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小柳徹のお墓2006年09月22日 19時08分27秒

今日はお休み。
お彼岸なので、墓参りに行った。
鎌倉霊園。
ウチの墓の隣の区画には「小柳徹」の墓がある。

植木に隠れてしまってよく判らないが、自動車の形をした碑が建っている。
建立当時はこんな感じ。(この写真は日本の墓HPより)

碑に刻まれているのは、「真夜中の並木道」の歌詞。
作詞・作曲:久遠寺弦。久遠寺弦は小柳徹のペンネームである。
今で言えばシンガー・ソングライターである。

小柳徹は、小さい頃から子役や声優として活躍していたが、1969年3月24日、深夜の第三京浜で激突事故を起こして亡くなった。
車が大好きな20歳だった。

お墓の左横にはこんな碑も建っている。
ちょっと悲しくなってしまった。

毎日通勤で使っている第三京浜。
今日も行き帰りは第三京浜を使った。
走りやすい道路なので、時速140km位はすぐに出てしまう。
気をつけなくては・・・・・。


「小柳徹のお墓」へのコメントが50件を超えた為、ASAHIネット側の制限でコメントの記入が出来なくなりました。

小柳徹さんを愛する皆様方の、沢山のコメント有難うございます。
3月24日の命日を間近にして、更に多くのコメントを戴き、皆様の輪を広げて行きたいと思います。
継続して、「小柳徹のお墓Vol.2」にコメントをお願いいたします。

                             2011年3月20日

訂正します。下記をお読み下さい。
3月28日に「小柳徹 掲示板」を作りました。 せっかく書き込んで戴いても、記事が分散するといけないので、今後の書き込みは全てこちらへお願いします。

2011年3月28日

コメント

_ ひなたぼっこ ― 2007年11月09日 17時43分14秒

小田急線の成城学園前近くに住んでいます。「ホームラン教室」のネズミ君の根津歯科医院の撮影場所だった家がそのまま残ってます。前を通る度に小柳徹さんが思いだされて、切ないです。亡くなったことを知ったのは前田武彦さん司会のお昼の8CHの番組放送中で、彼が以前今週の歌のコーナーで歌っていたのを強烈に覚えています。

_ ☆☆☆☆☆ ― 2007年11月10日 00時04分50秒

僕らは 町の子 元気な子
空を仰げば テレビ塔
皆で いこう 胸はって
ほら ホームランだよ ホームラン
ホームラン ホームラン
ホームラン教室

ツーストライク ノーボール
それでも ニッコリまけないで(ぞ)
皆で 進もう 肩くんで
ほら ホームランだよ ホームラン
ホームラン ホームラン
ホームラン教室

ノーダン 満塁 それチャンス
大きなホームラン かっとばせ
皆で 歌おう 声あわせ
ほら ホームランだよ ホームラン
ホームラン ホームラン
ホームラン教室

「ホームラン教室」 作詞 高垣葵 作曲 真木信夫 
歌唱 小柳徹

「ノーダン 満塁 それチャンス
大きなホームラン かっとばせ」
の部分しか覚えていません。
しかも、ツーダン満塁だと思ってました~。

_ ひなたぼっこ ― 2007年11月22日 10時01分47秒

『ホームラン教室」に続いて出演した「泣くな太陽」の小柳徹のかっこよさを見て、当時中学生になった兄たちは二代目石原裕次郎だ!と言っていました。ホント特にハンサムじゃないけどオーラがありましたね。小学生の私も大好きでした。

_ 黒木 ― 2008年03月15日 17時48分46秒

1950年代中期頃、僕にとって最も懐かしい時代。NHKの
第一放送『コロの物語』を楽しく聞いていました。
温かいストーリーでした。もしこのテーマソングをご存知でしたら教えてください。譜面があったら最高です。

_ ☆☆☆ ― 2008年03月16日 09時18分41秒

お父さんは 青い雲
いつもそっと 見てるよきっと
お母さんは そよぐ風
いつもそっと ささやくきっと
わんコロ ワン ワン コロ コロ
わんコロ ワン ワン コロ コロ
ワン ワン ワン

これ主題歌ですよね。

お母さんの唄というのがあって、

夢見ていたよ お母さん
さめりゃ 野原を渡る風
どこかで どこかで
僕を呼んでるなあ

という歌詞でした。
残念ながら譜面は分かりません。

_ さっちゃんs's ― 2008年03月23日 17時52分08秒

コロの物語の挿入歌で、ところどころしか分かりません!
コロ、コロ、コロと~呼んではいっちまう。
後、不明。 最後が
コロ、コロ、コロとそれでは又来週。だったかな?

_ じん ― 2008年11月26日 01時49分04秒

小柳徹・・・とても懐かしい名前です。チャンネルをひねったらたまたまやっていたホームラン教室の初めて見たシーンを未だに覚えています。小柳徹が滑り込みの仕方を仲間に教えているシーンでした。
ヤング720も見てました。彼は私より1歳年上で同じ時代を生きるはずの人でした。

_ mama ― 2008年12月22日 16時09分29秒

私が、中学2年生の頃でした、彼が亡くなったのは、思春期の真っ只中の出来事で、とても切なく悲しかったのを覚えています。制服のネームプレートの写真をいれていたのですが、それが、職員会議にかけられてしまって、大変な目にあったりと・・・でも、それもいい思い出になりました。もう一度会いたいです。

_ どらみ ― 2009年01月08日 21時13分05秒

 小柳徹・・・懐かしいなあ・・・急に小柳徹の名前が思い浮かんで探していたらこのページに行き着きました。
ホームラン教室は大好きな番組で毎週楽しみにしていました。どなたか書いておられましたが、どことなく裕次郎に似ていますね。あのころNHKのドラマはいいものがいっぱいあったように思います。
 彼のドラマは今見られないのかなあ。歌声はcdを買って聞きました。

_ ホマキ ― 2009年01月09日 16時03分12秒

「ホームラン教室」「不思議な少年」「月光仮面」「赤胴鈴之助」「少年探偵団」「ヤング720」「オールナイトニッポン」・・・・・
あの頃のテレビやラジオは夢とワクワク感満載でしたよね。

_ 昭和30年代の少年 ― 2009年01月10日 16時12分36秒

牟田悌三さん死去のニュースを聞いて、ホームラン教室で検索して、ここへ来ました。小学校の時、帰りの学級の歌でホームラン教室の歌を歌っていました。3丁目の夕日の世界はもう遠い過去になってしまった。貧しかったが夢を持っていた時代でした。

_ ドジ ― 2009年01月12日 21時41分55秒

私も「ホームラン教室」は好きでした。小柳徹は印象に残っています。彼の衝撃的な最期については、全く知りませんでした。ちょうどその頃、私は社会人になる直前で新人研修の真っ最中。新聞を読むこともTVを観ることもしていなかったのでしょう。今朝の めざましTV で大塚さんが牟田悌三さんの訃報を伝える際、小柳徹さんのことに触れたことで初めて知りました。若い頃は洋楽好きだったので当時の日本の芸能界に疎かったのでしょうか。

_ (未記入) ― 2009年01月16日 23時09分03秒

探していた主題化の歌詞に出会えて本当にうれしいです。こちらも子供だったころ。テレビやラジオでいつも親しんでいた方だったのに、早いおわかれでした。

_ 飯塚 正 ― 2009年01月31日 16時58分49秒

小柳徹さんの真夜中の並木道のレコード版権はどなたが管理していますか、この歌を鮮明に覚えています。
ぜひ世に出したいと思います。私は横浜にてライブハウス(ハーモナイズヨコハマ)を経営しています。情報がほしいです。

_ みみ ― 2009年04月01日 02時06分01秒

昔々の思い出。徹さんが新宿区若葉町の文化放送の近くのマンションに住んでいました。真夜中の並木道とは青山通り24沿いにある絵画館に通じる並木道のことです。彼が事故にあつたのは高橋圭三さん司会のスター千一夜にご両親とゲスト出演されてご両親をお送りして原宿にあつた深夜レストランに向かっていたはずです。しかし彼は永遠に現れることはありませんでした。当時絨毯の敷いてある店が流行、彼とは深夜の並木道をただ無言で歩き続けました。話すことが怖かったのです。今でも思い出すと胸が痛くかなしいです。お墓にかならず行きます。お墓を教えてくださった方に感謝します。

_ ☆☆☆ ― 2009年04月01日 09時26分06秒

小柳徹さんのお墓は、鎌倉霊園の朝比奈地区58区にあります。
バス停だと「朝比奈峠」。朝比奈東門を入っていくと左側です。
右側は芝生墓地になっていて、きれいです。
車でもお墓参り程度の時間なら、駐車場まで行かなくても、園内路駐で平気です。

_ tosi ― 2009年06月19日 21時11分02秒

小柳徹は、昭和29年NHK「お話出て来い」「三太物語り」を経て、「ホームラン教室」で活躍。まだ声変りしないかわいい金ボタンの学生服の中学生姿の「ホームラン教室」放映画像が下の本で見られる。
  ・ 「別冊 太陽 こどもの昭和史」 ( 昭和20―35年 )(平凡社1996)
・ 「同上    同      」 (昭和35―48年) 同

「三太物語り」の録音は愛宕山のNHK放送博物館[各県の放送局でも聞ける。]や横浜の情報文化センター放送ライブラリで聴ける。
「ゲンと不動明王」など映画にも出演。その後昭和44年、20歳で、第三京浜で自分で車を運転し、事故で亡くなった。
「お話出て来い」は、放送博物館に録音有り。三太物語りの主題歌と、ホームラン教室はレコード有り。(入手は別)
・ ホームラン教室  (NHKテレビ「ホームラン教室」主題歌) / 小柳 徹 < Columbia  
GES-31300 >
・ 亡くなる直前、久遠時弦の名で「真夜中の並木道」(CBSソニーSONA15008)
  http://www5d.biglobe.ne.jp/~yakata/tosi.htm
小柳徹、大田博之,小畑やすしなど殆どの多数のプロマイドが、浅草仲見世アーケード内の「マルベル堂」にある。( 年中無休)
 マルベル堂    台東区浅草1-30-6 新仲見世アーケード内
TEL.03-3844-1445( 年中無休)
http://www.marubell.co.jp/promaide/promaido.html

_ 幸田学(作曲家) ― 2009年07月02日 21時47分35秒

コロの物語のもう1つの主題歌はこれです(こっちの方が本命で、上記の”お父さんは”はラジオドラマの導入歌です)。途中抜けや思い違いがあるかも知れませんが書き出して見ます。小柳徹少年のちょっと甘ったれた声と語りは55年経った今でも鮮明に記憶。小畑やすし、設楽こうじなどの正統派の(映画系の)子役などの余人をもってしては決して出せない(なかっただろう)ラジオドラマならではの雰囲気でした。
(F-dur/ヘ長調、アダージオ)
くーるー、くーるー、くーるー、とー、 まーわーるーーよかざぐるま
くーるー、くーるー、くーるー、とー、せーわーしーーくひがくれる
いーつになったらあーえんだろー
いーつになったらあーえんだろー
わん! わん! (間奏2小節)
(このあとの1句忘却)
でーもーさ、でーもーぼーーくさーびしかないさ、
だって(このあとの2句忘却)(グリッサンド)
(このあと1句半忘却)しんせつなーんーだー
(同じく)しんせつなーんーだー
(間奏とコーダ8小節、ハープかチェレスタの上向グリッサンドでリタルランド、弱終止)
- - - - - です。管理人さんメール下さい。両曲とも譜面に書き出してお送りします。

_ ☆☆☆ ― 2009年07月03日 17時11分40秒

幸田学(作曲家)様。コメントを有難うございます。
早速メールさせていただきました。
メールでは、「ホームラン教室」をラジオドラマと書いてしまいましたが、テレビドラマの間違いです。失礼しました。
コロの物語の”お父さんは・・・”は主題歌ではなく、挿入歌だったんですね。
わんコロ ワン ワン コロ コロ が印象に残る歌でした。

_ tosi ― 2009年07月23日 20時34分54秒

_ ☆☆☆ ― 2009年07月23日 23時20分49秒

懐かしい映像ですね。
tosiさん、ありがとうございます。

_ しのぶ ― 2010年01月04日 11時48分20秒

 久しぶりに見た徹お兄さんのお墓・・・
こんなに年月が経っても多くの方々が覚えて下さっていることに感謝。
小柳徹の親族として皆様にお礼を申し上げます。

私は徹の従姉妹で現在はアメリカのシアトルに住んでいるのですが、徹の父は数年前に亡くなり、母は横浜のホームにお世話になっていて、この先私達親族の誰かがお墓を管理していかないと・・・という思いにかられております。
もしかすると徹お兄さんが「お~い、誰かお墓の掃除にきてよぉ~!」と天国から叫んでいたのかもしれません☆きっとそうですね、今度日本へ行くときには必ず行きます。
きっかけを作ってくださりありがとうございました。

_ 高橋 ― 2010年01月11日 13時19分21秒

私は、61歳男性で、現在アメリカのサンフランシスコ在住です。子供の頃ラジオで聞いた、「コロの物語」に関していろんな方のご意見が書かれており、読んでいるうちに懐かしさで涙が出そうになりました。
幸田学さんのコメントの中で歌詞がありますが「だって」の後は、「ゆーめではどのひとも やーさしいひとだ しんせつなんだ」と続いたと記憶します。ありがとうございました。

_ まさし ― 2010年02月09日 01時27分23秒

みなさんは彼とおなじ団塊の世代と思われます。私も定年直前です。一緒に年をとれなかった彼にも青春の思い出らしきものがあったのを みみさんの書き込みで知りました。彼がレコードを出していたのを初めて知りました。お墓に刻まれている『真夜中の並木道』の歌詞をだれか 教えていただけませんか。

_ ☆☆☆ ― 2010年02月09日 16時36分21秒

鎌倉霊園のお墓に建てられた碑に刻まれていた歌詞です。

あなたと歩いた  真夜中の並木道
いつもと違って  今夜は切ない

失くしてしまった 二人の絆に
肩をふるわせて  泣いてたあなた

仕方のないことさ ふり返ってみても
いたづらに昔を  想い出すだけさ

さよならと一言で 終ってしまうのに
何も言えずに   歩き続ける・・・

_ まさし ― 2010年02月10日 23時03分14秒

早速ありがとうございます。彼の感性が伝わってくる歌詞です。私ごとですが、この歳になると子供の頃のことが無性に懐かしい。『ホームラン教室のとおるくん』は私の幼なじみです。その彼が若くして自動車事故で亡くなった そう まるでジェームス・ディーンのように。墓に刻まれていた『ころんで痛い目に 』の句は生前に彼が言ったものか。(自分の運命を暗示しているように) ともあれ、私の記憶の中のとおるくんは、いつまでも朴訥でオットリした野球少年です。地方なのでお墓へは行けない。

_ T・A ― 2010年02月18日 10時07分26秒

小柳徹・・・昭和44年3月24日未明第三京浜で事故死して
41年が過ぎようとしている。今も話題になったり関心をもっている人が多くいてくれる、私にとっては嬉しいかぎりである。
芸能生活約14年、生前いかに彼の印象が良く強かったことか。彼が作詞、作曲した「真夜中の並木道」実際にあったんですね、行ってみたいです。
しのぶさん(彼の親族)より、徹君のお父さんの実さんも数年前に亡くなられたことを知りました。芸能界で母親みたいにしてかわいがっていた、藤間紫さんも平成9年3月27日に亡くなられました。きっと天国で再会していることでしょうね。
彼の命日、彼の誕生日には必ず鎌倉に行っています。
今は、月命日の24日にも毎月といっていいほどお花を供えにお茶とコ‐ヒ‐をもって彼のお墓に行って彼と話をしています。

_ M.A ― 2010年02月23日 01時35分36秒

私も小柳徹と同世代の62歳です 音楽の好きだった私は 未だによく つぶやく歌があります 題名は覚えてなく 今日まで歌詞の感じから「真夜中の並木道」だとおもっていましたが「まさし」さんの質問に答えられた歌詞を拝見し 違っていることに気付きました 歌詞は①帰ろうね 街の 灯りも消える  わがままを言わず 送って行くから この並木道 終わるまで 歩こうね二人 今日の名残に 星空の下を 肩を寄せながら・・・・多分こんな歌詞だったと思います 私はこの歌が 今でも大好きです どなたか知っておられる方がいましたら 教えて頂けませんか(出来たら全歌詞)

_ M.A ― 2010年02月23日 02時30分03秒

先ほどコメントしましたが いろいろ検索の結果 曲名は「二人だけの帰り道」だとわかりました どなたか 全歌詞(3番まで)を知っていましたら 教えてください 宜しくお願いいたします

_ T・A ― 2010年02月23日 19時32分23秒

「二人だけの帰り道」
 この曲は、昭和44年2月に発売されて、当時昼のヒット スタジオという番組、前武さん司会で、今週の推薦曲で
 一週間歌っていました。

    帰ろうね  街の灯も消える
    わがままは言わず  送ってゆくから
    この並木道  終わるまで
    歩こうね二人  今日のなごりに
    星空の下を  肩を寄せながら

    信じてね  ぼくの愛の心を
    泣かないでいつも  君のそばにいる
    この愛の日の  その向う
    いつの日か二人  結ばれる日が
    来るだろう君と  その日を待とうよ

    帰ろうね  ママが待っているだろう
    約束をしよう  明日も会おうね
    すぐ夜明けなら  やって来る
    おやすみよ甘い  夢を見ながら
    眠ってる時も  愛は育つのさ

  この曲の演奏時間は3分24秒、彼が亡くなった日が
  3月24日、偶然でしょうが、 何か運命的なものを感 
  じるのは私だけでしょうかね。

_ M.A ― 2010年02月23日 20時23分52秒

T.A様 早速のご回答有難うございました 昼のヒットスタジオだったんですね ギターを弾きながら歌っている彼の姿が 今でも懐かしく思い出されます 前記のとおり 私も62歳 なぜかこの歌「二人だけの帰り道」が大好きで 今でもよく口ずさみます 命日 誕生日 月命日と鎌倉の彼のお墓に参っておられるとの事 うらやましい限りです 私は九州に住んでおり行けませんが 私と同じ思いのフアンの代表者として これからもお参りお願いいたします「二人だけの帰り道」歌詞 有難うございました

_ S.M ― 2010年03月03日 22時43分58秒

団塊61歳の幼少はラヂオ好きでしたので「コロ」聞いていました。やはり「お父さん・・は空で歌えていました。テーマを外して申し訳ないのですが、同時代に「ポッポちゃん」というシリーズの放送劇があり、唄も憶えていますが、全くヒットしてきません。小鳩くるみが主演だったように思うのですが、記憶ちがいでしょうか?

_ T・A ― 2010年03月24日 23時28分42秒

3月24日 今日は小柳徹さんの命日。
 彼のお墓にお花を添えてお話をしてきましたよ。
 今日はあいにくの雨、この前の3月24日も雨でした。
 徹君も寒そうでしたので、温かいお茶とカフェオレを
 持参しました。
 小柳徹さんに関心がある皆さんが、遠くまた地方なので
 お墓に行きたいけれどもなかなかお墓に来られないことも
 報告してきました。
  彼が亡くなって41年、皆さんが今でも関心をもっていて
 くれることを彼はきっと喜んでいてくれると思います。
 「また来るよ」と言って帰ってきました。

_ 「ホームラン教室」DVD ― 2010年04月07日 20時55分08秒

「ホームラン教室」については、NHKソフトウエアより、DVD「懐かしのこども番組 グラフィテイー 夕方六時セレクション①」 4935円 にでています。

同②、「教室のヒーローたちな」どがあって、その他いろいろでています。

①については、他に「家なき子」、「みんなのうた」、「まほうのじゅーたん」、「宇宙人ピピ」、「ひょっこりひょうたん島」、「歌のメリーゴーランド」など10編。

②については、「タイムトラベラー」、「なぞの転校生」(大田博之]「風の又三郎」「こどもニュース」「天才テレビくん」など11編。

_ 高橋 康治 ― 2010年05月04日 16時56分21秒

あなたと歩いた真夜中の並木道いつもとちがって今夜わ切ない 朝ヤング720見て学校えいくのが日課だった 小柳さんわ忘れられない

_ Y.S. ― 2010年05月07日 01時05分49秒

 なぜか突然、クロード岡本の検索をし、そうそうこんな絵を描いていたなと確認して満足した後に、今度は小柳徹を検索してここに来ました。皆さんの話を読んで一気に昔の自分に戻りました。
 「コロの物語」で初めて私と同学年の彼のことを知りました。おじいさんとその連れ犬コロの話は大好きで、家事をしている母といつも一緒に聞いていました。舞台だった気仙沼の名もそれ以降私の頭に刻まれました。
 「ホームラン教室」には、私と同学年の二組にいた女の子がレギュラー出演していました(東京の北区立西ヶ原小学校。私は四組)。勉強は出来そうな子でしたが可愛くない子でしたので、彼女が出演していることに興味は全くありませんでしたね。
 彼の事故死でご両親が嘆き悲しんだと聞きました。一人息子を若くして亡くしたのですから当然ですが、私も信じられない思いでした。鎌倉へは30年以上行っていないので物見遊山の時に彼の墓にも行こうと思います。

_ 高森 ― 2010年06月06日 08時59分08秒

本欄に触れられてないNHKラジオドラマに「あっぱれ風来坊」があった。昭和32年当時放送で、トニー谷の紙芝居屋と小柳徹少年が、行方不明の少年の母を求めて全国を旅行して探し回る物語だった。立ち寄る各地での事件をその風物、民謡とともに描き、最後に母と再会を果たす結末であった。その十年後やはりNHKから放送されたアメリカTV映画シリーズ「ルート66」で二人組みの青年、トッドとバズが米国各地を旅して回るストーリーと話の作りが類似していたのを思い出す。いずれも爽やかな感動を与える好ましい番組であった。「旅と人生」を対比させるのも1950年代の主題であったのか。

_ ろくりん ― 2010年07月13日 19時59分00秒

小柳徹検索でお邪魔します。昭和の映画、テレビ大好きなんですが、小柳さんは36年のゲンと不動明王、という映画を衛星放送で見て初めて知りました。小さいときテレビのヤング720を見てた記憶があり、かすかに小柳さんが司会してたの記憶にあるのですがあの人とゲンと不動妙王の子役が同一人物だとはおどろきました。子役で消える人が多い中、成長しても活躍した数少ない人だったのに不慮の事故で亡くなったの残念に思います、スカイラインGTRをとばして最後に亡くなった・・言い方悪いんですが車好きだった彼らしい最後だったのかも。生きていたらもう61、いい俳優になっていただろうなあ・

_ 四方木四五六 ― 2010年10月09日 11時44分07秒

入局したての新米ディレクターが、初めて(演出)させてもらった少年ドラマでした。
 トオルと牟田さん~天国の会話が聞こえます。合掌。

_ ひなたぼっこ ― 2010年11月25日 22時16分46秒

残念!根津歯科医院が消えました。今日仕事帰りに通ったら更地になっていました。

_ あつこ ― 2010年12月03日 20時32分30秒

小柳徹さんて遠い過去の人と思っていたのにこんなに今も多くの人の記憶に残っているなんてあらためてびっくりです。なにをかくそうかくいう私もホームラン教室を毎週土曜日か日曜日(その辺の記憶は定かではありません。)にテレビの前に陣取ってみていたものです。アンパン(ちなみに徹君は大川ベーカリーというパンやの息子でした。)妹のみー、(お下げの可愛い子でした。)ガリ(開業医の息子)何の脈絡もなく思い出しました。小柳徹さんは私と同じ歳でしたので20歳で事故死というニュースはショックだったのをおぼえています。

_ おたか ― 2010年12月23日 02時51分14秒

ホームラン教室と検索したら、懐かしい小柳徹さんのお話も出てうれしかったです。  今だに、ホームラン教室の主題歌を、口ずさむ時がありますが、なぜか二番のツーストライクノーボール……しか思い出されませんでした。これで、きちんと歌えます。ありがとうございました。

_ 波多野純 ― 2011年01月01日 21時15分20秒

徹ちゃんとは友達でした。と言っても6歳ぐらい上の。昭和32年ぐらいの頃。横浜市南区清水ヶ丘に住んでいました。当時の公団アパートの三階が僕の家でした。NHKのRADIOの連続ドラマで
確か5時頃”子犬のコロちゃん”と言う番組を徹ちゃんがやっていました。僕は大ファンになりました。当時まだ5歳ぐらいでしたけれど。ところがその徹ちゃんがすぐ近所に住んでいたことがわかりました。当時、お母様とよくお出かけになる姿をお見かけしました。3階の我が家から。それから間もなくして徹ちゃんと知り合いました。彼は確か関東学院に通っておられたと記憶しています。たまに御一緒にバスで通学などしました。彼は天才でした。僕自身そんな彼との接点があったこと、とてもうれしく思っています。まさに、昨日の事のように徹ちゃんの事は時につれて思い出します。

_ (未記入) ― 2011年01月06日 16時52分10秒

新潮文庫の 景山民夫「どんな人生にも雨の日はある」に、「小柳徹の死んだ朝」というタイトルのエッセーがあります。
小柳徹の死にからめて氏自身の60年代を回想するという内容です。因みに景山さんはその事故現場を目撃してるそうです

_ (未記入) ― 2011年01月11日 15時09分59秒

とても幼いときの記憶なので、正確ではないのでしょうが、ラジオドラマコロの物語には下記のような歌もありました・・・。
今でも口ずさみます。誰も知らない歌なので、不正確でも平気です。鼻の奥がツンとするような、懐かしい歌です。
小柳徹ってほんとうにかわいい声でしたね。

その1
コロコロコロと みんなが呼ぶけれど
コロコロコロと 呼んでは行っちまう
ひとりぼっちで丘の上 
ひとりぼっちでないている
ワンワン
でもさ でもぼくさびしくないさ
だってこの風このにおい
どこかで花が咲いているんだ
ここにも花は咲いているんだ

その2
あの街角にもこの小道にも
今日も誰か待っている
知ってるよ わんわんわん
知ってるよ わんわんわん
ほらほらコロの コロののぞみがしあわせが

_ 小川 ― 2011年02月01日 10時20分00秒

昔懐かしい歌を探し、小柳徹の検索でたどり着きました。お父さんの歌は、よく口ずさみます。なぜか涙が出てきます。コロという名前の犬を飼っていたせいかもしれません。私の記憶では、白い雲ですが。皆さん有難うございます。関西ですのでなかなかお参りする機会がありませんが、これもご縁でしょうか。今どのようになっているのか気になります。

_ 小川 ― 2011年02月15日 10時58分24秒

朝の犬の散歩の途中小柳徹君似の青年が、犬のしぐさを見て微笑んでいた。一瞬胸にこみ上げるものがあった。何かのシグナルであるのだろうか。3月24日が気になる。

_ (未記入) ― 2011年03月02日 19時02分22秒

ふと懐かしくなり名前お入れてみると此処にたどり着きました。私が始めてファンになったひとです。多感な時おすごしたひとでした。何かちょつと昔にかえって~。お墓に行こ~かな。

_ ya・ya ― 2011年03月09日 16時33分00秒

はじめまして。
「コロの物語」もう50数年も前になりますね。この放送時間が待ち遠しくていつもラジオの前で耳を澄まして聞いていました。小柳徹さんの甘くて、時折ハスキーがかった声。何よりあの、くちゅくちゅっとした、はにかむ様な笑い方・・・。私のあこがれの人でした。
あれ以来「くるくるくると・・・」の歌はずうっと私の心の歌(宝)となっています。苦しい時は希望を持って前向きに生きるようにと諭してもらいました。
小柳徹さんのお墓を知ったのはつい最近。ご命日にお伺いをしようと思ったのですがその日まで待てずに行って来ました。お墓には徹さんのお人柄がいっぱい垣間見え、つい、「コロの物語」を何度も歌って泣いてしまいました。
生きていてほしかったなあと改めて思いました。

_ 小川 ― 2011年03月13日 08時45分34秒

ここへ訪れるとなぜか涙が出てきます。決して悲しいのではありません。感動を受けるからです。徹さんは、決して一人ではありません。東北地方太平洋沖地震が発生してから2日目を迎え日本人らしい冷静な行動誇りに思います。国民一人ひとりが一つになれば復興も早いでしょう。なくなられた方、ご家族に対し謹んでお悔やみ申し上げます。

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