「生命の交歓 岡本太郎の食」川崎市岡本太郎美術館 ― 2024年05月19日 07時16分09秒
川崎市岡本太郎美術館で開催されている「生命の交歓 岡本太郎の食」展に行ってきました。
美術館入り口にバラの花が咲いています。
本展は「川崎市市制100周年記念展 」として開催されているもので、「食」を切り口に、油彩をはじめ岡本太郎が制作した食器や陶器、得意料理のレシピ、取材先で撮影した写真など、約200点の多彩な資料を本人の言葉とともに紹介しています。
『岡本太郎にとって「食」とは、味わうことや、栄養をとるということだけではなく、食べる者と食べられる者との生命と生命のぶつかり合いであり、闘いとった生命を自身の身体に取り込む喜びであると考えました。また、芸術は生活と一体であるべきと考えた岡本は、食卓などの家具やティーポットやグラスといった食器など、食の場で使われ生活にいろどりを与える作品の数々を制作しました。
さらに岡本は、書を絵付けした大皿や顔のある茶器など、岡本独自の感性とユーモアあふれる陶芸作品も手がけています。岡本はまた、国内外の食文化や食を支える市場に興味を抱き、取材に訪れる先々の市場に出かけ、そこに住む人々の暮らしや活気あふれる市場の様子など数多く撮影しました。』
(『 』内展覧会公式サイトより引用)
本展では「生きものが生きものを食べるのは、まさに生命の交歓である。」(岡本太郎「食べ物に挑む 私の食事観」『暮しの設計』中央公論社、1974年)
という岡本太郎の言葉に基き、両親の岡本一平・かの子と過ごした少年時代から、青年期を過ごしたパリ、そして戦後から晩年まで、岡本の食にまつわる資料を展示し、人生、芸術、そして食べることもまた闘いだと考えていた岡本太郎を「食」という視点から読み解いていきます。
第1章:岡本太郎と岡本一平・かの子
第2章:パリ時代~戦後
第3章:生命の交歓
第4章:生活を彩る
第5章:岡本太郎の陶芸作品
第6章:旅と食 岡本太郎の写真
の6つの章で構成されています。
第1章:岡本太郎と岡本一平・かの子
岡本太郎の父は、画家・漫画家・文筆家・仏教研究家の岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年 - 1948年)です。
母、岡本かの子(おかもと かのこ、本名:岡本 カノ、旧姓:大貫(おおぬき)、1889年 - 1939年)は、小説家、歌人、仏教研究家として活躍していました。
かの子は料理は得意ではなくあまり作らなかったと言われていますが、美食家であり、家族でフランス、イタリアをはじめ欧米各地を食べ歩いています。
岡本一平が描いた岡本かの子観音像に、かの子が短歌を詠んでいます。
岡本一平(画)/岡本かの子(短歌) 《かの子観音》 制作年不明 紙、墨、絵具 川崎市岡本太郎美術
母、岡本かの子の文学碑となった作品です。かの子文学の支持者と、川端康成、瀬戸内晴美(のちに寂聴)、建築家の丹下健三らの協力により、かの子の生地(川崎市高津区二子)に建てられている《誇り》の原型です。
高津区二子にある文学碑の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」と刻まれています。
岡本太郎 《誇り》 1962年 繊維強化プラスチック(FRP) 川崎市岡本太郎美術館蔵
第2章:パリ時代~戦後
著名な父母を持ち、パリでの勉学を目指した太郎は、セザンヌやピカソの作品との出会いを経て、前衛芸術家や思想家たちと共に最先端の芸術運動に身を投じました。
第2次世界大戦がはじまった翌年の1940年(昭和15年)、パリにドイツ軍が侵攻し、岡本太郎は日本に帰国します。 ニ科展に出品し個展を開催するなど、パリでの成果を発表していましたが、徴兵され中国に渡ります。
1946年に復員した岡本は、青山の自宅もパリで描いた作品も、戦火のためすべてを焼失してしまっていました。
パリのG.L.M社から発行された画集『OKAMOTO』記載のサイズを参考に実物大の写真パネルで、若きパリ時代の作品を紹介しています。
岡本太郎 《リボンを結んだ女》1936年 《リボンの祭》1935年 戦火により焼失
岡本太郎の代表作のひとつ、《痛ましき腕》です。1936年にパリで描いた作品は焼失してしまいました。1949年に再制作しています。
岡本太郎《痛ましき腕》1936/1949年 油彩、カンヴァス 川崎市岡本太郎美術館蔵
第3章:生命の交歓
岡本太郎は、「食べる」ということは“いのち”対“いのち”と考え、神聖な行為であり命の饗宴だといいます。
1951年、岡本太郎は「縄文土器」との衝撃的な出会いをし、日本人の根源的な生命感を表すものであると考えました。
岡本太郎 《縄文人》 1982年 繊維強化プラスチック(FRP) 川崎市岡本太郎美術館蔵
岡本太郎 《樹霊Ⅰ》 1970年 繊維強化プラスチック(FRP) 川崎市岡本太郎美術館蔵
第4章:生活を彩る
岡本太郎は日々の生活の中に機能性だけではなく、彩が必要だと考え、食器、照明、椅子から鯉のぼり、飛行船に至るまで様々なデザインを行い、芸術を生活の中に溶け込ませることを目指しました。
岡本太郎 《夢の鳥》 1977年 陶磁 川崎市岡本太郎美術館蔵 他
岡本太郎 《水差し男爵》 1977年 ガラス 川崎市岡本太郎美術館蔵 他
1985年の「EXPO’85 科学万博」の記念として岡本太郎がデザインした《人間ボトル》です。
男性ボトルにはウイスキー、女性ボトルにはブランデーが入っています。
岡本太郎 《人間ボトル》 1985年 陶磁 川崎市岡本太郎美術館蔵
第5章:岡本太郎の陶芸作品
岡本太郎は、勅使河原蒼風(草月流の創始者)、陶芸家でもあった北大路魯山人、陶芸家の濱田庄司などとも親交があり、陶芸作品も多く残しています。
都立多磨霊園の、岡本太郎一家3人が眠る墓に置かれた作品です。
太郎の父である岡本一平の墓標になっていて、1954年の七回忌に設置されました。岡本太郎が陶芸作品として初めて発表した作品だといわれています。
岡本太郎 《顔》 1952年 陶磁 川崎市岡本太郎美術館
第6章:旅と食 岡本太郎の写真
パリで写真家のブラッサイなどから手ほどきを受けた太郎は、カメラを愛し自ら多くの写真を撮影しました。それらは自身の文章の挿図として、雑誌や著書に掲載されています。
撮影:村上善男 《牛と岡本太郎/岩手》 1957/6/18 ゼラチン・シルバー・プリント 川崎市岡本太郎美術館蔵
会場にはニコンのニコマートやオリンパスPEN FTブラックが展示してありましたが、岡本太郎はその他にもいろいろなカメラを使用し、収集もしていたようです。
ニコマート/NIKKOR H Auto 28mm F3.5
展覧会図録はA5サイズ56ページで、税込550円です。
常設展として「前衛たちの足跡 岡本太郎とその時代」を同時開催し、岡本太郎と交流のあった同時代の作家たちの活動の一端を紹介しています。
中国からの復員後、戦後の前衛芸術運動に岡本太郎が関わった「夜の会」や「アヴァンギャルド芸術研究会」、「世紀の会」の活動資料や、そこに集った池田龍雄、北代省三、山口勝弘といった同時代の作家たちと、1950年代に交流のあった芥川(間所)紗織の作品を展示し、芸術家たちの足跡をたどっています。
発起人の花田清輝と岡本太郎を中心に、椎名鱗三、埴谷雄高、野間宏、佐々木基一、安部公房、関根弘らが会員・オブザーバーとして参加して発足した、文学と美術のジャンルにまたがる前衛芸術の研究会「夜の会」。
その「夜の会」という名は、当時太郎のアトリエに置かれていたこの作品から取られたといいます。
岡本太郎 《夜》 1947年 油彩、キャンバス 川崎市岡本太郎美術館蔵
お土産です。
岡本太郎コースター《夢の鳥》2枚セット。880円(税込)
ギターのピックも4~5種類売っていました。これはホログラムの輝きが光の方向によってキラキラと変わります。税込170円です。
川崎市市制100周年記念展 「生命の交歓 岡本太郎の食」開催概要
開催会場:川崎市岡本太郎美術館
開催期間:2024年4月27日(土)~2024年7月7日(日)
休館日:月曜日(7月1日を除く)、7月2日(火)
開館時間:9:30-17:00(入館16:30まで)
観覧料金:一般900円、高・大学生・65歳以上700円 ※中学生以下は無料
同時開催 常設展「前衛たちの足跡 岡本太郎とその時代」 2024年4月18日(木)~7月7日(日)
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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