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コデマリ(小手毬)とオオデマリ(大手毬)2015年05月09日 12時55分11秒

道を歩いていると、通り沿いの家の庭先に「コデマリ(小手毬)」の白い花が目につくようになりました。
(写真は国営昭和記念公園で撮影したものです。)
コデマリ(小手毬
花が小さな手毬のように見えることから、この名が付けられました。
コデマリ(小手毬
もっと近づいてみると、小さな花の集団になっていることが分かります。
コデマリ(小手毬

コデマリがあるのならオオデマリもあるんじゃないかと昭和記念公園の園内を探してみました。
すると、案外近くにあっさりとオオデマリ(大手毬)を見つけることが出来ました。
オオデマリ(大手毬)です。
オオデマリ(大手毬)
えっ、アジサイ(紫陽花)じゃないの?
オオデマリ(大手毬)
アジサイと同じように装飾花(萼が大きく発達したもの)でアジサイによく似ていますが、アジサイ科ではありません。
オオデマリ(大手毬)
ピンクの花を咲かせるものもあります。

オオデマリはマツムシソウ目・スイカズラ科の植物で、コデマリはバラ目・バラ科の植物です。
名前からは親戚のように思われますが、類縁ではありません。
同じ時期に咲くので比較して名前が付けられたのかもしれませんね。
オオデマリは別名テマリバナ(手毬花)とも言い、日本原産のヤブデマリ(藪手毬)の園芸品種であるのに対し、コデマリは中国原産の帰化植物だということです。

アイスクリームの日2015年05月09日 23時59分59秒

5月9日はアイスクリームの日です。
まだ肌寒い日もある5月になぜアイスクリームの日なんでしょうか?

江崎グリコ(株)のホームページにこのような記載がありました。(原文のまま)
「東京アイスクリーム協会(日本アイスクリーム協会の前身)では、アイスクリームの一層の消費拡大を願って、東京オリンピック開催年の昭和39年(1964年)に、アイスクリームのシーズンインとなる連休明けの5月9日に記念事業を開催し、あわせて諸施設へのアイスクリームのプレゼントをしました。
以降、毎年5月9日を「アイスクリームの日」として、この日を中心に各地区で各種イべントと施設へのアイスクリームのプレゼントを実施しています。」

幕末、アメリカに渡った使節団の中の一人、町田房蔵(まちだふさぞう)は二度目の渡米でアイスクリーム、マッチ、石けんなどの製造法をマスターし、1869年(明治2年)、氷と塩を用いて製造したアリスクリーム「あいすくりん」を日本で初めて横浜の馬車道地区で製造・販売したのが日本におけるアイスクリームの始まりとされています。
1976年(昭和51年)日本アイスクリーム協会より、アイスクリーム発祥の地を記念して、横浜馬車道通りに「太陽の母子像」が寄贈されました。
太陽の母子像
アイスクリーム発祥の記念碑なのに、どうして裸の女性と幼児の像なんでしょう?
アイスクリーム関係ないじゃん?と思うのですが。

制作者は本郷新(ほんごう しん)という札幌生まれの彫刻家(1905~1980)です。
本郷新記念 札幌彫刻美術館の学芸員 井上みどりさんは次のように記しています。
『制作を依頼された本郷は、「太陽の母子」をアイスクリームの原料ミルクから連想して、母乳で子どもを育む「母」のイメージで制作しました。母のひざの上で無邪気に両手を広げ、全体重を母にあずけた幼子と、微笑をたたえ慈しみのまなざしを注ぐ母。母と子の深い絆で結ばれた姿を本郷は表現しようとしたのでしょう。』
う~~ん。なるほど・・・
太陽の母子像
碑文は読みにくいのですが、以下のように書かれています。

太陽の母子  制作者 本郷 新

横浜沿革史に「明治二年六月馬車道通常盤町五丁目ニ於テ町田房造ナルモノ氷水店ヲ開業ス・・・・」と誌されています  日本のアイスクリームの誕生です  私達はこれを記念し このゆかりの地にモニュメントを建て寄贈いたします
   昭和五十一年十一月三日  社団法人 日本アイスクリーム協会   同 神奈川支部

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