「南展望室」と「北展望室」に分かれていて、入口も別々です。
エレベーターは1階から45階まで直通で、約55秒で到着します。
南展望室行きエレベーター入口です。写真左端に北展望室行きエレベーター入口が見えます。
荷物検査はありますが、料金は無料で誰でも入ることが出来ます。
展望室からは360度東京の街並みが眺められ、富士山はどちらの展望室からも見ることが出来ます。
左のビルは「新宿パークタワー」、その右の高層ビルは「東京オペラシティタワー」です。右端に富士山が見えます。
富士山にはかなりの積雪が見られます。手前で富士山を隠している山脈は「丹沢山地」です。
2023年7月に閉館した「中野サンプラザ」。まだ解体されることなくその姿を留めています。
事業費の高騰で再開発計画を見直すことが決まっていましたが、事業者の野村不動産が、高層ビル2棟のツインタワーとホールを一体で新設する案を区に示したことが、今日の朝日新聞(東京地域面)に書かれていました。
(追記)3月11日、中野区はこの案を白紙に戻しました。
「南展望室」にピアノが置かれています。「都庁おもいでピアノ」という名が付いていて、開室していれば10時~12時、14時~16時の間なら自由に弾くことが出来ます。(演奏希望者が並んでいる時は一人5分以内)
ピアノ装飾は一目見ればそうと分かる草間彌生さん。前衛芸術家の草間彌生さんは、日本人よりも外国人によく知られているかもしれません。東京都の名誉都民でもあります。
今日は南北共に開室していましたが、常に両方の展望室が開室している訳ではありません。開室カレンダーで確認できます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
ポケモンのマンホール蓋@横浜 ― 2024年11月30日 15時02分54秒
5年程前から横浜の観光名所に、ポケットモンスター(ポケモン)のマンホール蓋「ポケふた」が設置されています。
観光名所の為よく通るので、その所々で見かけるたびに写真を撮ってきました。
マンホール蓋5個分くらい撮ったので、市内全体で一体幾つあるんだろうと調べてみたら、現在あるのは5個だけのようです。古い写真から探し出して5ヶ所のマンホール蓋を集めてみました。
全国では200ヶ所以上に設置されています。(ポケふたのサイトはこちら)
横浜マリンタワーの出入り口です。こちらは山下公園側の正面入口ではなく、裏口になります。
赤レンガパークです。一番左の建物は神奈川県警察本部で、横浜市役所、ザ・タワー横浜北仲、APAホテル、横浜マリンタワー、クイーンズ・スクエア横浜などの高層ビルが並びます。
写真枠外右側に横浜赤レンガ倉庫があり、背中側に横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)があります。
赤レンガ倉庫と「ピカチュウ」、同じくねずみポケモンの「ライチュウ」が描かれています。
日本丸メモリアルパークです。「帆船日本丸」の横にもありました。
臨港パークのヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル横、ぷかりさん橋の近くです。
遠くに見えるのは横浜ベイブリッジ、ハンマーヘッド・クレーン、横浜ハンマーヘッド(新港ふ頭客船ターミナル)で、写真から外れて右側にぷかりさん橋の建物があります。
釣り人が釣りをしていました。シマダイ(イシダイの小さいの)とアジが釣れたのをを見たことがあります。ボラは水中からジャンプをしているのを、よく見かけます。
JR桜木町駅と、ロープウェイ・YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマエアキャビン)乗場の間にある広場です。前の建物はヨコハマ エアキャビンの乗場です。いつもはロープウェイに乗るために多くの人が並んでいるのですが、この日はたしか、風が強くて一時運休していたと思います。
向こうは横浜ランドマークタワーです。
この「ポケふた」が横浜では一番最初に設置されたようで、2019年8月5日だということです。
みなとみらいの高層ビルと観覧車「コスモクロック21」を背景に、ピカチュウが描かれています。尻尾がハート型なのはメスのピカチュウです。
他の4点にはポケモンの名前がカタカナで記されていましたが、この「ポケふた」にはありません。
ピカチュウは皆が知っているからでしょう。でも、絵の中に「P I K A C H U」と、文字が隠されていました。それぞれの文字は赤い矢印の先です。凝ってますね。
靴で踏んづけて歩くマンホール蓋を、そんなにじっくり見る人は居ないでしょうに・・・
横浜にはポケモンポストという郵便ポストもあります。2022年6月30日までだった設置期間が、超人気だったため2026年6月30日に延長され、現在も設置されています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論 ― 2024年09月08日 16時47分56秒
メタセコイヤの林が青々と茂り、鳥のさえずりが木々の間にこだまする生田緑地。
水をたたえた「奥の池」には覆いかぶさるような緑が映りこんでいます。
生田緑地の計画面積179ヘクタール(ha)とういう広大な敷地の中には、日本民家園、伝統工芸館、かわさき宙(そら)と緑の科学館、川崎市岡本太郎美術館、川崎国際生田緑地ゴルフ場、生田緑地ばら苑のほか、「ドラえもん」でお馴染みの藤子・F・不二雄ミュージアムなどの施設が点在します。
川崎市 岡本太郎美術館で開催されている常設展「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」に行ってきました。
屋外に展示されている岡本太郎美術館のシンボルタワー、高さが30メートルもある《母の塔》です。
岡本太郎の母、岡本かの子は多摩川のほとりに生まれ、太郎が誕生したのも母の実家であるこの地です。1964年に、岡本かの子文学碑《誇り》が太郎の手によって、多摩川河畔に建立されましたが、《母の塔》はこの碑と向かい合うように設計されました。
岡本太郎 《母の塔》 原型制作年1971年 構造:鉄骨造/外装:外殻GRCクラッシュパネル仕上 クラッシュタイル/人形彫刻: FRPブロンズ仕上 全高30m
「カフェテリアTARO」前の池に展示されている《樹霊Ⅰ》です。
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の際、《太陽の塔》の地下に展示された作品です。
岡本太郎 《樹霊Ⅰ》 制作年1970年/再制作年1997年 ブロンズ 高さ250cm 幅180cm 奥行100cm
川崎市岡本太郎美術館エントランスです。草がうっそうと茂って、「目もあやなオバケ王国」という展示テーマにぴったりのイメージです。
「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」展は収蔵作品展(常設展)として10月6日(日)まで開催されています。
「目もあやな」という言葉、最近あまり聞かれなくなりました。漢字では「目も綾な」と書きます。目にも鮮やかなという意味があり、眩しいほどに美しい様子を表します。本展では「VIVID」という英訳で表現しています。
会場入口に展示されているのは、《千手》(せんじゅ)という奇妙な作品です。
岡本太郎 《千手》 1975年 アルミニウム
『岡本の作品には人間の内にある真の姿として、オバケのようなキャラクターがたびたび現れます。岡本の冷静かつ無邪気な目線から表現された世界では、ほとんど妖怪に近い姿をなした生き物が駆け回り、生を哄笑します。 本展ではオバケ同様に既存の体制に抗いながらも、愛嬌ある作品を生み出し続けた、岡本が作り出した鮮やかなオバケ王国をご覧ください。』
(『 』内本展案内文のまま)
1950年代後半から、岡本太郎はオバケについて興味を持ち、独自の視点でいくつかの記事を書いています。本展では「現代生活に失なわれているものは、何よりもイマジネーションだ。」と語る岡本太郎が集めたオバケについての資料、過去に語った怖い話やオバケに関する言葉を作品と合わせて紹介し、《夜》 《森の掟》 《駄々っ子》 《ノン》などの著名な作品から、《疾走する眼》 《赤い手》 《青い手》など人気作品を多数展示しています。
第1章:岡本太郎とオバケ
私が大好きな岡本作品 《夜》 が展示してありました。
稲妻のように燃える赤い目、下から忍び寄る足とも手ともつかぬ指、ひそかに覗く髑髏の目、何ともおどろおどろしい絵画ですが、ナイフを隠し持って凛と佇む少女が正義の勝利を予感させます。
1948年に岡本太郎と、評論家の花田清輝が発起人となり、総合芸術運動を掲げて発足した研究会「夜の会」。その名称は、当時岡本のアトリエに掛かっていたこの作品《夜》に因んで付けられました。
岡本太郎 《夜》 1947年 油彩・キャンバス
岡本太郎は長年、資料としてしか見られてこなかった縄文土器の芸術性を再発見し、東北や沖縄に伝わる伝統的行事を取材してフィールドワークを行い、日本に眠っている古代から伝わる「伝統」を再発見しました。カメラを持って各地を回り、写真や文章で記録しています。その際岡本は「なまはげは霊である」というコメントを残しています。
岡本太郎 《なまはげ 秋田》 1957年2月12日 ゼラチン・シルバー・プリント
第2章:美術におけるオバケ
各地を回った際に購入した岡本太郎の収蔵品の数々も展示されています。
第3章:見つめるオバケ
1970年の大阪万博の際に創られた《太陽の塔》は、未来を表す上部の「黄金の顔」と、現在を表す正面胴体部の「太陽の顔」の他に、過去を表す「黒い太陽」が背面に描かれています。
《太陽の塔》背面 1970年 繊維強化プラスチック(FRP)
第4章:目もあやな人間王国
河童(かっぱ)は、日本の水の妖怪とされ、水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいわれています。
《河童像》は青森県小牧温泉(現・星野リゾート青森屋)内の、人口の湖がある公園に設置されていました。
岡本太郎 《河童像》(部分) 1981年 繊維強化プラスチック(FRP)
展示風景
「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」開催概要
開催会場:川崎市 岡本太郎美術館
開催期間:2024年7月12日(金)~2024年10月6日(日)
本日以降の休館日:月曜日(9月16日、9月23日を除く)、9月17日(火)、9月24日(火)
開館時間: 9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料:一般500円、高・大学生・65歳以上300円
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
赤い靴はいてた女の子 ― 2024年04月25日 17時08分08秒
横浜・山下公園にある「赤い靴はいてた女の子」の像です。
1979年に「赤い靴を愛する市民の会⇒赤い靴記念文化事業団(現在は存在していないのかもしれません)」から寄贈されました。
ちょっと悲しそうな表情の少女の像です。
1922年(大正11年)に発表された野口雨情作詩の童謡『赤い靴』のイメージをモチーフにして創られた像で、実話をもとに書かれた詩です。
『赤い靴』 作詞:野口雨情 作曲:本居長世
1、 赤い靴(くつ) 履いてた 女の子
異人(いじん)さんに 連れられて 行っちゃった
2、 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに 連れられて 行っちゃった
3、 今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
4、 赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える
5、 生まれた 日本が 恋しくば
青い海眺めて ゐ(い)るんだらう
異人さんに たのんで 帰って来(こ)
(5番は公表はされなかったものの、1978年になって発見された草稿にあったものです)
この詩は、岩崎かよ の娘である佐野きみ(1902年7月15日 - 1911年9月15日)(佐野は戸籍上の姓)がモデルとされています。
野口雨情が札幌の新聞社に勤めていた1907年頃に岩崎かよ と親交があり、かよ から聞いた話を基に1921年にこの詩を創りました。(曲が完成して発表したのは1922年)
1907年頃 かよ は娘の きみ を養女に出し、その養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことになりました。ヒュエット夫妻が本国に帰る事になった時 きみ も一緒にアメリカに渡ったと母親の かよ は思いこみ、渡米したと信じたまま一生を過ごしました。
実は、ヒュエット夫妻が本国に帰る事になった時 きみ は結核に冒されていて渡米できず、鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」に預けられることになったのです。そして、きみは孤児院で母親に会うこともできないまま、9歳で他界しました。
野口雨情は、娘がアメリカへ渡って生きていると信じ込んでいた母親の話を基に、この詩を創ったのです。
詩の内容も悲しい感じがしますが、そのもとになった現実はもっと悲しいものでした。
※ 以上は定説とされるもので、細かい事実関係で異論を唱える人もいます。
この像のミニチュア版は千個近く作られ、そのうちの一つは横浜駅の中央通路に設置されています。横浜の人は駅での待ち合わせ場所として活用しているのですが、ミニチュア版はかなり小さいのでその存在に気付く人は少ないようです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
石内都「絹の夢-silk threaded memories」 ― 2024年03月31日 11時19分57秒
野毛(横浜市)で一杯飲んだ後、横浜市役所新庁舎直結の馬車道駅から電車に乗ろうと歩いていたら、馬車道駅コンコースに巨大な写真パネルが並んでいました。
「えっ、石内都さんじゃない?・・・」と思って説明板を探したら、壁の隅の方に貼ってありました。
石内都「絹の夢 - silk threaded memories」とあります。
石内都さんは2012年に「絹の夢」という写真集を出版しているので、その中からの抜粋のようです。
馬車道周辺はかつて横浜開港から近代の礎を築いた「生糸貿易」に携わる商館や検査所が置かれ、関東甲信越一円から集積された生糸が欧米へと輸出されていました。
石内都の「絹の夢」で撮影されているのは主に「銘仙(めいせん)」と呼ばれる着物で、屑繭(くずまゆ)の糸を平織した絣(かすり)の絹織物です。
銘仙とは、上物の絹織物には不向きな屑繭などから引いた太めの絹糸を緯糸に使って密に織ったものを指し、絹ものとしては丈夫で安価でした。その為、日本の近代化を支えた女性たちの普段着として愛用されていました。
今回の展示では、銘仙の着物地と共に、繭と生糸、石内さんの生まれ故郷である群馬県の製紙工場など、「絹の夢」シリーズから紡がれた空間が表現されています。
1926年から横浜生糸検査所が設置されていた場所にある横浜第二合同庁舎や、馬車道駅と直結する北仲ノットのKITANAKA BLICK&WHITEでは、横浜開港を機に始まった生糸貿易当時の赤レンガ造りが特徴的な建物を復元あるいは現物保存して、生糸貿易にかかわる歴史を残しています。
(「KITANAKA BLICK」は1926年に建設された歴史的建造物「旧・帝蚕倉庫事務所」をリノベーションしています)
1926年に建設された建物が多いのは、1923年の関東大震災の壊滅的な打撃からの「復興」として建設されたからです。
最近でも能登半島地震が起きて明日で3ヶ月を迎えます。関東大震災をはじめ、阪神・淡路大震災(1995)、東日本大震災(2011)、熊本地震(2016)、能登半島地震(2024)と、地震大国日本ですが、現在の横浜のように必ず復興できることを信じて皆で頑張りましょう。
石内都「絹の夢 - silk threaded memories」
展示場所:横浜高速鉄道・みなとみらい線「馬車道駅」コンコース
展示期間;2024年3月15日(金)~6月9日(日)
観覧料金:無料
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
麻布台ヒルズ33階の展望フロアに行ってきました ― 2024年02月28日 18時21分33秒
2023年11月24日にオープンした、麻布台ヒルズに行ってきました。
オープンとは言ってもテナントは現在も順次開店している状態で、麻布台ヒルズマーケットは3月11日オープンということで工事中です。
エルメスは明日、2月29日オープンとありました。
麻布台ヒルズアリーナのある中央広場もイベントの準備なのか、大部分が閉鎖されていました。
トーマス・ヘザウィック氏が手掛けた《The Cloud》です。単なる屋根ではなく、パブリックアートになっています。
森JPタワー33階のスカイロビーに昇ってみました。B1から33Fまで直行のエレベーターを使います。
全面ガラス張りになっていて素晴らしい景色が広がりますが、北側は見ることが出来ません。
ベンチを兼ねた階段を使って34階へ行くことが出来ます。34階には「Hills House Sky Room Cafe & Bar」というカフェがあり、この店の奥の方の席からも東京タワーを正面に見ることが出来ます。
東京タワーです。
高さは333メートルで、東京スカイツリーの634メートルの半分くらいしかありませんが、東京タワーの人気はいまだに衰えていません。東京のシンボルとして凛とした姿で立っています。
麻布台ヒルズ33階は東京タワーのメインデッキ(海抜150メートル)を見下ろす高さになります。
お台場方面です。
右の方に行くと富士山が見えました。
富士山の右には六本木ヒルズが見えます。高くそびえ立っているのは森タワー、茶色と白のビルは六本木ヒルズレジデンスです。その間、手前にある屋上が白い建物はテレビ朝日本社ビルです。左側遠くの方に小さく富士山が見えます。
麻布台ヒルズにも他の「ヒルズ」と同じようにパブリックアートが点在しています。
ニコライ・バーグマンの《プリザードフラワー》(2023年)です。
バラの花びらだけを1万枚以上使用して重ね合わせ、圧倒的なスケールと高級感を演出しています。
奈良美智《東京の森の子》は樹木のような頭部を持つブロンズ像で、高さは約7メートルあります。
麻布台ヒルズは「自然との共生」を理念のひとつとしています。針葉樹を思わせる《東京の森の子》はここに立ち、周囲の緑と調和しながらも強い存在感を放っています。
霊友会釈迦殿の屋根の向こうに東京タワーが見えました。
麻布台ヒルズに直結して八幡神社があります。八幡神社は各地にあるので、他との区別の都合上、旧地名を冠して西久保八幡神社(にしくぼはちまんじんじゃ)ともいわれます。
左が麻布台ヒルズ森JPタワー、右は麻布台ヒルズレジデンスです。
狛犬の向こうで森JPタワーが輝いていました。過去と現在、未来が融合する街ですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
座ることを拒否する椅子 ― 2024年02月08日 11時41分11秒
Yamanote Line Museum NiJi$uKe氏のWALL ART ― 2023年10月05日 11時16分42秒
JR上野駅の改札内連絡通路で展開している「Yamanote Line Museum」で、 NiJi$uKe(土居虹亮)氏のWALL ART(ウォールアート)が展示されていました。
NiJi$uKe氏の作品は昨年に続き、第2弾になります。(昨年の展示はこちら)
各作品は販売もしています。
場所は、上野駅公園改札に近い改札内の連絡通路で、駅舎としては3階になります。公園改札を入ってすぐの通路を右に曲がった所なので、感覚的には1階だと錯覚します。
前回に引き続き、上野動物園で飼育されている動物たちがカラフルなタッチで描かれています。
ジャイアントパンダとハシビロコウ、これは欠かせませんね。
私は上野駅へ時々行く割には連絡通路はあまり使わないので気付かなかったのですが、サインには2023.8.7 とあります。来年2月7日まで展示される予定です。
この花束は、上の写真一番左にいるゾウさんの鼻が持っている花です。
JR東日本の本展に関する広報サイトはこちら(PDF)。
「Yamanote Line Museum」公式サイトはこちら。
「NiJi$uKeの自己紹介!」はこちら。
NiJi$uKe氏公式サイトはこちら。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
仮囲い芸術「KYOBASHI ART WALL」 ― 2023年09月24日 14時08分47秒
東京都中央区京橋一丁目で建設中の「TODA BUILDING」(2024年秋グランドオープン予定)は、『人と街をつなぐ』をコンセプトにするオフィスビルです。
地下3階地上28階建てビルの1階から4階は、現代の表現者をキーワードに掲げるミュージアムやホール、ギャラリー、アートスクエアなど、「芸術文化エリア」として設計されています。
現在建設中の「TODA BUILDING」の北面仮囲いで、「KYOBASHI ART WALL」という新進アーティストの公募優秀作品展が開催されています。
計4回ある公募での優秀作家は「KYOBASHI ART ROOM」で作品展示の機会が与えられ、「TODA BUILDING」完成後には館内で歴代の入選作家の展示が行われます。
仮囲いでの展示は実物ではなく、優秀作品の紹介のような形になっています。(作品を写真撮影し、大判シートに印刷して仮囲いに貼り付け)
2022年5月のブログでも紹介しましたが(こちら)、招待作家の作品が2点展示されています。
【招待作家作品】
瀬戸 優 《水源-ウサギ-》 2021年 テラコッタ、彩色、玉眼 H30×W16×D40cm
瀬戸優は、「彫刻表現における自然科学との融合性」をテーマとし、野生動物をモチーフとしたテラコッタ(素焼きの土器) による実物大の彫刻作品を制作しているアーティストです。
yutaokuda 《Abstract Bouquet(Cobalt Blue x Red)》 2021年 キャンバスにアクリル、顔料インク H91×W91cm
本作では、中央区の色であるコバルトブルーを背景にし、色とりどりの花は街中にアートが芽吹く京橋の様子を表現したということです。
【第1回 優秀作品】
Kokeshisky / コケシスキー 《Hole》 2021年 キャンバスにアクリル H65.2×W65.2cm
本作では、堆積物からなる山に対しての穴であり、加えて、時間の積み重なり、同じ場所でありながら違う時間の一瞬が融合した画面を表現したということです。
佐々木 香輔 《space -under the ground-》 2020年 デジタルタイプCプリント H53×W79.5cm
写っているのは「地震の研究装置」で、普段は真っ暗闇の地下空間にライトを持ち込み、光源の位置を何度も変えながら複数枚撮影。そしてそれらを重ね合わせて、1枚の画像に合成したということです。可視化された風景は現実には存在せず、この写真にのみ映し出されます。
【第2回 優秀作品】
高橋 喜代史 《POSTER》 2018年 写真(映像作品《POSTER》のスチール写真) H75×W100cm
英語・日本語・アラビア語、3つの言語で「助けて!」と描かれた大きなポスターを、1人で貼ろうとする映像作品《POSTER》のスチール写真です。日本の難民認定問題を背景に、日本に助けを求めて難民申請をする人々の状況と、ポスターを貼るには助けが必要な状況を重ねたということです。
チャン・ジンウェン(張 静雯・Ching Wen Chang) 《冬夜》 2022年 雲肌麻紙、墨 H41×W41cm
《冬夜》(とうや)は、見慣れた喫煙所をモチーフにしています。チャン・ジンウェンは、無機質な風景を描写し、現代人の「孤独」、「記憶」、「コロナの不安感」などの感情を伝えたいと考えているといいます。
【第3回 優秀作品】
大竹 奨次郎 《Untitled》 2022年 キャンバスに油彩 H60.6×W72.7cm
2020年武蔵野美術大学油絵学科を卒業後、高校の美術教師として勤めた大竹は、どうしたら絵が描けるのかという問いに真摯に向き合い、描くことを続ける若手アーティストです。
SAKAMOTO ENTERTAINMENT 《Re:Orange_Peel_Piece》 2023年 キャンバスに油彩、アクリル H72.7×W60.6cm
素材を研究し、新たな視点からものを見つめ直しデザインやアートに落とし込んでいるアーティストの作品です。
【第4回 優秀作品】は1点のみになります。
ネルソン・ホー(Nelson Hor) 《編むこと、思い出すこと》 2022年 雲肌麻紙に岩絵具 H116.7×W91.5cm
マレーシア、ペナン生まれで、2021年多摩美術大学日本画専攻卒業。メンタルヘルスやLGBTQに対する差別など現代の社会問題をテーマにした絵画、刺繍、インスタレーションなどの作品を制作しているアーティストです。垂らした髪を編んでいる様を和紙に朱色の岩絵具の線だけで表した作品です。
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六本木アートナイト 鴻池朋子・皮トンビ ― 2023年05月27日 20時38分40秒
5月27日(土)から28日(日)にかけて、「六本木アートナイト2023」が開催されています。
六本木アートナイトは街全体を美術館に見立て、夜を徹してアートを楽しむ一夜限りのイベントです。
今年のテーマは「都市のいきもの図鑑」。
メインプログラム・アーティストとして、鴻池朋子さんの作品が六本木の街にやってきました。
鴻池朋子(こうのいけ ともこ)は、1960年秋田県生まれで、1985年に東京芸術大学美術学部 絵画科 日本画専攻を卒業しました。 玩具会社での企画デザインや、インテリア雑貨店の企画室に勤めて雑貨や家具のデザインを手がけたのち、1998年より絵画、彫刻、パフォーマンス、アニメーション、絵本などの様々なメディアを用いて、現代の神話(動物が言語を獲得するまでの物語)を、地形や場とのサイトスペシフィック( Site-specific 特定の場所でその特性を活かして制作する表現 )なトータルインスタレーションで表現し、人間学/動物学、おとぎ話、考古学、民俗学などと学際的に対話を重ねて、エネルギーと芸術の問い直しを試みている美術家です。
国立新美術館の建物の前には《狼ベンチ》がいました。
国立新美術館の館内各所に、多くの鴻池朋子作品が展示されています。(観覧は無料です)
鴻池朋子 《狼ベンチ》
日本の狼信仰や、世界各地の神話や宗教に登場する「狼」は、鴻池作品の中で多く取り上げられています。
この作品はベンチになっていて、自由に座ることができます。当然、撫でまわすことも・・・
向こうの建物は、黒川紀章設計の国立新美術館です。
鴻池朋子 《陸にあがる》
大鹿の雄々しい角と艶めかしい女性の足が滑らかに接続されています。
最初のバージョンは能登半島最北端の崖、海と陸の境目に設置されました。海で生まれた生物が、陸にあがるという進化の長いプロセスを連想することができます。
鴻池朋子 《アースベイビー》
生まれたばかりの赤ん坊の顔には、光を追い求める人間の原始的な感覚と緊張がみなぎります。
近年鴻池朋子は、害獣として駆除されたさまざまな動物の毛皮を展示に使っています。下に置かれた狼の毛皮は、モンゴルで20年以上前に害獣駆除されたものです。
鴻池朋子が2014年から国内外で続けてきた、手芸を中核としたプロジェクトのひとつ、《物語るテーブルランナー》が館内各所、各フロアに展示されています。 向こうに見えるのは《皮トンビ》です。
鴻池朋子 《武蔵野皮トンビ》 牛皮、水性塗料、クレヨン
埼玉県所沢市にある「角川武蔵野ミュージアム」の建物壁面に展示された《武蔵野皮トンビ》が六本木にやってきました。
商品化されずに切れ端として捨てられる運命だった皮を用いて創られています。「武蔵野ミュージアム」の壁面で風雨と陽光によって色や形を変えてきたトンビは、自然は時と共に変化することを観る者に教えてくれます。
「東京ミッドタウン」のガレリアに展示された《大島皮トンビ》です。
「瀬戶内国際芸術祭2019」で、2019年6月から2020年2月まで香川県高松市の離島、大島に展示された《 皮トンビ 》。 大島にある国立ハンセン病療養所の裏山で長く閉ざされていた山道を切り開いて設置されました。
その後、東京都中央区にある「アーティゾン美術館」で開催された「鴻池朋子 ちゅうがえり Tomoko Konoike FLIP」でも展示されています。
《大島皮トンビ》の横に並んで《高松→越前→静岡→六本木皮トンビ》も展示されています。
各地の美術イベントを巡回して展示されてきた作品です。
静岡県立美術館で開催された「みる誕生 鴻池朋子展」でも、美術館の裏山に展示されていました。
「六本木アートナイト2023」は基本的に今日・明日限りのイベントです。
この展示は28日(日)18時まで。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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