今日は横浜ベイブリッジが開通した日 ― 2025年09月27日 20時43分39秒
1989年9月27日に横浜ベイブリッジが開通してから、今日で36年になります。
横浜ベイブリッジは、横浜港の本牧埠頭(中区)と大黒埠頭(鶴見区)とを結ぶ橋で、上層部の首都高速湾岸線(有料)のみではなく、下層部に通行料無料の国道357号線が通っています(2004年開通)。ただ、125㏄以下の原動機付自転車、自転車、歩行者などは通行出来ません。
橋の手前の横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)に停泊している船は、「飛鳥Ⅱ」(手前)と「飛鳥Ⅲ」で、写真下部の建物は横浜赤レンガ倉庫です。
横浜ベイブリッジは全長860mの斜張橋で、主塔の高さは海面から172mになります。
橋桁下のクリアランス(海面からの高さ)は約55mと、当時世界最大の客船だった「クイーンエリザベス2」が通過できるように設計されました。
しかし、その後の外国クルーズ客船の大型化に伴い、横浜ベイブリッジの下を通過できない客船が急増しました。それらの大型クルーズ客船は、橋の外側にある大黒ふ頭に着岸します。
悪化する横浜市街地の交通渋滞を緩和するために建設された巨大な斜張橋は、今や横浜のシンボルとして君臨し、同港屈指の観光スポットとして愛されています。
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今日は「世界オカピの日」 ― 2025年09月18日 14時23分46秒
10月18日は「世界オカピの日(World Okapi Day)」です。
この記念日は、オカピとその生息地を守る活動を行っているオカピ・コンサベーション・プロジェクト(Okapi conservation project)という米国の団体が、一般にあまり知られていないオカピのことを多くの人に知ってもらい、オカピを保護するために何ができるのかを考える機会にしてもらうことを目的に制定しました。
「横浜市立金沢動物園(以後 金沢動物園)」にいる「キィァンガ(オス)」です。
1997年、「よこはま動物園ズーラシア(以後 ズーラシア)」に、そのオープンに先駆けて米国からオスとメスのペアのオカピが贈られました。日本に初めて来たオカピで、メスの「レイラ」とオスの「キィァンガ」です。(レイラは2014年に死亡しています)
その後「キィァンガ」は金沢動物園に移りました。現在では29歳になり、日本最高齢のオカピとして人気者になっています。オカピの飼育下での平均的な寿命は15年から20年といわれています。
哺乳綱、偶蹄目(又は鯨偶蹄目)、キリン科、オカピ属に分類される偶蹄類で、コンゴ民主共和国に生息しています。体の模様がシマウマに似ていますが、キリン科に分類されます。
オスには皮膚で覆われた2本の短い角があります。
長い舌ですね~。 この長い舌で木の葉を器用に巻き取って食べます。現在、日本の動物園でオカピに会えるのは横浜の2園だけです。ズーラシアでは4頭、金沢動物園ではキィァンガ(♂)1頭だけです。オス一頭だけで暮らすのは寂しいだろうな~と身にしみて感じます。
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今日はブログ開設20年 & モノレール開業記念日 ― 2025年09月17日 13時57分12秒
東京オリンピックが開催された1964年の9月17日に、“日本初”の旅客用モノレール「東京モノレール羽田空港線」が、浜松町駅~羽田空港間で開業しました。
それを記念し、東京モノレール株式会社が9月17日を「モノレール開業記念日」として制定しています。
写真は東京モノレール。(羽田空港にて2024年9月と10月に撮影)
日本最初のモノレールは正式名称を「東京都交通局上野懸垂線」といい、1957年12月17日に開業しています。
これは旅客を対象としたものではなく、上野動物園の東園と西園を結ぶモノレールで、「上野動物園モノレール」として、来園したファミリーを中心に親しまれてきました。
ただ、遊戯施設(アトラクション)ではなく、園内を横切る公道(区道)を路線が跨いでいたため路線全てが園内に収まっておらず、鉄道事業法に基づく交通機関となっていました。
老朽化の為、2019年10月31日を最後に運行を休止し、その後廃止されています。
写真は上野動物園モノレール。(2019年10月31日撮影)
今日9月17日は、私が2005年9月17日にブログ(ASAHI ネットのアサブロ)を開設してからちょうど20年になります。
X(旧Twitter)、facebook、snapchat、TikTok、Instagramなど数多くのSNSが発展する中で、ブログの閲覧者数は減少してきていますが、私はこの形式が好きです。
それにしても最近、ブログへのアクセスに時間がかかるようになっています。「重いな」と思っても、ページが開くまで辛抱してお待ちください。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
世界陸上にブルーインパルス ― 2025年09月12日 09時18分30秒
東京2025世界陸上競技選手権大会(世界陸上)が9月13日(土)から開催され、それに合わせて東京パラリンピック開会式以来4年ぶりにブルーインパルスが東京の空を飛びます。
写真は2014年5月31日、旧国立競技場FINALイベントにおけるブルーインパルス展示飛行。
飛行予定は9月13日(土)12時25分~12時50分頃
予行飛行は9月12日(金)13時15分~13時40分頃
場所は 国立競技場及び東京都内各所となります。
飛行予定図(下図)は航空自衛隊公式ホームページより
航空自衛隊の報道資料はこちら(PDF)
天気予報は両日とも曇り。一時雨かも・・・せっかくのイベントなのに、残念ですね。
今日もご覧いただき、ありがとうございます。
追記:12日の予行飛行は悪天候により中止になりました。
13日の展示飛行も中止になりました。
横浜に停泊中の米陸軍・兵站支援艦「LSV-3」 ― 2025年08月15日 13時44分24秒
今日は「終戦記念日」です。
1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられ、第二次世界大戦が終結しました。
アメリカ合衆国など日本以外の多くの国々では、日本政府がポツダム宣言の履行などを定めた降伏文書に調印した、1945年9月2日に終結したと認識されており、9月2日、あるいは3日(中華民国や旧ソ連など)を「終戦の日」としています。
戦勝国の多くは、「対日戦勝記念日」としてこの日を定めます。
戦争に負けた日本は米国の「核の傘」の下に入り、戦後80年の今日でも沖縄を始め日本各地に米軍基地が存在します。
横浜の観光名所「みなとみらい地区」から見える「ノース・ドック」に、米陸軍の兵站支援(へいたんしえん)艦「USAV General Brehon B. Somervell ジェネラル ブレホン B. サマーベル (LSV-3)」が停泊していました。
兵站支援艦「USAV General Brehon B. Somervell ジェネラル ブレホン B. サマーベル (LSV-3)」は、第二次世界大戦でアメリカ陸軍の司令官を務めたブレホン・B・サマーベル将軍にちなんで名付けられました。
この船は現在、ハワイの真珠湾ヒッカム統合基地(JBPHH)に母港を置き、第8戦域維持司令部に配属されていて、そこから派遣された第168輸送分遣隊として横浜に来ているようです。
排水量4,199トン、全長273フィート(83m)、全幅60フィート(18m)で、米陸軍としては最大級の艦艇になります。艦首と艦尾に道板(バウ・ランプ)を有しており、主力戦車M1エイブラムス15両を搭載できるといいます。1988年に就役しました。
ノース・ドックには当艦と並んで、米海軍の音響測定艦も停泊していました。
米海軍の音響測定艦「ヴィクトリアス (USNS Victorious, T-AGOS-19)」
米海軍の音響測定艦「エフェクティブ (USNS Effective, T-AGOS-21)」
米海軍の音響測定艦「インペッカブル (USNS Impeccable, T-AGOS-23)」
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戦後80年《明日の神話》 次世代につなぐ 原爆✕芸術 ― 2025年08月09日 18時59分43秒
今日は8月9日。
80年前の1945年8月9日、広島に続いて長崎にも原子爆弾が落とされました。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊したといいます。
今、川崎市岡本太郎美術館で開催されている、戦争や被爆の記憶を次世代につなげる展覧会、「戦後80年 《明日の神話》 次世代につなぐ 原爆✕芸術」展を観に行ってきました。
本展開催のきっかけは、広島市立基町高等学校の生徒たちが描いた「原爆の絵」です。
広島の爆心地に程近い基町高校では、創造表現コースの生徒たちが被爆者から半年以上の時間をかけて話を聞きとり、その記憶を「次世代と描く原爆の絵」として描く活動を20年近く続けています。
被爆者が高校生に当時の様子を伝え、高校生たちが絵を描きます。
これら「原爆の絵」は、被爆者が言い表せない想いを、被爆時の状況を全く知らない高校生が、なによりも伝えたいという強い思いで、被爆者と高校生が二人三脚で悩みぬいて表現された作品群になります。(広島平和記念資料館蔵)
戦後80年で戦争体験者が高齢になってしまった今、大切なのは戦争や被爆の記憶を後世に伝えていくことではないでしょうか。
これらの「原爆の絵」、そして岡本太郎の作品に加え、同じように核の問題に取り組む、現代の第一線で活躍する作家たちの作品によって本展は構成されています。
原爆ドームを撮影する岡本太郎 1963年 広島
小林エリカ 《Sunrise》 2025年 インスタレーション 作家蔵
岡本太郎 《死の灰》 1955年 油彩、キャンパス 岡本太郎記念館蔵
展示風景
岡本太郎 《柱時計 / 長崎》 1957/3/6 ゼラチンシルバープリント 川崎市岡本太郎美術館蔵
後藤靖香 《堂々巡り》 2024年 墨汁、アクリル、ウランガラス、メディウム、キャンパス 作家蔵
1967年4月3日、ベトナム戦争のさなか、米ワシントン・ポスト紙の1ページに大きな日本語で「殺すな」の3文字が掲載されました。
これは、2万5千人以上の人による寄付のもと、「日本の市民と広島の声からのアピール」と題した、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」によるベトナム反戦広告です。
岡本太郎 《殺すな》 1967年 ワシントン・ポスト紙
米谷健+ジュリア 《中国-クリスタルパレス万原子力発電国産業製作品大博覧会》 2016年 ウランガラス、シャンデリアフレーム、ブラックライト 作家蔵
米谷健+ジュリア 《Dysbiotica - Child (With antlers)》 2022年 磁器土、繊維強化プラスチック 作家蔵
展示風景
《明日の神話》は、ビキニ環礁で米国が行った水爆実験によって被爆した「第五福竜丸」に着想を得て制作された巨大壁画です。
長らく行方不明になっていた壁画は修復され、2008年から渋谷マークシティ内の渋谷駅連絡通路に恒久展示されています。
岡本太郎は《明日の神話》の下絵を数点描いており、川崎市岡本太郎美術館所蔵のこの作品は、中でも最大の物になります。
船(第五福竜丸?)がクジラを釣っている絵がかわいいので、私はこの部分が好きです。でも、もしかしたらこれはクジラではなく、放射能によってゴジラのように超巨大化した魚かもしれません。
岡本太郎 《明日の神話》 1968年 油彩、キャンバス 川崎市岡本太郎美術館蔵
冨安由真 《影にのぞむ》 2023年 ジェスモナイト、鏡、スポットライト、回転モーターほか 作家蔵
李晶玉 《Ground-Zero》 2022年 アクリル、鉛筆、ペン、デジタルプリント、紙、パネル 個人蔵
《平和を呼ぶ》という作品です。1988年、船橋市の平和都市宣言の記念モニュメントとして、ワンパク王国(ふなばしアンデルセン公園)入口付近に、平和の願いを込めて設置されました。
岡本太郎 《平和を呼ぶ》 1988年 繊維強化プラスチック 川崎市岡本太郎美術館蔵
悲惨な戦争が続いています。早く平和な世界を取り戻したいものです。
開催会場:川崎市岡本太郎美術館
開催期間:2025年 7月19日(土)~10月19日(日)
休館日:月曜日(7月21日、8月11日、9月15日、10月13日を除く)、7月22日(火)、8月12日(火)、9月16日(火)、9月24日(水)、10月15日(水)
開館時間:9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料金:1,000円、高・大学生・65歳以上800円 ※中学生以下は無料
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
被爆80年企画展「HIROSHIMA1945」東京都写真美術館 ― 2025年08月06日 18時41分43秒
今日は「広島平和記念日(広島原爆忌)」です。
広島に原爆が落とされて、今日でちょうど80年が経ちます。
昨年、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴え続けてきた「日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会」がノーベル平和賞を受賞しました。
にもかかわらず、世界ではロシアのメドベージェフ前大統領が「核兵器を使えば、あらゆる戦争を終わらせることができる」と持論を展開し、その発言を受けてアメリカのトランプ大統領は、ウクライナに侵攻するロシアに対抗するため原子力潜水艦2隻の「適切な地域」への配備を命じたとSNSで発信しています。
日本でも、「核武装が最も安上がりだ」として日本の核保有を主張する参政党のさや氏が、参議院選東京選挙区で、候補者32名の内2位で当選しています。
現在、世界は9ヶ国が保有する12,000発もの核兵器に脅かされ続けています。
原子爆弾投下の正当化が進む傾向にあるご時世、子供の頃を広島県で育ち「NO MORE HIROSHIMA(ノー・モア・ヒロシマ)」の声を聞き続けてきた私にとって、それは空恐ろしいことです。
広島が被爆して80年目にあたる今日、東京都写真美術館で開催されている「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を観てきました。
1945年8月6日、広島は人類史上初めて原子爆弾による壊滅的な被害を受け、約14万人もの尊い命がその年のうちに犠牲となりました。
そんな中、自ら被爆しながら、あるいは放射線被曝の急性障害に苦しむ人間の姿に衝撃を受けながら、カメラを手に原子野を歩いた者たちがいました。
広島市民や報道機関のカメラマン、写真家たちは、自らの命を危険に晒しながら撮影した記録写真を、連合国軍総司令部(GHQ)による報道検閲(プレスコード)により、長い期間 世に出すことが出来ませんでした。
米軍は写真や医学資料を接収して本国に送り、日本陸軍は進駐軍の到着に備えて機密文書と共にネガ・プリントを没収して焼却しました。そのような環境においても撮影者たちは、ネガの一部を自宅に隠すなどして、強い意志で貴重な記録を散逸の危機から守ってきたのです。
同展解説文によると、当時 東方社にいた木村伊兵衛氏は、「ネガはカメラマンの命」と、GHQへの提出を頑なに拒み、「紙ヤキならいくらでもやいてやる」とプリントを渡して散逸を免れたといいます。
本展は、2023年に報道機関と広島市が共同で国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」に国際登録を申請した「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」(写真1532点、映像2点)を基に構成し、広島原爆写真約160点と映像2点を公開しています。
資料の所蔵や保存・活用に携わってきた報道機関が連携し、原爆写真と映像の展覧会を主催するのは初の試みだということです。
展覧会は、
第1章:きのこ雲の下で ~8月6日の記録~
第2章:焦土の街 人間の悲惨 ~あの日からの1カ月~
第3章:遠い再建 占領下の苦闘 ~1945年末まで~
という3つの大きな章で構成されています。
以下、展示風景
開館後30分もすると、展示室内は幅広い年代の男性、女性などでいっぱいになりました。
「世界各地で戦火が絶えない今こそ、被爆者の『決して繰り返させてはならない』という訴えとともに、原爆写真と映像を広く共有しなければならない」という主催者の考えが、多くの人たちに伝わることを願います。
展覧会カタログはB5・134ページで、税込2,420円です。
開催会場:東京都写真美術館 地下1階展示室
開催期間:2025年5月31日(土)~8月17日(日)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
開室時間:10:00~18:00(木・金曜日は20:00まで) ※入館は閉館時間の30分前まで
観覧料金:一般 800円/大学生以下無料 /65歳以上 500円
※障害者手帳をお持ちの方とその介護者(2名まで)は無料
※大学生以下、65歳以上、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも要証明
他の展覧会とのセット割引や各種優待があります。詳細は公式サイトご利用案内へ
主催:中国新聞社 朝日新聞社 毎日新聞社 中国放送 共同通信社
共催:東京都写真美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
後援:広島市 日本放送協会 日本写真家協会 日本ユネスコ国内委員会 広島県 (公財)広島平和文化センター
協力:株式会社フレームマン 株式会社写真弘社 広島国際文化財団
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郵船クルーズの新造船「飛鳥Ⅲ」が初航海へ ― 2025年07月21日 10時43分59秒
今日は「海の日」です。
1876年(明治9年)に明治天皇の東北地方巡幸の際、灯台巡視船「明治丸」により航海をし、7月20日に横浜港に帰着されました。それを記念して、1941年(昭和16年)に7月20日が「海の記念日」に制定されたのが、「海の日」の始まりになっています。現在は7月の第3月曜日となっています。
横浜港大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋)に停泊している「飛鳥Ⅲ」が出航の準備をしています。
左の方で振られている旗は、「ご安航を祈る」という意味の国際信号旗です。
ホーサー(係留索/舫い綱)に付けられたラットガードには、かわいいネコちゃんの絵が描かれています。ネズミ返しなので、ネコの効果は絶大かと・・・
いよいよ離岸です。ホーサーをビット(係留柱)から外すのは、かなりの力仕事になります。
横浜市消防音楽隊による演奏の後、蛍の光の曲が流れる中、「飛鳥Ⅲ」が岸壁から離れていきます。
午後3時の太陽の煌めきの中を、色とりどりの風船が空に舞いました。歓声が上がります。
横浜市消防局の消防船「よこはま」による歓送放水の中を抜けていきます。ファンネル(煙突)の向こうに「鶴見つばさ橋」が見え、その上を初航海を祝うようにウミネコが飛んでいきます。
横浜ベイブリッジの下を、次港の函館に向けて進んでいきました。安航を祈ります。
飛鳥Ⅲ(ASUKAⅢ)は、総トン数52,265トン、全長230m、全幅29.8mで、乗客数740名、乗組員数は470名です。客室は全室バルコニー付きです。
現在運航中の「飛鳥Ⅱ(ASUKAⅡ)」とほぼ同じ大きさの船で、今後は横浜を母港とするクルーズ客船が2隻運用されるようになります。
ただ、世界一周クルーズに関しては「飛鳥Ⅱ」は先日その役目を終え、新造船の「飛鳥Ⅲ」に引き継がれることになります。
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世田谷 宮川の三河鰻咲うな重 ― 2025年07月20日 10時26分58秒
昨日は土用の丑の日でした。
三井ショッピングパークのポイントが1万円以上溜まっていたので、息子たちと一緒に ららぽーと横浜のフードコート「FOURSYUN」へ。
「FOURSYUN」では、鰻の「世田谷 宮川」の他、「南国酒家」、「横浜中華街 梅蘭」、「香川 一福(讃岐うどん)」、「鶏三和」、「仙臺たんや利久」、「とんかつ まい泉」など有名店の味がフードコート形式で楽しめます。
「世田谷 宮川」では、本店でも数量限定で提供しているブランド鰻「三河鰻咲(みかわまんさく)」を、土用の丑の日前後には、ららぽーと横浜店でも提供してくれます。
「三河鰻咲」にしました。4,700円(価格は全て税込)です。
「三河鰻咲」は限りなく自然に近い養鰻池環境と、健康に配慮したオリジナル飼料「三河鰻咲」で育てているブランド鰻で、無投薬を基本とした減投薬養殖を実現しているということです。
従来の養殖鰻と比較し、脂の乗りが良く こくのある味わいで、しかもさっぱりとした脂なので美味しくいただけます。肉厚です❣
私は脂肪分の多いこのうなぎが好きなのですが、息子たちは普通の鰻のほうが良いようで、白焼きと蒲焼きの2種類の味が楽しめる「二色鰻重(松)」(3,900円)を頼んでいました。
肝吸いと香の物が付いてきます。
慢性胃炎でアルコールは控えているので、ノンアルコールビールにしました。Asahiのドライゼロです。
最近のノンアルコールビールは美味しくなりました。研究してくれているんでしょうね。550円です。
「う巻き」です。950円。この店の「う巻き」は玉子焼きも美味しいので、「FOURSYUN」へ来ると大抵頼みます。大根おろしでいただきます。大根独特の辛味が少ないので、う巻きの旨味を邪魔しないでうまく絡みます。
「肝焼き」は1本550円です。長男は肝が好きではないので、2本注文しました。鰻 何匹分?というくらい、大きな肝焼きです。
ポイントを1万円分使っても、5,100円の支払いでした。やっぱり鰻は高かった・・・
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
令和7年7月7日 今日は七夕 ― 2025年07月07日 16時53分03秒
今日は令和7年7月7日。 「7・7・7」と7が3つ並ぶトリプルセブンの日です。
前回の「7・7・7」は平成7年7月7日なので、ちょうど30年前でした。
7月7日は七夕です。横浜の「みなとみらい駅」構内で、「えむえむさん」の横に七夕飾りが置かれていました。






































































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