ボニー スコットランド(Bonnie Scotland) バラ ― 2022年08月01日 09時22分25秒
横浜港の「アメリカ海軍補助艦」 ― 2022年08月01日 18時22分25秒
横浜港の瑞穂埠頭(横浜ノース・ドック)に停泊している、アメリカ海軍所属の補助艦たちです。
ヴィクトリアス級音響測定艦が3隻停泊していました。
ヴィクトリアス級音響測定艦は同型艦が4隻あります。
T-AGOS-19 ヴィクトリアス USNS Victorious
T-AGOS-20 エイブル USNS Able
T-AGOS-21 エフェクティブ USNS Effective
T-AGOS-22 ロイヤル USNS Loyal
の4隻ですが、そのうちの3隻です。
ここには写っていない「T-AGOS-20 エイブル USNS Able」も、時々横浜港で見かけます。
「ヴィクトリアス USNS Victorious (T-AGOS-19)」です。ヴィクトリアス級音響測定艦のネームシップになります。
音響測定艦は武装はほとんど施されていませんが、水上艦用曳航ソナー・システムなどを搭載し、潜水艦の探知を行います。作業甲板を広く取れ静粛性と安定性も確保できる、双胴船型を採用しています。
排水量は3,100トン(軽荷)、3,384トン(全備)で、全長235ft(72m)、全幅94ft(29m)です。同型艦なので以下の2隻も同じ規格になります。
ヴィクトリアスは、1991年8月から運用されています。
「エフェクティブ USNS Effective (T-AGOS-21)」です。
1993年1月から運用されています。
「ロイヤル USNS Loyal (T-AGOS-22)」です。
1993年7月から運用されています。
近年、極東海域で中国人民解放軍海軍の潜水艦の活動が活発になってきているため、アメリカ海軍が所有する海洋監視艦(音響測定艦)が多く極東に投入されており、横浜ノース・ドックを「事実上の母港」として使用している状態だといわれています。
「ラッパハノック USNS Rappahannock (T-AO-204)」は、アメリカ海軍の艦隊給油艦です。
貨油(艦艇燃料、航空燃料)は合計159,000バレル(約25,279キロリットル)、ドライカーゴ(乾貨物)は690㎥を搭載でき、食料品運搬用の20フィート冷蔵・冷凍コンテナを8基持ちます。
排水量は15,968ロングトン(軽荷)、42,383ロングトン(全積載)で、全長677ft6in(206.50m)、全幅97ft5in(29.69m)です。
※ロングトンは英トンのことで、約1.016トンになります。
「ミリノケット USNS Millinocket (T-EPF-3)」は、スピアヘッド級遠征高速輸送艦の3番艦になります。遠征高速輸送艦は、アメリカ陸軍とアメリカ海兵隊の中隊規模のユニットの車両を輸送したり、歩兵大隊の兵員輸送艦としても機能します。
満載排水量は2,500トン、全長337ft11in(103m)、全幅93ft6in(28.5m)で、2014年3月から運用されています。
「ハワード・O・ローレンツェン USNS Howard O. Lorenzen {T-AGM-25)」がいました。
満載排水量は12,575トン、全長534ft(163m)、全幅89ft(27m)で、2012年1月から運用されています。
ハワード・O・ローレンツェンはアメリカ海軍のミサイル追跡艦です。大型レーダーを搭載し、弾道ミサイル発射やロケット打ち上げの追跡・監視を行う艦船になります。
煙突の後方にある白い四角い箱は、弾道ミサイル追尾レーダーシステムで、「コブラキング」という名称で呼ばれています。
後部船橋の煙突直後の高い位置にあるものがSバンドのアンテナで、その後方、低い位置にあるのがXバンド回転式フェーズド・アレイ・アンテナです。 このレーダーシステムのSバンド・レーダーでは高速で移動する弾道ミサイルの弾頭を複数同時に追うことができ、 さらにXバンド・レーダーでは高速で移動する対象物を動く点としてではなく、弾頭がどの方向を向いているかなど画像化して見ることができるといいます。
※Sバンド・Xバンドは、IEEE(アイ・トリプル・イー、Institute of Electrical and Electronics Engineers)によるマイクロ波の使用周波数による分類で、Sバンドは3,000MHz帯(2,000~4,000MHz)を、Xバンドは9,000MHz帯(8,000~12,000MHz)を使用するものを指します。
横浜ノース・ドックは、横浜港「瑞穂埠頭」にある、アメリカ陸軍及びアメリカ海軍の港湾施設です。
「瑞穂埠頭」は外国貿易埠頭として1925年(大正14年)に着工し、1945年(昭和20年)に完成しましたが、終戦後の1946年(昭和21年)には連合国の駐留軍に接収され、1952年(昭和27年)の講和条約発効以降は、日本からの提供敷地として在日米軍が使用しています。
日本の中のアメリカが、こんな身近なところにもありました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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