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北口本宮富士浅間神社2024年02月21日 19時43分21秒

山梨県富士吉田市にある「北口本宮富士浅間神社」です。
参道に延々と続く並木と石灯籠が荘厳な雰囲気を醸し出します
北口本宮富士浅間神社
北口本宮富士浅間神社

参道を進むと朱色の大鳥居が迎えてくれます。
北口本宮富士浅間神社

この地は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されています。
さらに、神社内の建造物のほとんどが国指定重要文化財になっています。

大鳥居の向こうに見えるのは随神門(ずいじんもん)です。
北口本宮富士浅間神社

神楽殿の向こうに本殿が見えます。
北口本宮富士浅間神社

本殿です。
北口本宮富士浅間神社
北口本宮富士浅間神社

北口本宮富士浅間神社には、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天孫彦火瓊瓊杵命(てんそんひこほのににぎのみこと)=夫神 、大山祇神(おおやまづみのかみ)=父神 が祀られています。
この3神は娘、その夫、父という家族関係になり、非常に強いパワーを持つパワースポットとされています。

北口本宮富士浅間神社

手水舎さえも国指定重要文化財になっています。 今年は辰年ですね。
北口本宮富士浅間神社

諏訪神社拝殿です。
諏訪神社は元々は当地域の氏神でしたが、明治維新の際に北口本宮の摂社となりました。祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ) と八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、夫婦の関係にあるといいます。
北口本宮富士浅間神社

西宮本殿に向かう参道には多くの雪が残っていました。
北口本宮富士浅間神社
北口本宮富士浅間神社
宮彫りが可愛らしいので親しみがわきます。
北口本宮富士浅間神社

北口本宮富士浅間神社のホームページには「由緒」として、
『景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地の「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。これに従い大塚丘に鳥居が建てられ、加えて後の景行天皇50年には祠を建て浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。』
とあります。(『 』内原文のまま)

時代は下って、平安時代の頃に山岳信仰が普及し、登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、それが発展するにつれ、御山に登ること即ち祈り、とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになったということです。
本殿に向かって右奥、白木の鳥居の向こうには吉田口登山道の起点があります。古来の富士講登山は、この吉田口登山道を登りました。
北口本宮富士浅間神社
鳥居に掲げられている扁額には、「富士山」と記されています。

「北口本宮富士浅間神社」公式サイトはこちら



最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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