御岳渓谷・玉堂美術館 ― 2025年11月27日 20時41分34秒
御岳渓谷のJR御嶽駅から多摩川を挟んだ対岸に、川合玉堂の美術館「玉堂美術館」があります。
館内には趣のある枯山水庭園が広がり、秋には木々が赤や黄色に染まります。
この庭園は、アメリカの日本庭園専門誌「SUKIYA LIVING MAGAGINE」において、過去22年間毎年20位以内に選ばれています。(2024年は7位)。
川合玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉 - 1957年〈昭和32年〉)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家です。
玉堂は太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に、かねてより写生で頻繁に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市御岳)に疎開し、1957年に死去するまで奥多摩の御岳渓谷で暮らしました。 玉堂の没後、香淳皇后(昭和天皇の皇后さま)を含む多数の団体・地元有志・玉堂愛好家などからの寄付により、1961年(昭和36年)5月、この地に玉堂美術館が開館しました。
玉堂の絵画には自然の中の人や動物が描かれたものが多く、自然と人が一体化した画の中には物語があり、鑑賞者は当時の人々の暮らしぶりから想像を膨らませることができます。
鑑賞者を画の中に招き入れるという玉堂画の特徴を体感できるよう、玉堂美術館では現在「玉堂画で楽しむ 画中散策展」が開催されています。
二重石門は、現在は吉野街道の払沢トンネルというコンクリート造りのトンネルになっていますが、当時は岩肌を削って造られた石門で、生活道路として利用されていました。
現在の払沢トンネルも、玉堂画に因み従来の二重石門風を残すことを最大の主眼として設計施工され、上部には植栽も施されているということです。
《二重石門》 1952年(昭和27年) 79歳
《渓村晩秋》 1942年(昭和17年) 69歳
玉堂18歳の頃の写生です。「柿栗 十月十八日 寫生」と記されています。
当時の画室を再現した部屋です。大きな窓の外には枯山水の日本庭園が広がっています。
玉堂美術館公式サイトはこちら。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
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